
老人党リアルグループ「護憲+」は、日本国憲法の基本理念である国民主権、平和、人権を護りたいと願い、「護憲」の視点に立った「世直し」を志す老人党有志グループです。
コラム「護憲+語憲」 :パンドラ (10/05)
我禍てり 生きろ 2
の手元に一冊の本がある。
『幻の村―哀史満蒙開拓』手塚孝典著 この本を参考にしながら、この話を書いていこうと思う。
私がこの本の第五章に登場する胡桃沢伸(敬称略)に初めてお会いしたのは、社会臨床学会という団体の総会であった。 胡桃沢伸は精神科医であり、脚本家でもあった。社会的な問題をテーマに活動していることを知り、私は以前からその名前に興味を持っていた。 その後、彼の祖父が戦中の「満蒙開拓」に深く関わっていたことを知った。胡桃沢伸が、その祖父について講演するために私が住む地域に来られた時、私はその講演を拝聴し た。
私は「我禍てり 生きろ 1」にも書いたように、以前から満蒙開拓の歴史に関心を持っていた。だからこそ、満蒙開拓を推進した側にいた人物、胡桃沢伸の祖父・胡桃沢盛についての話を、私は特に興味深く聞いた。
胡桃沢盛は名家の長男として生まれ若い頃から村の人々の豊かな生活を願い村の発展を模索していた 谷川徹三の哲学、山本宣治の生物学等、新進気鋭の学者の講義に感銘し、自由と平等を良しとして長野県の自由な風に触れていた
そんな盛の人生に転機が訪れたのは1941年、36歳の時 河野村の村長に就任した。この頃河野村は基幹産業である養蚕業が大暴落して農民達は困窮の極みに陥っていた。 何とか農民の生活を立て直したい。河野村の産業を守りたい。村の若きリーダーは苦悩していた。そして、農民たちが過酷な労働と借金、年貢に喘ぎながらも、その努力が報われない現実に憤りを感じていた。
当時の日本は、1931年に軍部が起こした「満州事変」を契機に、戦争の時代へ入っていった。まだ日本列島が直接攻撃されることもなく、軍部にとっても国民にとっても戦争は遠い異国の地で起きているものだった。
1941年頃になると戦況も悪化し、国内も昭和不況に喘いでいた。そこで時の政府は満州・蒙古へ国民を送り「分村」して土地を耕し作物を作らせる「満蒙開拓団」を政策として強力に推進した。しかし「分村」のために与えられた土地は現地の人々から奪い、あるいは追い出して得たものだった。河野村の農民の生活が良くなる事を願っていた盛はその現実を知る由もなかった
※ 我 禍てり 生きろ 3 に続く
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