
老人党リアルグループ「護憲+」は、日本国憲法の基本理念である国民主権、平和、人権を護りたいと願い、「護憲」の視点に立った「世直し」を志す老人党有志グループです。
コラム「護憲+語憲」 :蔵龍隠士 (11/25)
子ども家庭庁とは、何者か?
「こどもどまんなか」子ども家庭庁とは、何者か? こどもの権利自由を護るものではないのか。真ん中に於いて、何としようというのだろうか。まさか、彼の母の如く、弄ぶ??? 自民党、政府には、個人の尊重はないのか??? 日本国憲法の要求するレベルに達せず、希薄なのは、疑いないが。 「こどもどまんなか」子ども家庭庁は、山上哲也氏のような、母、法定代理人がおれば、その愛情を失った子には、有害無益!延いては、人殺しを止めようともしなかった 子ども家庭庁は、改心して、子、一人の人権を護れ!
こどもどまんなか!? 子ども家庭庁 https://www.cfa.go.jp/top 子ども家庭庁、ど真ん中と掲げているが、自民党は、その「こども」の人権、個人の尊重を家庭庁で閉じ込めて 権利、自由をスルーしようとしていないか。 子ども家庭庁などと。人権回避!? 寝た子を起こさないの意いか。 現在、子、未成年者の後見人、法定代理人は、父、母。 &一人しか居なければその人だ。 従って、未成年時、山上哲也氏には、個人尊重のない母、法定代理人、専制者が、幸福実現、権利実現の妨げでしかなかった。その理は、妹に対しても、同様である。母は、破産者になっても、猶、統一教会への寄付のため、兄妹に集り、カネ、財産を奪った。統一教会嫌い、の祖父や父に対しても、死ぬまで、利益相反行為を続けた。 では、自民党政府、或いは子ども家庭庁(乃至その前身)は、何か出来たのか。救いの意思、手立てはあったのか。残念ながら、「絶望と危機感」しかない、或いは、同然ではないか。 今思うことは、祖父乃至父の相続については、子らへの正当な権利を確保する"遺留分"、或いは、離婚の際の、離婚と年金分割(夫婦が婚姻期間中に納付した年金は夫婦の共有財産とみなされています。)のように、相続人間の分配を潜在的であれ、原則を決めておくべきではないかと。 そうしておけば、山上哲也氏の母のような個人の尊重のない、暴君であっても、各相続人の最低限の相続権は守られる、又そうでないと個人の尊重など、幼子にとって、ないも同然ではないか。家庭内のこととして、この権利自由を蔑ろにするならば、神も仏もない状態、常況。日本国憲法は、泣いている!!戦後80年も。 政治家や宗教法人が、これに思いを致さないとは、民主主義国家、日本国憲法下にあってはあるまじき事。あってはならないと思う。或いは、未成年の子には、成年に達したとき、或いはじゅ縛から解放された時、寄付、無償行為などには、対世的取消権、解除権など、与えられるべきではないか。
【速報】安倍元総理が旧統一教会関連団体に寄せたビデオメッセージに「絶望と危機感」「被害を被った側からすると受け入れられない」 山上徹也被告が法廷で語る 安倍元総理銃撃事件判 MBSニュース 11月25日 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6560196 ○安倍晋三元総理を銃撃した罪に問われている山上徹也被告の裁判。11月25日(火)の第11回公判での被告人質問で、山上被告は安倍元総理が旧統一教会の関連団体へ寄せたビデオメッセージについて、「(この動画が世に広まるなどすれば、旧統一教会が)問題のない団体と認識されると思った」「非常に悔しいし、受け入れらない」「絶望と危機感を抱いた」という旨を供述しました。
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【初公判】安倍元首相銃撃事件裁判!山上被告は何を語った? ゲスト:紀藤正樹(弁護士)鈴木エイト(ジャーナリスト) 近野宏明 上野愛奈… https://www.youtube.com/watch?v=QM9UtxFby3o
山上徹也被告、初の被告人質問「母の信仰を理由に事件を」 家族が崩壊した経緯を語る【羽鳥慎一モーニングショー】(2025年11月21日) https://www.youtube.com/watch?v=OFu2np0V0-4
山上徹也被告、初の被告人質問「母の信仰を理由に事件を」 家族が崩壊した経緯を語る【羽鳥慎一モーニングショー】(2025年11月21日) https://www.youtube.com/watch?v=OFu2np0V0-4
★添付 安倍晋三銃撃事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89%E9%8A%83%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6
世界平和統一家庭連合(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%B9%B3%E5%92%8C%E7%B5%B1%E4%B8%80%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E9%80%A3%E5%90%88 ☆日本進出・自民党との反共親米コネクション構築 ⇒→詳細は「世界平和統一家庭連合と政界との関係 § 日本の政界との関係」、および「国際勝共連合」を参照 …初期の日本統一教会の後ろ盾となったのが、右翼のリーダー的存在であった笹川良一であった。笹川は1963年に教団の顧問となり、不法滞在者の崔が警察に逮捕された際にも賀屋興宣法務大臣に働きかけ、再入国の手筈を整えたと伝えられる[51]。
1964年11月1日、日本統一教会は、教団本部を北沢1丁目(現在の代沢5丁目)から、岸信介が高峰三枝子に返却した渋谷区南平台町45番地(当時の番地)に移転。岸が首相公邸として使っていた建物はそのまま本部の建物となり[52][53][54][55][56]、本部と岸の私邸は隣続きになった[57]。
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