−    2008/08/18-00:19:57
最近の刑事裁判での冤罪事件の発覚、犯罪の凶悪化に伴う刑罰や量刑の強化傾向、国連では死刑制度廃止の方向なのに日本は無視・逆行、また行政訴訟や違憲訴訟では国家権力寄りの逃げと不当な判決が後を絶ちません。一方09年5月から裁判員制度がスタートします、この機会に裁判を聖域視せずに、「正義」の判断を裁判官・検察官、弁護士のみに委ねることを止め、庶民の眼でも「正義」を見極め「基本的人権」を守っていきましょう

0017 日弁連の終身刑導入反対に賛同する 厚顔の美少年 2008/11/20 00:14
  日経ニュース、asahicomは日弁連が終身刑導入に反対する意見書を提出したと次のように報じている。
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20081119AT1G1902H19112008.html
http://www.asahi.com/national/update/1119/TKY200811190184.html

小生は以前、無期懲役の運用で十分対応できていることと、無期懲役該当者が終身刑にされる可能性があるとのことで、反対の投稿をしたが、今回の日弁連の意見に賛成である。

ところで予断であるが、日弁連は司法試験合格者を当初年間3000人とすることを了承しながら今になって反対しているが、これは受験者と法科大学院を設置した大学への裏切り行為であり問題である。弁護士の質の低下を招くことを理由にしているようであるが、一応難関を突破した人材ばかりであり、後の研修教育で十分フォローできるはずである。

それより日弁連は現役弁護士の犯罪発生を喫緊の課題とすべきで、恥を忍んで犯罪0キヤンペーンでも実施したらどうであろう。例えば17日の朝日朝刊には大阪地検が元大阪府議の小川弁護士を脱税容疑で国際手配したと報じている、また昨年だったかヤメ検弁護士が大阪朝鮮総連の不動産絡みの犯罪容疑で逮捕されている。これらは法律家として社会的に一度決定した司法試験合格者数を平気で反故にするような倫理観の欠如が日弁連の一部にあり、それらが気の緩みを招く土壌を醸成しているのではないかと危惧する次第である。
0016 土井前社民党党首、名誉毀損裁判で勝訴 厚顔の美少年 2008/11/15 00:23
  毎日ニュースは次のように報じている。
http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2008/11/14/20081114ddm012040010000c.html

護憲派土井さんの名誉が回復され明るいニュースである。
0015 叙勲は元裁判官には不要 厚顔の美少年 2008/11/03 13:27
  今日の新聞に秋の叙勲者が掲載されていた。前回も投稿したが、その中に元裁判官が十数名含まれている。一方叙勲は政府(行政)が行っている行事であり、三権分立制度に下にあって行政が元裁判官をどうして叙勲せねば成らないのであろうか、憲法第76条1項・3項は司法権と裁判官の職権の在り方を次のように規定している。

・(1項)すべての司法権は最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。

・(3項)すべての裁判官はその良心に従い独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

この規定に照らしても元裁判官が現役時代の業績について行政側から叙勲の評価を受ける根拠と理由はどこにもないはずであり、一方叙勲されなかった元裁判官もいるはずである、どこで叙勲者との差が付いたのであろうか、3項に照らせば差の付けようがないはずであり、差が付いたとすれば行政訴訟で行政に有利な判決をしたのではないかと下司の勘ぐりを生むのみであろう。何れにしろ行政に元裁判官が叙勲の考課を受けることがおかしい。元裁判官への叙勲制度は裁判官の任命権(憲法第80条)を内閣に委ねていることと併せて真の三権分立の確立に照らしてマイナスはあってもプラス効果はどこにもないと思う次第である。今後元裁判官の叙勲の辞退を期待したい、それが裁判官の矜持というものではないだろうか。
0014 >国連は「日本は死刑減らすべき」と指摘 厚顔の美少年 2008/11/01 00:03
  去る10月20日の投稿(0013)で国連規約人権委員会が日本の死刑制度廃止と死刑執行停止を日本政府に求めてたことに関して投稿したが、アサヒcomによれば30日に国連人権委員会はそのことに関して次のように正式に決定したと報じている。
http://www.asahi.com/international/update/1031/TKY200810310113.html

