
老人党リアルグループ「護憲+」は、日本国憲法の基本理念である国民主権、平和、人権を護りたいと願い、「護憲」の視点に立った「世直し」を志す老人党有志グループです。
コラム「護憲+語憲」 :見習い期間 (08/24)
8月15日
自分の物心がついて以来、毎年8月になると戦争に関する報道やドキュメンタリー番組などを目にする機会が多くなる。特に8月15日は日本にとっての「終戦記念日」として強調されているようだ。「戦後80年」というような節目の年には、戦争を繰り返さないという誓いと平和の尊さがとりわけ強く訴えられている。 第二次世界大戦を体験した方たちが少なくなるなかで、記憶を継承することは大切なのは言うまでもない。そう思う一方、1945年の8月14日時点で国外では「日本がポツダム宣言を受諾」と報じられており、同年9月2日に降伏文書への調印をもって公式に戦争が終結したと考えると、どうして8月15日ばかりが特別視されるのかという疑問も浮かんでくる。
8月15日は天皇の玉音放送があった日であり、市民にとっては戦争の終わりを直接体験した日であったことは想像に難くない。こうした大衆的な記憶と終戦にいたる公式な手続きとの間に差異があるのだろう。 しかし、今まで積極的に継承してきた日常生活を破壊された加害の記憶だけでなく、旧日本軍による主にアジア諸国への加害・攻撃行為の記憶も忘れてはならない。空襲や原爆投下などの被害体験は毎年のように夏になると掘り起こされるのに、加害の記憶は相対的に取り上げられる機会が少ないように感じられる。被害の記憶と加害の記憶のアンバランスも、日本から見た戦争の終わりの日ばかりが強調されてしまう理由ではないか。 何を語り継ぐかを取捨選択する行為は社会的な記憶の枠組みに依拠する。記憶のバイアスから完全に自由にはなれないが、国民の被害者体験を軸に据えることで、加害の記憶が相対的に後退してしまっていると捉えなおせるのではないか。
「8月15日」をきっかけに記憶を呼び起こし、平和について考えるというのは理解できる。しかし、特定の日だけを特別視するのは一面的な歴史認識になりうる。 記憶を被害と加害の双方から再構成することが歴史理解の深化につながり、今日における国際的な対話と世界平和に向けた協調への基盤となるはずだ。なにより、記憶を多角的に継承することが今後の課題であると認識している。
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