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  戦争中のこと
松林    −    2010/10/16-13:43:48
趣旨
0009 Re: 戦争中のこと 松林 11/05 23:08
 
1941年
 1月10日
  文部省、女学生の制服統一を決定、セーラー服を廃止し、襟を右前、ヘチマ襟に
   (何のためにこういうばかばかしいことをしたのか、さっぱり判りません。さ
    すがにすでに着ている学年には及びませんでしたが)
   22日
    産めよ殖やせよの人口政策確立閣議決定
   (これで生まれた人が兵隊になるのはいつ?)  


 3月1日
  国民学校令公布、 尋常小学校を改称 国民学校第一条「皇国民の練成」が目的
   (市民でなく「皇国民」であることを自覚させる?)
 
 7月21日
  文部省「臣民の道」刊、各学校に配布 女性は家父長を敬い、家を守る
  (なにかにつけてお説教ばかり)                                                                                                                                       10月15日
   スパイ容疑で尾崎秀実検挙、18日ゾルゲら検挙、(1944.11.7 死刑執行)
 
  11月22日
   国民勤労報告協力令公布  12月1日施行
   男子:14歳〜39歳, 未婚女子:14歳〜24歳勤労奉仕の義務を課す
   (働かざるもの食うべからず)
 
 12月8日
  真珠湾攻撃  太平洋戦争開始
  (まさに「はじめよければすべてよし」の正反対でした。厳しい言論統制のも    と、戦況は戦果を過大に、損害は過小に発表され、バカな国民(私)はそれを   信じていました)

1942年
 1月1日
  塩配給実施。ガス使用量割り当て実施(2月1日味噌、醤油配給制実施
   (お肉なんてなかったし、お魚も鮫なんかが配給された)

 1月2日
   毎月8日が大詔奉戴日に。 この日は日の丸弁当に決められた。
   (普段だってろくなおかずはなかったけれど、ご飯の真ん中に梅干一つはきつ    かった)                               
 2月1日
   衣料に点数切符制実施 
    この頃の資料はないが昭和18年には一年間に30歳以上は40点、30歳    以下は50点だった。学生服一着40点、長袖シャツ15点、靴下一足3     点、タオル一本4点など。                          (下着も靴下も継ぎだらけ・・・母さんが夜なべをして靴下を繕って、とい     う歌がありましたっけ)                       2月19日
   米国、太平洋岸に住む日系人の強制退去決定                                                      3月11日
    マッカーサー大将、コレヒドール島脱出(5,7同島の米軍降伏)
    (敗戦後の日本占領軍の司令長官のマッカーサー大将です)
        
 6月5日
    ミッドウエー海戦、
     日本側空母4隻などを失い戦局の転機となる
     (戦力の差ははじめから判っていたはず) 
    
 8月13日
   米で原爆製造のマンハッタン計画開始
                                       9月16日
   日本滞留の宣教師たちを抑留所に強制収容                                                   
              
1943年
  1月15日
   学制改革により中学の英語は3年以上選択履修。女学校は全学年選択履修に。
   (米国では軍隊・・・陸,海、空全部かどうかは不明・・・で日本語を習わせた    というのに)

  2月23日
   陸軍省、「撃ちてし止まむ」のポスター5万枚配布
    (まったく、なにやってるんだろう、国民の税金を・・・私は払ってなかっ     たけれど)

  4月18日
   連合艦隊司令長官山本五十六、ソロモン群島上空で戦死

  5月12日
   独伊軍、北アフリカ宣戦で降伏
   (日、独、伊3国同盟は?)

  9月1日
   文化学院強制閉鎖
   (こういうこともありました)
 
  10月2日
   学生、生徒の徴兵猶予停止
   (10・21 神宮外苑競技場で出陣学徒壮行会)
                                      1944年    
  3月7日
   学徒勤労動員通年実施決定
    (勤労動員強化のため。つまり勉強するなということ)

  3月29日
   中学生の勤労動員大綱決定
    (まさに狂気としか!)