『国連規約人権委員会は30日、日本の人権状況に関して問題の改善勧告を含む「最終見解」を公表した。日本政府に対し、死刑制度については「(国内の)世論調査に関係なく死刑制度の廃止を検討すべきだ」と勧告。扱いが注目されていた従軍慰安婦問題では「法的責任を認め、謝罪するべきだ」として、「決着済み」とする日本政府の主張を退けた。 』

法務省(検察官)と約3400人の日本の裁判官はメディアや世論の動向に左右されることなく国連人権委員会の勧告を真摯に受け止め、法律家の良心に従い求刑と判決をして欲しいものである。

一方死刑制度廃止の問題は法律改正の問題であり国会議員が超党派で「国連の勧告」を真摯に検討すべきである。その一つの理由は最近の無差別殺人事件や家族間殺人事件の頻発は異常であり、家庭や社会環境と切り離しては考えられず、そのような社会、家庭を造りだしているのは政治にも責任の一端があることを否定できないからである。

自民党の9月27日の新聞広告「麻生がやりぬく」には、麻生総裁の写真入りで「明るい日本を取り戻す」と書かれている、これは裏を返せば現在は暗い陰湿な社会であることを認めている証であり、そのような日本にしたのは野党ではないはずである。一方民主党も10月5日の新聞広告「新しい生活をつくる」で、小沢代表の写真入りで「非正規社員も均等に待遇・・」と唱い、秋葉原の無差別殺人事件の犯人がおかれていた労働環境が非正規社員の派遣労働者であったことは十分承知のはずであり、是非この機会に超党派で国連の死刑制度廃止の勧告を検討して欲しいものである。

>10・17日経ネット・朝日夕刊は、15,16日の国連の自由権規約委員会で国連欧州本部で死刑の抑制などを定めた同規約を日本が順守しているかが審査され、委員からは「世界的には死刑制度を廃止する方向にあり、日本は死刑の執行数を減らすべきだ」といった指摘が相次ぎ、これに対し、日本政府は「国民世論は極めて悪質な犯罪は死刑もやむを得ないと考えている」などと反論したが、委員の賛成は得られなかった、と報じている。
>http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20081017AT1G1700917102008.html
0013 国連は「日本は死刑減らすべき」と指摘 厚顔の美少年 2008/10/20 00:55
  10・17日経ネット・朝日夕刊は、15,16日の国連の自由権規約委員会で国連欧州本部で死刑の抑制などを定めた同規約を日本が順守しているかが審査され、委員からは「世界的には死刑制度を廃止する方向にあり、日本は死刑の執行数を減らすべきだ」といった指摘が相次いぎ、これに対し、日本政府は「国民世論は極めて悪質な犯罪は死刑もやむを得ないと考えている」などと反論したが、委員の賛成は得られなかった、と報じている。
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20081017AT1G1700917102008.html

上記報道では国連の自由権委が日本の「死刑の執行数」を指摘したので、日本政府は「国民世論」を楯に反論したのであろうが、国連の指摘も日本政府の反論も「日本の死刑を減らすための」本質を突いていない。本質は死刑判決の増大とその前提になっている凶悪殺人事件の増加と背景であり、それに加えてメディアの被害者家族の感情に偏った殺人事件の採り上げ方にも問題があるのではないだろうか。

先ず死刑判決を下すのは裁判官であり、2007年度の日本の裁判官数は約3400人らしいが、国連の自由権委の「日本は死刑の執行数を減らすべきだ」との批判を裁判官はどのように受け止めているのであろうか、先ずは世界の死刑廃止、執行廃止の流れに逆行している日本の現状を冷静に考えて欲しい。

