
老人党リアルグループ「護憲+」は、日本国憲法の基本理念である国民主権、平和、人権を護りたいと願い、「護憲」の視点に立った「世直し」を志す老人党有志グループです。
コラム「護憲+語憲」 :パンドラ (08/25)
我過てり 生きろ 胡桃沢盛と胡桃沢伸 1
我過てり 生きろ 1 胡桃沢盛と胡桃沢伸
私が「満蒙開拓」や「満鉄」について詳しく知ったのは、20代の頃に働いていた歯科医院の女性院長から聴いた話がきっかけだった。 当時70代の初めだった院長は、若い頃の話をしてくれた。 きっかけは歯科医師会の「研修旅行」だった。実質は観光旅行だったのだが、香港・マカオを観光し、現地の歯科医療を見学する。費用は歯科医師会が持ち、旅行会社とタイアップした企画だった
院長は「私は若い頃家族が大変な思いをして満州から引き上げて来たから東南アジアには行きたくない。折角の機会だから貴女誰かと、行って来たら」 と言われ、渡りに舟と喜んで参加した
その時医院長から聴いた壮大な話は深く私の心に突き刺ささりいつまでも心に残った。
当時、若き院長は単身上京し歯科医師の学校に通い満州に居たのは両親と幼い兄妹達だったと聴いた。
父親は当時の満州鉄道に勤務し、家族社宅で何不自由ない生活をしていた。朝から関東軍の兵隊達が馬で巡回し、「兵隊さん方が守ってくださっているから、恐い事はない」と話していたという。
ところが太平洋戦争の末期、ソ連が日ソ中立条約を破棄して満州へ侵攻すると、関東軍の兵隊達は皆逃げ去り、住民だけが取り残された。
家族は命懸けで満州を渡り、引き上げ船に辿り着き、帰国する事が出来た。
院長から聴いたのは、そういう話だった。
後年、私はその話を友人にした。すると友人は 「いや、満州開拓団の人達はもっと悲惨な体験をした」 と話てくれた 唖然として聴いていた私は、齢70を過ぎた院長に「行きたくない」と言わせた満州とは何だったのか。大日本帝国の名の下で、満州やアジアで何が行われていたのかを知りたいという気持ちは、その後もずっと私の中に残っていた
長い時を経て、私自身が高齢者になった今、私は一人の人物と、その人物をめぐる歴史を紐解いてみようと思う。
「満蒙開拓」に村人を送り出す旗振り役を務めた、長野県河野村の若き村長、胡桃沢盛。
そして、その孫であり、精神科医で劇作家でもある胡桃沢伸。
なぜ、若い頃にはリベラルな考えを持っていた胡桃沢盛が、「満蒙開拓」を推進する側になったのか。
その背景には、どのような時代があったのか。
長く、壮大で、深い話なので、今回は「1」として、何回かのコラムに分けて書いてみたいと思う
戦後81年「戦争の足音が聴こえる」とか「新しい戦前が始まった」と言う言葉が聞こえる今だからこそ、この歴史を紐解いてみたいと思っている
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