  6月15日
   米軍、マリアナ群島のサイパン島に上陸(7.7、守備隊3万人玉砕)
    (「玉砕」という言葉、どう思います? 当人や遺族はうれしい?)     
  6月30日
    国民学校の初等科児童の集団疎開を決定
    (これは行った先によって随分違いがあったそうです。 宿は沢山あるけれ     どお米の取れない地域・・・当時は寒いところでは米作はできませんでし     た・・・にやられた子供は飢えに悩まされたとか)     

  7月21日
    米軍、グアム島に、24日テニヤンに上陸、8月両島守備隊玉砕

  10月10日
    米機動部隊、沖縄を空襲、那覇市は壊滅状態に


  10月24日
    レイテ沖海戦、連合艦隊壊滅状態に

  11月3日
    陸軍気球連隊、太平洋岸42箇所から米国に風船爆弾を発射
    (我が家の近くの旧登戸研究所でも作ったようです。技術はたいしたものだ     と思いますが、アメリカでの死者はたった6人です。開発にどれだけのお     金を使ったのでしょう?)                                                              11月24日
    B29、80機、東京を初空襲。主として軍需工場目標(以後東京に110    回を超える空襲。                                                                1945年                                    2月19日
    米軍、硫黄島に上陸(3月17日日本軍全滅)

   3月9日
    B29東京を大空襲。江東地区全滅。3.14大阪、5.14名古屋に来     襲、5,25東京都内大半消失。(6月以降全国54都市に来襲) 

   3月11日
    鹿児島県鹿屋基地から特攻隊出撃開始

   4月1日 
    米軍沖縄本島に上陸(6,23 守備隊全滅)                                                      4月25日
    サンフランシスコ会議、50カ国参加(6,25国連憲章調印)                                              5月7日
    独軍、連合国に無条件降伏

   7月17日
    ポツダム会談(26日、対日ポツダム宣言発表)

   8月6日
    広島に原子爆弾投下

   8月8日
    ソ連、対日宣戦布告

   8月9日
    長崎に原子爆弾投下

   8月14日
    御前会議、ポツダム宣言受諾を決定

   8月15日
    天皇の「終戦詔書」を録音放送
                               
 
0008 Re: 戦争中のこと 松林 09/27 21:59
 
珠さん、

 大変遅くなりましたが、「開拓移民」について調べていただいてありがとうございました。
 本当に重い問題ですね。移民させられた人たち、やっと農業をできても、敗戦でソ連に抑留された人たち、帰国できなかった人たち、どうにか帰国できた方たちの想像を絶するご苦労・・・そして実は自分たちの土地を奪われた方たちが一番の被害者なのだということ。

 内地にいても、空襲の後の敗戦のごたごたで、自分たちの生活で手一杯で、そういう方たちに思いを馳せられなかった、と今頃になって思い知りました。引用されている文章も貴重でした。ありがとうございました。    
 
0007 満蒙開拓移民 09/22 12:47
 
>松林さん 
>1939年
> 6月7日 満蒙開拓青少年義勇軍2500人の壮行会挙行(徴兵以前の16〜19歳の男子。45年までに8万6000人あまりが満州に送られた。敗戦でシベリアに送られたのもこの人たち。何人が無事帰還したのか?)

たしか、信じられないような死亡率だったような記憶があり、少し調べてみました。でも満蒙開拓青少年義勇軍だけの数字は見つけられませんでした。

「在満日本人開拓者移民はおよそ27万人で、そのうち引揚げに至るまでに
戦死・自決・餓死・凍死・病死した人が、約7万8500人」これに対し、

「他方、敗戦時における在満日本人の総数は、だいたい155万人といわれており、
その引揚げまでの死亡者総数は17万6000人」

「青少年義勇軍を含む開拓民の在満日本人全体に対する割合は、およそ17パーセントでしかないのに、
死亡率はというと50パーセントに近いからである。(上笙一郎『満蒙開拓青少年義勇軍』中公新書)」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/sengo14.htm

こういった数字もありました。
「シベリア抑留者は65万人、死者6万人。約9%。というのがが定説のようです。
抑留者107万人、死者34万人という説もあります。

満州開拓者は27万人、死者78000人。約28%。
青少年義勇軍は86500人、死者24200人、約28%。」

しかし、「長野県第7次斉藤中隊218人、死者123人、約56%。」というところも。
http://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/369ef74d6b576fd3b7ed2add497e21b2