次に今回国連の自由権委が指摘しているのは、死刑の執行数の問題であり、まさに日本政府(法務省)の死刑執行の在り方の問題である。しかし死刑判決が増えればそれを執行せざるを得ない一面があることも事実であろう。それにしても国連の指摘に対して「国民世論は極めて悪質な犯罪は死刑もやむを得ないと考えている」との反論は主務官庁として主体性に乏しくし情けない。犯罪白書は何のために毎年作成しているのか、犯罪原因を分析して犯罪件数を減らす為では無いのか。今の日本では殺人事件の要因は個人の問題だけではないはずであり、家庭環境、社会環境、引いてはそれが政治政策に起因しているケースもあるはずである。

例えば秋葉原の通り魔殺人事件の背景には派遣労働制度と云う不安定な労働環境が小泉政権で作られた為であるとの見方が世論の大勢である。その証拠に政府与党も派遣法の改正へ素早く動き出している。法務省は死刑の執行数を減らすに越したことはないが、むしろ犯罪発生原因を素早く掴み、内閣にその対策を促し再発防止を社会に及ぼすことであるはずである。そうすれば殺人事件も減少し裁判での死刑判決も減少することは自明である。現状は無差別殺人事件や家族間殺人事件が一向に減る様子がなく、裁判所や検察は厳罰を科すことで犯罪を減らすことに汲々として、一方法務省は真の犯罪防止施策には無策・不作為ではないかと疑わざるを得ない。
http://www.moj.go.jp/index.html
http://www.moj.go.jp/TOUKEI/index.html

最後に日本政府の国連への言い訳は何が原因になっているのであろうか、やはりメディアの殺人事件の採り上げ方にも影響を受けていると思われる。メディアは視聴率を上げるために競って事件を話題にしているが、例えば光母子殺人事件の様にテレビ番組で計33回、計7時間半も採り上げられ、更に殺害された母子の写真が何回も映し出された上、遺族が「死刑を望む」とのコメントまで報道されれば、視聴者の「目には目を」の報復感情を掻き立てかねない。それが世論を形成し、まさに日本政府自身がメディアに煽られ「国民世論は極めて悪質な犯罪は死刑もやむを得ないと考えている」と釈明しているようなものではないだろうか。その後光母子殺人事件の報道には偏向があったことをBPO(放送倫理検証委員会)も認めて反省しているとおりである。http://www.jca.apc.org/hikarisijiken_houdou/

たまたま秋葉原通り魔事件は社会環境や家庭環境も事件との関連でクローズアップされているが、赤ちゃんの寝顔や保育園で無心に戯れる園児を見て、誰が将来殺人事件を引き起こすと想像できようか、皆生まれてから一定年齢までは純粋無垢である、それが何によって変わるかと云えば、家庭であり、学校であり、社会環境、政治政策である、また先天的な発達障害等でその環境になじめない場合もある。秋葉原事件後も無差別殺人事件や家族間殺人事件もいくつか発生しているが、誰も自分の家族や親戚からこのような事件が発生するとは想像すらしていなかったはずである、しかし今の日本の社会を見ていると、他人事ではなくいつ自分の6親等内の身内から犯罪者や被害者が生まれても不思議でない社会環境ではないだろうか。今政府が犯罪発生防止策としてすべきことは、事件の背景にある家庭環境や社会環境問題を掘り下げ、対策を練ることであり、「国民世論は極めて悪質な犯罪は死刑もやむを得ないと考えている」と云うような悠長な、傍観者であって欲しくはないものである。
0012 Re: 裁判・司法行政ウォッチング(第六期) 名無しの探偵 2008/10/15 19:59
  「殺人の罪に時効はない」というアメリカの法制度の問題点

