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コラム「護憲+語憲」 :名無しの探偵 (02/16)

米軍基地の歴史と現在

表題は米軍基地の歴史と現在となっているが、このテーマを選んだのは別の理由からであった。最初は「東京裁判」(これは俗称であり、本当は「極東軍事裁判」となっていて、裁判の実体は軍事裁判ということにある)の被告人にされた人々が戦争責任の主体の全部であるのか、また、なぜこの人がÅ級戦犯となっているのかなど、疑問はつきなかった。
とりわけ、大きな疑問を感じたのは原爆を2発も広島と長崎に投下したアメリカが終始、裁判の主導権を握っていることであった。これはニュールンベルグ裁判との顕著な違いにも表れている。

そして、私の疑問は映画「東京裁判」(小林正樹監督、劇映画ではなく記録映画である。)を観て、疑問自体に確信が持てた。

被告人の弁護(誰の弁護かは忘れている)を担当したアメリカ人弁護人が発した言葉に驚かされた。
その弁護人は間違いなく「原爆を投下した国の責任は問われずに、こうした裁判をするのはいかがなものか」、と裁判自体の正当性に少しだけ踏み込んでいたからである。(実際にこのように発言したかは定かではないがこうした趣旨の発言であった。)
この「東京裁判」への素朴な疑問が現在の米軍基地問題へと関心が拡大した結果として、上記表題となった。
まず、こうした関心の拡がりの中で、現在の米軍基地問題を検討したいと思うようになったのであるが、その問題意識の前提として第一に挙げたいのは米軍基地という言葉の吟味である。
今、米軍基地の大半70パーセントは沖縄に集中しているが、これが「基地問題」の言葉の吟味とその本質から目を逸らす原因でもないかと思うのである。
それは「基地問題の歴史」を読む中で明らかになってきた。
沖縄の米軍基地に限定して言うならば「基地」(ベース)という表現は何かキャンプを設営か、軍隊が移動中に宿泊場所を設置しているような感覚にさせられるような錯覚を持つのである。
しかし、本土の基地にしてもベースという軽い意味では全くない。明らかに軍事施設であり、戦争を目的にした施設なのである。
つまり、何を問題にしているのかということだ。
戦争を禁止している主権国家:日本の領土である沖縄の平和な島々にこうした大規模な軍事施設を所有してなおも拡大しているアメリカの行動は基地という軍隊の仮の移動場所という「意味」を超えて明らかに軍事占領を意味している。そのことは日本の政府や研究者はあまり指摘していないが、逆にアメリカの当時の指導者は明確に指摘している。
アイゼンハワー大統領は軍産複合体という言葉を警戒を込めて初めに使った大統領であるが、彼の58年4月9日の日記にはこうある。
「法律か条約の取り決めに関わらず、この紛争(沖縄)はわれわれと沖縄の人々や日本との関係に問題をおこすだけでなく、それらがさらに深刻になると、共産主義者がわれわれを攻撃するプロパガンダの材料として利用されるだろう。・・・。イギリスがキプロスで、フランスがアルジェリアで抱えているような重大な困難さを引き受ける事態は予想していないが、われわれをさらに困惑させるような状況が簡単に展開するかもしれない。」
この日記は沖縄の地主(米軍への土地提供者であり、強制的な提供)との「一括払い」を止めて「5年契約」にするかどうかが問題になった時点での発言である。
そして、他のアメリカの政府高官は沖縄の住民の基地闘争の高まりや米軍の不祥事の頻発(子供をレイプしたり、沖縄の女性を射殺する事件が頻発していた)を目の当たりにして「沖縄が植民地になっているような印象を世界から見られるのではないか」と警戒しているのである。
この時代は冷戦時代でもあったが、アメリカの政府の省庁でも沖縄からの基地縮小や撤退を本気で考えていたのである。しかし、アメリカ国防省(ペンタゴン)のみが沖縄の基地の現状維持にこだわったとされる(林博文『米軍基地の歴史』によった)。
2、米軍基地問題と一言で言ってしまうと、米軍基地が最初からそこにあったという「疑問を持たない」態度を形成するのではないだろうか。実は、沖縄米軍基地に関して、率直に言えば日本本土はサンフランシスコ条約で占領は終了しているが、沖縄に関する限り、「占領」は継続している。
 また、70年代に日本に「復帰」したということになっているが、実際には沖縄の米軍基地は縮小もしていない。逆に辺野古への基地の移転により基地は拡大している。(玉城テリー知事の反対があるにしても日本政府は辺野古基地の設営強行を継続している)
米軍基地の歴史的な展開に詳細に触れることが今回はできなかったが、主要な問題は二つある。
(1)冷戦下で沖縄の戦略的な重要性は再びアメリカにとって見直された歴史的な経過があったが、冷戦が終結した現在でも沖縄の基地の撤去なり縮小はなかった。
(2)(1)と関連するが日米関係から離れて世界米軍基地の問題に焦点を当てると、フィリピンなどのように米軍基地が撤去された国も多い。林博文氏の先述の著書でも米軍基地は世界的縮小していること、また、主権国家では米軍基地の撤退を望む国が多く、日本とは異なり米軍の撤退は世界的な傾向であると指摘する。
なぜ、日本だけが基地が現状維持か拡大傾向にあるのか。大きな疑問である。

現状から言えることは「沖縄」は太平洋戦争下で日本の本土防衛の「捨石」にされたが、現在も同じ役割を沖縄が負担させられているという認識に至る。

沖縄は占領継続がなされ、また辺野古への基地移転で「植民地」的な支配を押し付けられている、と考えられるのである。


今回のコラム投稿は沖縄の米軍基地問題の序論にすぎないし、「問題提起」に終わっている。
(このコラムのテーマは次回に続く。)

 
お知らせ

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「護憲+」は2018年8月1日をもって、第十六五期に入りました。詳しくは、「趣旨」をご覧下さい。☆☆


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