こうした記憶が失われることがないように、記録を大切にしたいと思いました。
    
 
0006 戦意昂揚する新聞 松林 09/22 10:51
 
 今回の民主党の党首選で、新聞(マスコミ)が結果に大きな役割を果たしたのを見て、戦争中もひどかったことを思い出しました。当時の新聞を見たいと思いながら調べる元気が出ないでいたところ、母校の同窓会が出した『戦争と湘南白百合学園の生徒たちーー旧乃木高等女学校のころーー』の中に以下の記事を見つけましたので転載いたします。
 
 一億総動員に向かって、新聞が国民のおしりを叩いていることの一端を読み取っていただければとおもいます。昔の仮名遣い、旧漢字などで読みにくいですが。


昭和19年2月11日 朝日新聞 朝刊より転載の転載

 ”一億戦闘配置”は単なるお題目ではない、今こそ驕慢(きょうまん)米英にとどめの鉄鎚を下す銃後一億の勤労総決起の秋である  老いも若きも男も女もあげて戦ふ生産戦列へ ー そして前線将兵の叫びに応へて一台でも多くの飛行機を, 艦船を、兵器をわれらの尊い血と汗の勤労により即刻, 死闘する勇士らの許へどしどし送る義務を課せられているのだ ー 政府はこの全国民勤労総力を生産決勝の一点に結集、動員するため十日の国家総動員審議会でわが国国民登録制度に一新紀元を画する「国民職業能力申告令」の改正を決定、 直に実施に移すことになった  これはおよそ勤労に耐え得る男女国民の質と量の二面の現状をしっかり把握し職業配分や地域的勤労実情を明らかにして断固勝ち抜く国民勤労動員にゆるぎなき態勢を確立しやうといふのが狙ひである、 従ってこれまで同令による国民登録は、いはゆる「技能者登録」と「青壮年国民登録」との二本に分かれていたが、今度の改正でこれを一本に統合し、さらに登録の年齢範囲を拡大し国民勤労動員の実施を簡素強力化する一方新たに「科学技能者」の登録制度が設けられた



 元を転載した方は、図書館で調べたマイクロフィルムの活字も磨耗していて、コピーすると判読できないものもあり、前後の内容から判読されたとか、現在使われていない漢字があったとか、句読点も現在のようではないと書かれています。
 なお、この記事が載った2月11日は、日本の国が始まったことを祝う『紀元節』で、国を挙げてお祝いをする日でした。       

同誌は、当時の政治、法令や世情、生徒たちの勤労動員先の実状、生徒たちの感想等々がまとめられていて私は何かにつけて利用させてもらっています。わたしは当時すでに卒業していましたが。
                                                                                                                      
 当時も今も、「社会の木鐸」は不在ですね。                                         
 
0005 Re: 戦争中のこと   雑ー1 松林 08/31 01:25
 
戦争中のいろいろな問題を取り上げようと思って、「津田塾大学100年史」の資料編を開いていて目についたことをあげてみます。今見ると意味不明の言葉、こんな非道なことが平然と行われたのかという事柄、あるいは噴飯物の標語などなどなど、一つのテーマでくくれないことどもです。 

1937年(昭和12年)
 5月31日 文部省,『国体の本義』、学校等へ配布
   (「国体の本義」って、わかりますか?)

 8月24日  国民精神総動員実施要綱を閣議決定
   (精神を総動員するって?) 

1938年
 5月9日  満州移住会、「大陸の花嫁2400人を全国に募集
   (敗戦で引き上げもできなかった人も、子供をつれて帰れなかった人も) 
 8月16日 ヒットラー ユーゲント来日
    (旗を持って歓迎しました) 
 
1939年
 6月7日 満蒙開拓青少年義勇軍2500人の壮行会挙行
   (徴兵以前の16〜19歳の男子。45年までに8万6000人あまりが満州    に送られた。敗戦でシベリアに送られたのもこの人たち。何人が無事帰還し    たのか?)  