アメリカの司法制度は日本の刑事制度とは確かに大陸法の影響を受けた日本と英米法の違いとして異なることは理解できるが、殺人罪に時効はないというアメリカの刑事法を無前提に承認できるかは今回の「三浦氏再逮捕事件」をきっかけとして疑問が出てきた。

それは殺人に時効はないという命題が犯人がずっと逃亡していて(松山のホステス殺人のように時効完成間際で逮捕できた事例はきわどい事件だったがこの場合がその具体例になろう。)たまたま時効が完成したという場合ならば問題はない。

しかし、ロス疑惑の三浦氏による妻の殺害を実行犯に依頼した事件となると話は別である。

なぜなら、ロス警察(ジミー佐古田さんが有名だった)は三浦さんをいつでも逮捕拘留し起訴できたのであり、日本で裁判が確定した後に「共謀罪」は時効が完成していない」という理屈は誰でも一事不再理の原則を脱法するための便法だったのではないか、という疑いを抱くのではないか。

そういう一事不再理を掻い潜る方法として「殺人に時効はない」という法理を持ち出すのは「適正な手続きからの逸脱」と解釈できるのではないか。

こうした三浦氏を救済する弁護はアメリカの法廷で出される可能性は大きかったと私は推測する。

だから、前の書き込みで共犯の問題は時効が完成していないというテクニックは一事不再理違反であると談じたのである。
0010 >Re: 裁判・司法行政ウォッチング(第六期) 厚顔の美少年 2008/10/15 01:03
  >「三浦元社長の拘置所内での自殺」

横レス失礼します。

(独り言)
この事件は何もかも不可解だな、先ずロス警察は三浦氏と妻一美さんを狙撃した犯人を取り逃がしているらしいが、それでもって三浦氏の共謀罪を立証できたのだろうか、次に日本政府も最高裁で無罪になった日本人が外国の出張先で突然逮捕されてから自殺に至るまで全く無関心を装っていた様だが、これも不可解だな。

法治・主権国家として最高裁で無罪と成った日本人の身柄と人権をどうして守ろうとしないのであろうか、その背景を察すれば、最高裁の判決に行政府として不満があったのであろうか。何れにしろ主権国家として外国で日本人の身柄が拘束されれば先ずその是非を交渉するのが最低限の務めではないだろうか、今回の場合大義名分の口実としては一事不再理もあれば、逆に日本には共謀罪は無いと罪刑法定主義も主張できたはずである。

一方最新のニュースの映像ではロスの日本領事館員は三浦氏がロスに移送されてから留置場で面談したことを自ら語っており、日本政府が三浦氏に関係することは何ら禁止されていないはずである。どうして今まで積極的に関与しなかったのだろうか、外務省の不作為怠慢としかいいようがない。今からでも政府として自殺の真相究明を求めて欲しいものである。今回のテロ支援国家指定解除同様全く米国の言いなりの政府では頼りない。早く政権交代して欲しいものである。

0009 Re: 裁判・司法行政ウォッチング(第六期) 名無しの探偵 2008/10/14 14:16
  「0008」の記事の一部訂正

日米の司法の違いは「死刑などの犯罪に時効はない」は「殺人などの犯罪に時効はない」というふうに訂正します。

たびたびの訂正申し訳ない。
0008 Re: 裁判・司法行政ウォッチング(第六期) 名無しの探偵 2008/10/14 14:02
  「三浦元社長の拘置所内での自殺」

アメリカの司法当局によって不当に逮捕拘留されていた三浦さんが自殺した。マスコミの社説などでは日米の刑事手続きや司法の違いが浮き彫りになったという記事が踊っていた。

しかし、この報道はミスリーディングである。(誤解)

