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笹井明子
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2010/08/01-05:43:50
映画も本も音楽も良いものは世代を超えて伝わります。そういう感動・興味を共有できる空間で、世代が結ばれて、今日から明日へ、みんなの思いを手渡していけたらすてきなことだと思いませんか。投稿お待ちしています。
0015
>>見やすい時間に再放送を!! 「國語元年」
桃李
01/04 01:59
厚顔の美少年さん
あけましておめでとうございます。本年もチラチラおじゃまいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。
>井上ひさし原作の「国語元年」を年末にNHKBSで見られたとのことですが、このドラマは標準語のない時代に地方出身者が互いに方言で意志疎通をはかろうとするところが本当に面白いですね。多分NHKの国語元年は朝ドラで「おしん」をやっている昭和58年頃放送しているのを見たような気がします。
昨年末は「おしん」もオンデマンドでみました。亭主が名前は知っているがドラマを見たことがないというのでみてみたのです。まだ最初の部分しか見ていないので
「これみているとおしんはどこにも悪いところがないみたい。欠点がないみたい。」
くらいの感想しか聞いていませんが、どんどん大人になっていくおしんの生き様をみて、また違う感想をきけるはずなので、たのしみです。
「國語元年」はふたりでほ〜と感心したり、ケラケラと笑いながら録画をみています。
お正月番組として放映してもいいくらい面白いと思うんですが、厚顔の美少年さんは舞台もご覧になられたのですね。
これはドラマとはいえ、明治のはじめ、国語が統一される前はほんとうに大変なことだったんですね。
現代でも、集団就職で鹿児島から大阪にうまれてはじめて出てきた方のはなしをききましたが、テレビもラジオもなかったので、大阪の言葉を聞くのが生まれて初めてで、最初は何を言っているのか分からずに困った。とおっしゃっていました。
そう思うと、共通の話し言葉の普及については、音声メディアの役割はとてもおおきかったんだな。と思います。
「國語元年」わたしぜひぜひ舞台でみてみたいと思い、こまつ座のホームページを見てみました。
舞台を見ることができたら、大勢の方と笑えてたのしいだろうなぁ〜
>
>また当時NHKの国語元年のドラマが大変おもしろかったものですから、5,6年前に井上ひさしものを専門に演じる「こまつ座」が関西公演に来たとき見に行き、腹を抱えて笑わして貰ったことを思い出し横レスさせていただいた次第です。
http://www.komatsuza.co.jp/contents/performance/2005/04/076.html
>
>>昨年末感動したことは、井上ひさしさんの「國語元年」をNHKの、BSだったと思いますが、晋也に主人とテレビでみて感心したりわらったりできたこと。
>>
>>こんなよいドラマ、もっとみんなが見られる時間に再放送するべきです。
>
0014
>見やすい時間に再放送を!! 「國語元年」
厚願の美少年
01/03 23:44
桃李さん、新年おめでどうございます。
井上ひさし原作の「国語元年」を年末にNHKBSで見られたとのことですが、このドラマは標準語のない時代に地方出身者が互いに方言で意志疎通をはかろうとするところが本当に面白いですね。多分NHKの国語元年は朝ドラで「おしん」をやっている昭和58年頃放送しているのを見たような気がします。
また当時NHKの国語元年のドラマが大変おもしろかったものですから、5,6年前に井上ひさしものを専門に演じる「こまつ座」が関西公演に来たとき見に行き、腹を抱えて笑わして貰ったことを思い出し横レスさせていただいた次第です。
http://www.komatsuza.co.jp/contents/performance/2005/04/076.html
>昨年末感動したことは、井上ひさしさんの「國語元年」をNHKの、BSだったと思いますが、晋也に主人とテレビでみて感心したりわらったりできたこと。
>
>こんなよいドラマ、もっとみんなが見られる時間に再放送するべきです。
0013
見やすい時間に再放送を!! 「國語元年」
桃李
01/03 17:41
昨年末感動したことは、井上ひさしさんの「國語元年」をNHKの、BSだったと思いますが、深夜に主人とテレビでみて感心したりわらったりできたこと。