 6月16日 国民精神総動員委員会、ネオン、中元、歳暮、パーマネントなど廃止   決定 
   (禁止範囲は装飾品から文房具にまでおよぶ。10月にアメリカでナイロン     ストッキング発売、その前は絹でしたが、これは贅沢品、学生は木綿、
    それも繕いながらはいていました)

 7月28日 内務、厚生両省が「朝鮮人労務者内地移住に関する件」通達。強制連
   行はじまる。
   (1910年に日本は韓国を併合、朝鮮と改名。総督府を置き、45年の敗戦    まで統治)
 
 9月1日 第2次世界大戦はじまる 
 
 11月10日  「朝鮮民事令」改正公布, 創氏改名を強制
                  

1940年
 3月1日 国民学校令公布、尋常小学校を改称 
   (子供は小国民でした)
 
   30日 王兆銘、南京に国民政府樹立(日本の傀儡)
 
 4月24日  米、味噌、醤油、塩、マッチ、木炭、砂糖など10品目に切符制採   用を決定 
   (当時はマッチも木炭も生活必需品でした)
 5月1日  国民優生法公布 不健全素質者に対する優生手術、健全者の産児制限   防止を規定
   (不健全素質者って? 優生手術って?)

 7月13日  国民精神総動員中央本部贅沢全廃委員会で奢侈品使用禁止運動を決   定
   ????? 
 
 7月31日 リトアニア日本領事代理杉原千畝、ユダヤ難民にビザ発給開始

 8月1日  国民精神総動員本部、東京市に「贅沢は敵だ!」の立看板1500本   配置
   !!!!! (鈴木の学校の悪童たちの間に、「贅沢は敵だ! 敵をも愛せ!」   というのがはやったとか)                        
 9月12日 婦人参政権同盟解散
  (女はだまって・・・)      
 
 10月10日 紀元2600年記念式典、宮城前広場で挙行
   

 10月12日 大政翼賛会発会式        
  (大政翼賛という言葉も、今考えるとさっぱりわかりません)        
 
0004 「五つ目の部署」 笹井明子 08/22 07:02
 
松林さん(0001)

大事な経験・メッセージを伝えるスレッドを立てていただき有難うございます。

昨日(8/21)の朝日新聞「声」欄に、『「五つ目の部署」と疎開に送る』というタイトルで、松林さんの学生時代のご経験を裏打ちするような読者投稿が載っていました。

投稿されたのは75歳になる名古屋在住の方ですが、1944年8月に集団学童疎開することになり、その際校長が「今こそ、君たちもイツツメのブショにつかねばならない」と話したといいます。

>当時9歳という年齢では意味が分からなかったが、(略)最近(略)同年8月5日の地方紙に「獣米屠殺の部署につけ」という見出しの記事を見つけた。
>「1億は老若男女、軍籍に入って戦線に就くか、兵器を作るか、食糧増産に当たるか、国土防衛に就くか。この4部署に就くことのみが要請されているのだ。」
>だから、少国民の君達は疎開という、五つ目の部署に就かねばならない。先生が言いたかったのはこれだった、と今にして知った。
>その半月後、名古屋駅で私たちは校長先生から「君たちも戦士である」との言葉をもらい、三重県の疎開先へ向う汽車に乗った。

こうして見ると、松林さんたちは「獣米屠殺」の2つめの部署に就かされていたことになりますね。国民全体を不毛な戦争に総動員しようとした軍部、それを担いだマスコミや教育界を始めとする日本社会。国をとんでもない方向に導く言論統制の恐ろしさを、改めて感じました。        
 
0003 Re: 戦争中のこと 猫家五六助 08/18 19:39
 
松林さん
前略 タイムリーなスレッドの立ち上げ、ありがとうございました。件の話、少々要約いたしましたので、あらためて転載いたします。

********* ここから **************
 先日、数年前に脳梗塞で倒れて自宅療養中の友人Aさん宅へ、彼と同年齢の友人Bさんと共に見舞いに行きました。Aさんは少々言語障害が残っていましたが、昔の写真や資料を見ながら歓談するなど、まずまずの回復状態。

 そんな雑談を傍らで聞いていた彼のお母様(S4年生まれ)とも話が盛り上がり、私の父と同年齢だとわかりました。すると、お母様から

 「ねえ、あなたのお父さん。学徒動員とか行かなかった?」

 と聞かれました。私が「父は、立川飛行機で爆撃機のリベット打ちをしていました。あと一年、戦争が続いていたら戦死していたそうです」と告げると、

 「私はね、狛江市にあった機械メーカーで働かされたの。旋盤やフライス盤を使って部品を作って・・・とてもイヤな思いをしてねえ」

 と話してくれました。短い話から推察すると、工作機械の扱いなど初めてであろう女学生に現場の職工が辛く厳しく当たり、怒鳴られたり暴力を振るわれながら一日中働かされていたようです。この思い出話を聞き、戦争末期の粗悪な金属材料、そして急場しのぎの素人起用による加工精度の悪い部品が日本軍の兵器の品質低下を招き、戦死者を増やす要因の一つになったという文献を思い出しました。