日米の司法の違いは「死刑などの犯罪に時効はない」という点などであり、「一事不再理」の原則に日米もへったくれもない。

この冷厳な近代法の法理は歴史が近代に突入した近代市民革命期(アメリカ独立革命やフランス革命)に形成されたものである。

絶対王政の時代には権力者による恣意的な刑罰がしばしば実行されていた(ベッカリア「犯罪と刑罰」岩波文庫参照)。

こうした恣意的な刑罰に別れを告げたのが近代の大きな前進であった。
そうした近代の憲法に刻まれた刑事上の人権である人身の自由を何人も侵すことはできないはずである。

しかるに昨今のアメリカ諸州とりわけカルフォルニアでの法律の改正に便乗して司法当局は三浦氏の逮捕に踏み切ったのであるが、近代法の原則である一事不再理を曲げるわけにもいかず共犯というテクニックにより「時効が完成していない」として逮捕したのである。

しかし、このテクニックこそが「恣意的な刑事手続き」と言えるのである。
一事不再理の原則は共犯の問題など関連した事実も射程の範囲にあり、そうした恣意的な手続きの執行も許さないのである。
こうした人身の自由の歴史的な成果を考慮するならば三浦元社長の置かれた立場は
はっきりすると思う。

アメリカの司法こそ「真昼の暗黒」そのものだったのだ、と。
0006 JR岡山駅ホームでの突き落とし殺人事件の疑問 厚顔の美少年 2008/09/27 14:58
  9・25のアサヒコムによれば、表題の殺人事件を起こした18才の青年を「大阪家裁(小島正夫裁判官)は25日、第2回少年審判を開き、刑事裁判での審理が妥当として、検察官送致(逆送)とする決定を出した」と報じている。
http://www.asahi.com/national/update/0925/OSK200809250030.html

上記urlには報じられていないが、同日の朝日新聞朝刊33面には、少年は家裁の審判段階の精神鑑定では「広汎性発達障害」と診断されていたと報じている。にもかかわらず上記裁判長は刑事責任能力有りと認定し、刑事裁判での審理が妥当として、検察官送致(逆送)の決定を下したようである。

最近「広汎性発達障害」者の犯罪をよく耳にするが、このような障害者の初犯と再犯罪の確率は結構高いようである。小生も特別支援学校(旧名:養護学校)で教諭をしていた知人がいて、話を聞いたことがあるが、原因は先天的に脳のどこかに障害があり、その症状は百人が百人とも千差万別のようである。

確か15年ほど前にNHKテレビで「学級崩壊」という番組だったか、ある小学校の学級で先生がいくら注意しても授業中に教室を歩き回る生徒が何人か居て授業が成り立たず、手を焼きいて困り果て、指導方法が分からない、と悩みを吐露している番組があったことを覚えておられる方も居られると思う。今はこうゆう障害を専門用語で注意欠陥多動性障害と呼ぶらしが、これも発達障害の一種のようで、現在は普通の小学校にもこのような障害の特質について専門知識を持った先生が最低一人は居て、授業の補助をして対応がなされ改善されつつあるようだ。一方重度の障害者は特別支援学校(旧養護学校)でほぼマンツーマン教育の体制が敷かれているようである。

また知人の話では、このような障害児は言葉も十分話せない2才ぐらいから、何らかの症状(例えば不満があるときは壁に頭突きをするなど)が現れるらしいが、親に発達障害についての知識がないと、単なる癖と思い気に止めない場合も多く、小学校高学年、中学校になっても誰も障害ということに気が付かずに、周りからは変人扱いされている場合も結構多いようである。この年齢になると仲間からイジメやつまはじきにされ、またそれが積み重なって性格も歪んだり、不登校に陥るケースも多いようである。脳障害のため一生治ることはないようであるが、親が障害に気づくのが早ければ、それに合ったカンセリングを親子で受け対応することで、症状の度合いも軽くでき、学校生活や社会への順応も大幅に改善されて行くようである。

