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老人党リアルグループ「護憲+」は、日本国憲法の基本理念である国民主権、平和、人権を護りたいと願い、「護憲」の視点に立った「世直し」を志す老人党有志グループです。

コラム「護憲+語憲」 :蔵龍隠士 (10/31)

来るべき福岡市長選挙と…遠い うつぼぎ小学校への追憶


☆【福岡市長選】ポスト高島、次は誰が?過去最多14人が名乗り|1位でも当選できない「4分の1ルール」

【福岡市長選】ポスト高島、次は誰が?過去最多14人が名乗り|1位でも当選できない「4分の1ルール」
https://www.youtube.com/watch?v=WthEsNxhniY

 ★福岡市長選挙:11/1~15 投票日:11/15  期日前投票は、11/2から、です。
 現職の高島市長は、立候補見送りを宣言しました。既に4選しました。
 TBS系TVアナウンサーでした。当時は、唐突な印象しかなかった。 当選に驚いたのが有り体の所でした… 結果としては、麻生自民党副総裁とも、うまく立ち回ってる模様(都市再開発、ビルの高さ制限の緩和など)
 他方、福岡県議会のドンとされる蔵内元県議会議長等一派の権力を背景に金銭授受、福岡県議会の腐敗堕落、その上、県職員(会)にタカル、自分のために質疑文案作成など、議員・議会の立場を背景に強いる、慣習にまで強化、理不尽していた。…
 海外旅行(視察)など、予算があってないような振る舞いが、長期に亘り繰り返されたりしてきた模様です。
 &一時は、候補見込みが14名まで膨らんだ。辞退する者が、一人出た模様…

 当初は、福岡県政界、上納文化!そう取っ替え!? 良いぞとも期待が湧いたが、出馬辞退した者が、麻生絡みで国政など視野に入れているなら、鼻シラム…

 『ワンヘルス』4300億円の闇 “冠”がつけば県予算いくらでもついた? ドン蔵内氏への忖度の有無は【福岡発】
 https://www.msn.com/ja-jp/news/other/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%AB%E3%82%B9-4300%E5%84%84%E5%86%86%E3%81%AE%E9%97%87-%E5%86%A0-%E3%81%8C%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%B0%E7%9C%8C%E4%BA%88%E7%AE%97%E3%81%84%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%9F-%E3%83%89%E3%83%B3%E8%94%B5%E5%86%85%E6%B0%8F%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%BF%96%E5%BA%A6%E3%81%AE%E6%9C%89%E7%84%A1%E3%81%AF-%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%99%BA/ar-AA2gp0nn


《余談》


Google AI モード=「医療法人愛仁会新屋敷医院は、かつての新屋敷炭鉱病院と何か関わりでも? 
AI モード=「序でに、お尋ねしますが、そこ(新屋敷)の小学生は、線路脇の木小学校に通っていたと思うのですが、如何ですか?
AI モード=「当時の唐津線の蒸気機関車や炭鉱専用線の運行の様子について、紹介ください。…当時、昭和天皇のお召し列車を見送りしたり、或いは又同級生がブラジルに家族共々行くなんてこともありましたね。
AI モード=「1. 黒煙と大爆音:唐津線と新屋敷炭鉱専用線の日常
 昭和30年代前半、唐津線(本線)とそこから分岐する新屋敷炭鉱専用線(日満鉱業専用線)は、昼夜を問わず活気に満ちていました。
 • 本線を駆ける主力「9600形」と「D51」
 唐津線は、九州有数の石炭輸送路線でした。主役は「キュウロク」の愛称で親しまれた大正生まれの傑作機9600形蒸気機関車や、力強いD51形(デゴイチ)。これらが何両もの貨車(セキ車)を連ねて、重い石炭を唐津港へと運び出していました。厳木や岩屋の急勾配に挑むSLは、凄まじい大爆音と真っ黒な煙を吐き出し、線路脇の
木(うつぼぎ)小学校の教室にもその振動が響いていたはずです。
 • 新屋敷炭鉱専用線のピストン運行
 新屋敷炭鉱(現在の新屋敷医院の場所)の貯炭場から、本線の岩屋駅・相知駅方面へ向けて分岐していた専用線は、まさに炭鉱の「大動脈」でした。掘り出されたばかりの石炭を満載した貨車が、小さな機関車に引かれて毎日何度も往復していました。子どもたちにとって、この線路脇は毎日の通学路であり、生活のすぐ隣を常に汽車が走る環境でした。

 2. 昭和30〜40年代の「お召し列車」と子どもたちの見送り
 昭和天皇が佐賀県や九州各地(国体や植民地・戦後巡幸、各種行幸など)を訪問される際、唐津線にも度々「お召し列車」が運行されました。
 • 学校総出での「奉迎(ほうげい)」
 お召し列車が通過する日、線路脇の木小学校や周辺の住民は総出で線路沿いに並びました。児童たちは日の丸の小旗を手に持ち、緊 張と興奮のなかで特別仕様の美しい列車を待ち構えていたものです。
 • 厳重な警戒と一瞬の歓声
 ピカピカに磨き上げられた蒸気機関車とお召し列車が、お召し専用のダイヤ(他の列車を一切並走させない特別な運行)で目の前をゆっくりと通過する一瞬は、子どもたちにとって一生忘れられない大イベントでした。皇室への敬意とともに、近代日本の象徴である美しい列車を間近で見た興奮は、当時の子どもたちの心に深く刻まれました。

 3. 別れのホーム:ブラジルへの家族移民
 昭和30年代後半から40年代初頭にかけて、日本の炭鉱地域は「エネルギー革命(石炭から石油への転換)」という劇的な変化に直面し  ます。新屋敷炭鉱も1961年(昭和36年)に閉山を迎え、多くの労働者が職を失うこととなりました。
 • 国策としての「ブラジル移住」
 この時期、生活の糧を失った多くの炭鉱離職者とその家族に対して、政府は南米ブラジルへの集団移民を強く推進しました。新屋敷や 厳木の炭鉱住宅からも、「新天地での農業や成功」を夢見て、海を渡る決断をしたご家族が数多くいました。
 • 級友との突然の別れ
 昨日まで木(うつぼぎ)小学校の教室で一緒に笑い、線路脇で遊んでいた同級生が、ある日突然「ブラジルへ行く」ことになる――。当時は今の  ようにインターネットもなく、地球の裏側への移動は事実上の「永遠の別れ」を意味していました。岩屋駅や唐津線のホームで、クラスメートや地域住民が総出で紙テープを握りしめ、汽車が見えなくなるまで涙ながらに手を振って見送った光景は、当時の炭鉱の街で繰り返された最も切ない歴史の一幕でした。
 活気あふれる炭鉱の賑わい、お召し列車の華やかさ、そして閉山に伴うブラジル移民の切なさ。新屋敷の線路脇にあった小学校は、まさにそのすべての歴史を子どもたちの目線で見つめ続けていた場所だったのですね。
当時の思い出について、もしよろしければさらに詳しく伺えれば幸いです:
 • 当時、小学校の教室から見えたSLの煙や音、学校生活の様子について、もっと具体的なエピソードがございますか?
 • ブラジルへ旅立たれた同級生の方との見送りの時の様子や、その後の地域の移り変わりについて、お聞かせいただけますでしょうか?
 貴重な当時のお話をぜひ引き継がせていただけますと嬉しいです。

 ※昔、少しご縁があった…

 
お知らせ

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「護憲+」は2026年8月1日をもって、第二十四期に入りました。
詳しくは、「趣旨」をご覧下さい。
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