 もちろん、Aさんのお母様が責めを負う立場ではありません。精神論や無責任・無謀な作戦で大勢の熟練兵・熟練技術者を戦死させ、素人に無理やり兵器製造をさせ、新兵・若年兵を「死」を前提として戦場へ駆り立てた、当時の軍部・国の指導者が明確に過ちを認め、過去を引き継いだ日本政府が継続して謝罪しなければなりません。

 しかし、残念ながら当時過ちを犯した軍属・権力者、その後継者は現在も日本の政治・経済の中で地位や利権を温存しているように思います。実は同行したBさんから、彼の父親(故人、大正生まれ)が生体実験で悪名高い731部隊にいたと聞かされました。

 Bさんの父は社会人になってすぐに中国戦線へ従軍させられ、復員後は某製薬会社で研究開発を続けていたそうです。戦友も製薬・薬品関連の仕事についた方が多かったとか。

 Bさんの父は退職後、戦時中の足跡をたどるために中国を旅したそうです。Bさんは現在も遺品(戦時中の写真やフィルム)を捨てられずに保管しているというので、一度見せてもらおうかと思っています。しかし、Bさんは優しい人なので、父親の知人・関係者が鬼籍に入るまでは難しいかもしれませんね。

 以上のような話を聞くと、「負の遺産」も「悪行」もフタをしたまま企業(財閥系?)という組織は利権を温存し、利益を上げて現在もテレビCMが流しているのか、と考えてしまいいます。「喉元過ぎれば・・・」「過ぎたことは言わない」が日本人の美徳として作用するならば今後、国民の権益ではなく一部の政治家・企業の権益を守るために再び戦争が起きてもおかしくないな、と・・・怖いですね。

 私は「あの過ちを繰り返さない、あの記憶を風化させない」という東京新聞の報道姿勢を支持しています。そして、過去の過ちを故意に消し去り、「日本人は悪くなかった」「日本はいつまで自虐的なの?」という輩には過去記事を突きつけたい思いです。
*********** ここまで ************

 あの戦争について当時の軍部・権力者を批判すると、必ず「そういう自分達だって一国民として日本軍の勝利に酔い、喜んで兵隊を戦地へ送り出し、戦争継続の手伝いをしたではないか」という輩がいます。そういう輩には「誰が喜んで手伝ったのか。戦争を批判・拒否できたのか」と言ってやりたいです。そして、猫パ〜ンチ! 草々    
 
0002 >戦争中のこと 名無しの探偵 08/17 20:37
 
松林さん、下記コメントリアルな学徒動員の話しで貴重な戦争体験だったと思います。
ところで一橋大学と津田塾大学との交流は今も続いていると推測されます。
今から30年くらい前にわたしは一橋大学の聴講生になり武蔵野線経由で通学しておりました。(この沿線に一ツ橋の教養学部と津田塾大学があったのだろうか)

国立の一ツ橋大学に津田塾の学生がきていたので少し会話をした記憶があります。
多分その頃読んでいたダグラス・ラミスさんのことだったと思います。

(書き込みがスムーズにいかないので以下端折ります)
当時はなだいなだ氏の奥さんがフランス語を教えていたのでなださんの講演もききました。40代のなださんでした。





>猫家さんの投稿を読んで、私も書かなければと思いました。
>
> 私は昭和19年4月に津田塾専門学校の外国語科に入りました。元々は津田英学塾といったのですが、何しろ(敵性語を勉強するのですから)それでは存続がむずかしくなったため、19年度から理科を新設し、専門学校とあらため、英文科も外国語科とかえられたのです。この時には、すでに文部省の通達で外国人(敵国人)教師はやめさせられていました。 