ところで本論に戻るが、当該事件を起こした少年は家裁で精神鑑定で「広汎性発達障害」と診断されていたと報じられているが、問題は何歳頃から「広汎性発達障害」であると親が気が付き、その上に立って親子で適正なカンセリングと教育を受け、社会生活へ踏み出す心の準備が整えられていたのか、その辺りのことが家裁でも十分検証されたのであろうかということである。仮に単に精神鑑定の結果が「広汎性発達障害」と出て、一定期間の面接聞き取りと鑑定調査による判定だけで刑事責任能力の有無を断定し検察に送致することは「広汎性発達障害」の内容に照らして不公正ではないかと思う。更に親が少年の幼少時代にこのような障害児であることも知らずに、或いは知っていてもカンセリング教育を受けさせられずにいたとするならば家庭の不幸と責任でもあるが、一方では教育の貧困と社会の責任でもあり、その結果が招いた事件ではないだろうか。

因みにインターネットに「発達障害」でアクセスするとurlも数多くあるが、その中からいくつか転載させて戴きたい、読んで戴ければ幸いである。如何に障害児への教育が大変で重要なことかが分かるはずである。裁判長はこの18才の少年が幼児・少年時代に発達障害児教育をどれほ受けてきたのか、またその効果を十分検証して検察官へ送致したのか疑問を禁じ得ない。また送致を受けた検察官も発達障害についてのどれほどの知識があるのだろうか、無知で裁かれるほど不幸なことはない。何れにしろ発達障害者への教育と社会の理解と受け入れ態勢の充実(ノマライゼーション)を計っていかないことには「広汎性発達障害」者の犯罪を減らし、次の犠牲者が生まれないようにすることは難しい。
http://www.hattatsu.or.jp/hattatsu_shogai_toha.htm

http://osaka.yomiuri.co.jp/mama/medical/mm20070812kk01.htm

http://www.mkc.zaq.ne.jp/see-chan/kouhan.html

http://hattatsu.movw.net/?OVRAW=%E5%BA%83%E6%B1%8E%E6%80%A7%E7%99%BA%E9%81%94%E9%9A%9C%E5%AE%B3&OVKEY=%E7%99%BA%E9%81%94%20%E9%9A%9C%E5%AE%B3%20%E7%97%87%E7%8A%B6&OVMTC=advanced&OVADID=13167801541&OVKWID=113436791541



0005 >イージス艦(あたご)側、自己保身へ転換 厚顔の美少年 2008/09/26 21:43
                 =海難審判のその後=

9・25のアサヒコムによれば、イージス艦「あたご」と漁船清徳丸の衝突事故の海難審判で、刑事裁判の論告求刑に当たる意見陳述がなされ、検察的約務側を負う理事所側はイージス艦の乗組員側に過失があったと論告したと報じている。
http://www.asahi.com/national/update/0925/TKY200809250124.html

今のところ論告は公正に進んでいるようである。しかし9・5の報道では、下記投稿のように艦長は「清徳丸の右転で危険が生じた」と証言している。確か事故当時の防衛省の発表では、衝突時には艦長はまだベッドで就寝中だったはずである、自分の目で見ていないことを、どうして見ていたかのように証言できるのであろうか、また理事と審判官をどうして説得できるのであろうか。仮に説得できるのであれば「死人に口無し」の諺を地で行く茶番劇である。

>9・5アサヒコムに拠れば、2月に千葉県房総半島沖で海上自衛隊のイージス艦「あたご」が自動操舵で直進して漁船清徳丸に衝突し漁民が遭難死した事件で、4日に第1回海難審判が横浜地方海難審判庁で開始され、イージス艦側は謝罪しながらも、「清徳丸の右転で危険が生じたなどと述べ、清徳丸の航路や操船について、起訴状にあたる申立書の事実を争う姿勢を示した」と報じている。
>http://www.asahi.com/national/update/0904/TKY200809040103.html