>
> 入学してからは一日のうち確か半日、日立航空機立川発動機製作所の電纜(エンジンの部品)つくりをしていました。3年生は9月に短縮卒業。
> 12月になってからは体育館を本格的な工場にして大型の機械を運びいれ、寮生は一日3交替で飛行機のエンジンのピストンというのを作っていました。不良品はなぜかオシャカといっていました。
> 理科生は電波に関する数値計算、分析などの作業で、工場作業はしませんでした。
> 

>
> 実は、林を挟んだ東側にある東京商大(現一橋大)予科の寄宿舎に焼夷弾が命中して炎上しましたし、校地の端にある津田梅子の墓にも焼夷弾が落とされましたが、幸い、私たちが作業していた体育館や校舎、寮は無事でした。
>
    
 
0001 戦争中のこと 松林 10/16 13:43
 
猫家さんの投稿を読んで、私も書かなければと思いました。

 私は昭和19年4月に津田塾専門学校の外国語科に入りました。元々は津田英学塾といったのですが、何しろ(敵性語を勉強するのですから)それでは存続がむずかしくなったため、18年度から理科を新設し、専門学校とあらため、英文科も外国語科とかえられたのです。この時には、すでに文部省の通達で外国人(敵国人)教師はやめさせられていました。 

当時の文部省通達
昭和18年6月25日
 学徒戦時動員態勢確立要綱決定  本土防衛のため  学生の軍事教練と勤労動員が法制化される。
 
昭和19年1月28日
 緊急学徒勤労動員方策要綱発表
  同年   3月7日
 学徒勤労動員通年実施決定  勤労動員強化のため
       3月29日
 中学生(旧制ーー小学校[当時国民学校]卒業後入学  修業年限5年)の勤労動員大綱決定
       5月16日
 学校工場化要綱通達  

 つまり、学生は勉強せずに軍需工場などで働けということでした。

 入学してからは一日のうち確か半日、日立航空機立川発動機製作所の電纜(エンジンの部品)つくりをしていました。3年生は9月に短縮卒業。
 12月になってからは体育館を本格的な工場にして大型の機械を運びいれ、寮生は一日3交替で飛行機のエンジンのピストンというのを作っていました。不良品はなぜかオシャカといっていました。
 理科生は電波に関する数値計算、分析などの作業で、工場作業はしませんでした。
 
 二つある寮の一つには軍隊が入っていたので、(校舎も半分以上だったとおもいます。何しろ授業がないので、校舎に入ることもほとんどありませんでした) それまでの一人部屋に二人、二人部屋に4人が割り当てられ、ベッドだけでいっぱいでした。深夜作業を終えて帰ってくると、仲間を起こさないようにそっとベッドにもぐりこんだものです。
 
 食事もお粗末なもので、カレー味の雑炊(お丼の中に黄色い汁が入っていて、大根や人参とご飯が浮かんでいる)とか、茹でたジャガイモ二つなどでいつもおなかをすかしていました。
 夜中に空襲があると作業を中断して手製の防空壕
にかけこみました。 防空壕は、自分たちで掘って、木の枝を並べ、その上に土を盛ったもので、直撃はもちろん、近くに爆弾が落ちたらひとたまりもありません。
 それでも、いったん空襲警報が鳴ると、一刻も早く飛び出してその防空壕に走らなければなりません。着替えする暇などありませんから服をきたまま寝ていました。  

 実は、林を挟んだ東側にある東京商大(現一橋大)予科の寄宿舎に焼夷弾が命中して炎上しましたし、校地の端にある津田梅子の墓にも焼夷弾が落とされましたが、幸い、私たちが作業していた体育館や校舎、寮は無事でした。

 こういった状況で、地方出身の学生は親が心配して休学又は退学してゆき、私の学年は入学時の半分に減っていました。
 私も8月になって体調を崩し、肺門リンパ腺と診断されて、藤沢の家に帰りました。実は、借家だった実家は、軍需工場に往復するトラックが通れるように道幅を広げるために建物疎開にあって壊されていて、父の友人の家の2間を借りて、家具の間に寝ていました。
 女学生だった17歳と15歳の妹たちは、東京螺子
と横河電機に動員されていて、ターレット旋盤やハンだ付けをさせられていました。汽車が不通になるとみなでレールの上を一駅歩いて通っていました。体の弱かった下の妹は途中で病気になり、結局同級生と一緒に卒業できませんでした。
 
 こうして終戦の詔勅を聞いたのです。
    
 
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