一方海難審判では陸上での車の衝突事故を裁く刑事・民事裁判のように刑罰も損害賠償も科せられず、勧告があるのみらしい。このような生ぬるい審判で果たして再発防止に繋がるのか疑問である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%9B%A3%E5%AF%A9%E5%88%A4
0004 Re: 裁判・司法行政ウォッチング(第六期) 名無しの探偵 2008/09/10 22:11
  今週のコラムに関連する話題ですが、この掲示板に移動しました。今日もテレ朝で報道されていた「高知白バイ死亡事故」の最高裁上告棄却判決で日本の司法は戦前の司法に一部退行しています。
白バイの死亡事故の原因となったバスの運転手に過失があり白バイに乗っていた警察官が死んだという裁判所の判決は三審で一致していたようです。
しかし、目撃証言(後ろにいたバスに乗っていた生徒や校長の証言と第三者の証言が
多数ある)によれば当該バスは止まっていたところに白バイが突っ込み自傷したというものである。
なんと裁判所(三審のすべての)はこの目撃証言を拒否してバスの運転手の「過失」を捏造したものである。
国家の側に過失(白バイの運転手)があり、民間人に過失がなくても白バイの警官が
死んだという結果を不当に重要視してバスの運転手を有罪としたのである。
(これは現行の刑法にもない犯罪を勝手に作り上げたものであり、罪刑法定主義に違反する。)
こういう裁判は刑事訴訟法の原則を踏みにじる暴挙であり、おそらく戦前の司法でも
許容されないものであろう。
現在の司法は近代以前に逆戻りしているのである。
こうした司法当局の元で「裁判員制度」が船出するとすれば泥舟に乗ったも同然の状態と断言できる。
0003 イージス艦(あたご)側、自己保身へ転換 厚顔の美少年 2008/09/05 22:41
  9・5アサヒコムに拠れば、2月に千葉県房総半島沖で海上自衛隊のイージス艦「あたご」が自動操舵で直進して漁船清徳丸に衝突し漁民が遭難死した事件で、4日に第1回海難審判が横浜地方海難審判庁で開始され、イージス艦側は謝罪しながらも、「清徳丸の右転で危険が生じたなどと述べ、清徳丸の航路や操船について、起訴状にあたる申立書の事実を争う姿勢を示した」と報じている。
http://www.asahi.com/national/update/0904/TKY200809040103.html

事故発生直後、石破防衛大臣はじめイージス艦「あたご」の船渡艦長・吉川海幕長までが遺族宅に訪問して謝罪しておきながら、今更事実を争うとはどういうことか信じられない。衝突の際「清徳丸の右転で危険が生じた」という事実があったのであれば、遺族宅を訪問した時に何故言わなかったのか、時間が経過してからそのような新たな事実が出て来ることが非常識で不自然である。半年間の時間経過で公務員特有の自己保身の本能が俄に頭をもたげて来たとしか言いようがない。

また防衛大臣も当時の国会答弁でその事実を述べていなかったとすれば不自然で国会軽視も甚だしい、被害者側は死人に口無しであることを見越して、軽々に前言を翻すようでは防衛省改革より意識改革が先だと言わねばならない。

また海難審判庁といっても国土交通省の外局であり、防衛省とはいわば内閣行政府内で身内である。民間同士の衝突ならまだしも、民と官の船舶衝突審判で中立公正な審判が保証されるとは今の日本の官僚機構では信じ難い、野党は被災漁民のためにも防衛省の言う新事実(清徳丸の右転で危険が生じた)について次の臨時国会で再度追求して欲しいものである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%9B%A3%E5%AF%A9%E5%88%A4%E5%BA%81


0002 横尾和子最高裁判事が依願退職 厚顔の美少年 2008/09/04 18:08
  今日の朝日夕刊に拠れば7月5日の当スレッドでも取り上げた最高裁判事の横尾和子氏が定年70才までの任期を2年7ヶ月残して依願退職することが報じられている、当然であろう。(urlはアサヒコムより)
http://www.asahi.com/national/update/0904/TKY200809040086.html


           ー因みに7月5日の投稿内容は下記のとおりですー

     0053 最高裁判事に官僚出身は適格か? 厚顔の美少年 07/05 18:11

7月5日の朝日朝刊37面に「学生無年金訴訟最高裁が弁論へ」との見出しで概略下記のような記事が出ている。

「学生時代に統合失調症と診断された男性二人が20才前に診察を受けなかったため障害基礎年金が支給されないのを不服として、不支給処分の取り消しを社会保険庁長官に求めた二つの上告審で最高裁第二小法廷は男性と社会保険庁双方の主張を聞く弁論を9月8日に開くことを決めた。二つの訴訟の東京高裁判決は一方が処分取り消し、もう一方は請求棄却しており最高裁で判断が統一されることになる」との内容である。要は現在社保庁の一勝一敗の状態である。

ここで問題にしたいのは、行政訴訟では厚生省絡みの訴訟が特に多いことである。例えば最近の事件では、ハンセン病患者の訴訟、薬害エイズ訴訟、中国残留孤児訴訟、原爆症認定の訴訟等も厚生省絡みであり、上記年金訴訟事件も当事者は社保庁であるが上級官庁は厚生省であり、長官は厚生省からの天下りであることは周知の通りである。

そしてこのように厚生省絡みの行政訴訟が多いにも拘わらず、先のNHK番組改編の損害賠償訴訟で不当な判決を下した第一小法廷の横尾和子裁判長も厚生省の局長を経験し社保庁長官を務め、厚生大臣を3回務めたことのある小泉前首相の内閣時代に最高裁判事に任命されているのである。厚生省絡みの行政訴訟の多さを見透かしたような人事と思われてもやむを得ないであろう。http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/yoko.html

勿論出身の厚生省絡みの事件を担当すれば原告側からの除斥(不適格)請求を待つまでもなく、裁判官自らその担当を忌避(担当事件をはずれる)するであろうが、それでもこのように厚生省絡みの行政訴訟が多ければ厚生官僚出身から最高裁判事を任命することは適切と言えるであろうか。

今後は内閣が厚労省出身に限らず、中央省庁出身者から最高裁判事を任命することは客観的に見て公正で明朗といえるか疑問である。これでは行政訴訟において公正な裁判と正義が保証されているとはとても思われない。国民の知らないところで行政側の最後の砦ががっちり築かれているようなものではないだろうか。

何れにしろ上記の学生無年金訴訟で最高裁がどのような判決を下すかウォッチングしよう。
0001 裁判・司法行政ウォッチング(第六期) 厚顔の美少年 2008/08/18 00:19
  去る8月6日の朝日新聞の報道によれば、「政府は5日の閣議で9月2日に定年退官する才口最高裁判事の後任に東京弁護士会所属の宮川光治弁護士(66才)を任命する人事を決めた」と報じている。

この人事は周知のとうり、憲法79条1項後段「最高裁判所は・・その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する」との規定に拠っている。また憲法80条では「下級裁判所の裁判官は最高裁が指名した者の名簿によって、内閣でこれを任命する」と規定されている。

我々は立法・司法・行政の三権分立制度とその必要性を教わってきたが、しかし上記の通り行政(内閣)に裁判官の人事権が握られた状態で司法の独立が保証され、公正な裁判が期待できるものであろうか

逆に言えば、全ての裁判官は憲法76条3項「すべての裁判官は、その良心に従い独立してその職務を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」に規定される精神状態に置いて職務が遂行できるものであろうか、少なくともこれまでの行政訴訟や違憲訴訟においては大いに疑問である。即ち人間(任命権者と任命される側)の本性(欲)に照らした場合、内閣による裁判官の任命制度は最適とは言えない。立法・司法・行政の真の三権分立には、少なくとも裁判官のすべての人事権は最高裁判所がもち、合議制で任命すべきがベターではなないだろうか。最高裁判事の任命報道を読んでの改めての思いである。