こんなよいドラマ、もっとみんなが見られる時間に再放送するべきです。
明け方までかかっての全回再放送で、あんまり遅い時間だったのでまだ全部見終わっていませんが
実に面白いし、国語と政府の権力の関係、外国との関係にで、こうなのかな〜となんとなく思っていたことがはっきりして、面白く見ています。
NHKさん、義務教育以上のこどもにも見てもらえる時間に再放送してください。
0012
星の国から孫ふたりーバークレーで育つ「自閉症」児
パンドラ
12/08 00:45
「星の国から孫ふたりーバークレーで育つ『自閉症』児」門野晴子
著者、門野晴子さんはお孫さんふたりがアメリカ、北カリフォルニアのバークレーに
在住しています。
この本にあるように門野さんのふたりのお孫さん、エリックとジェニファーは
オーティズム(自閉症)児です。
このふたりの異星人のような幼子が公立幼稚園で熱意あふれるスタッフと遊び、話し
歌い、絵を画く‥その活き活きとした姿がユーモアとウイットに富んだ文章で綴られています。
アメリカの自閉症児に対するスタッフや支援体制の充実には目を見張るものがあります。印象的だったのは、アメリカ在住の日本人の女性がこの子ども達を「かわいそう」
と言った言葉です。
「障がいを個性としてありのままを受け止める」
言うはやさしいのですが、家族として実行するのは難しい事だろう思います。
この子達の母も門野さんも時には、ある時は頻繁に子ども達のベヒーベア(パニック)に悩まされ、格闘します。
エリックは奇声を上げて、テレビやたんすの上から飛び降り、引き出しの衣類を部屋中にまき散らし、レストランなどでもところかまわず寝転がって泣きわめきます。
「そういうクソガキのバンビ(エリックの愛称)でも愛するのか?愛せるのか?」
と著者は自問自答します。
しかし、「こちらの意のままになるいい子の時だけ愛するのなら、それなら一般的な
孫育てと変わらない、あらゆる競争から降り『人並み』になることから遠慮し、ゆっくり、ゆっくりと今ある命をいとおしんで生きていきたい、説得も脅しも取引も通じぬ
一筋縄ではいかない個性の孫で」
と自ら答えを出します。それと同時にエリック達を取り巻く公立幼稚園のスタッフの
接し方や助言でどんな時にパニックになるか、何が原因で、パニックを起こすのかも分かって来ます。
もちろん、原因があっても全て取り除く事なんてできない、その時々の困難さと家族は付き合っていくのです。
やがて、エリックとジェニファーはゆっくりと、しかし確実に、三歩進んで二歩下がる
の状況ではありますが成長していきます。
その後も、門野さんと子ども達の母は、子ども達が自ら命に関わる事故を起こしそうになったり「クソガキ」の行動力に振り回されながらもその成長を見守り、常に前向きに生きています。
そんな中で著者は友人に誘われイラク戦争反対の「アンチウオー・マーチ」
に参加します
その時、「高齢者のエチケット」とパンツ式の紙おむつをはいて参加したのです。
広いアメリカではすぐ公衆トイレが見付かるとは限らない、その時慌てないための用心だと。
7万人の人々が参加したというマーチで、紙おむつをはいて、軽やかに、楽しげに、
踊り、歌い、行進します。人々の注目を浴びるほどのダンスとマーチと紙おむつ
著者のパワフルな行動力と視点を変えるだけでこんなにも事態が変わってしまうのだと
改めて感じました。
0010
「ちいさいお家」 中島京子
パンドラ
09/16 00:09
ちいさいお家 中島京子
この物語は戦前の中流階級の家で女中さんとして働いた
少女タキの視点で描かれている。
白地に青い水玉模様のワンピースを着て、1歳の恭一坊ちゃまを抱いて、飛び出して来るようにタキの前に現れた時子奥様は、タキよりも八歳年上でまだお嬢様と呼んだ方が相応しいような若くて、美しい人だった。
「タキさんと時子、何か名前がよく似ているわね」
という最初の言葉をかけた、時子は、家事全般に精通したタキを頼り
タキも優しい時子を慕っていた。
可愛い恭一坊ちゃまと働き者のご主人が建てた赤い三角屋根の家での暮らしぶりは、
タキに
「私このお家を一生お守りいたします」と言わせるほどキラキラ輝いたものであった。
タキの回想文を読んだ、甥の次男の健史が言っていたように
昭和5年から10年以降の日本の情勢はタキが懐かしく回想しているような
気楽で能天気なものではなかったのだろう。
南京大虐殺の悪夢も起こっていたのに東京では、戦勝大セールのアドバルーンが上がり
人々はデパートのセールに押しかけ、小さなお家に住む人達の関心事は、東京オリンピックの開催に向けて東京誘致がどの位進んでいるかと言うことだった。
そんな平和な家庭が少しづつ変化し始めるのは板倉正治という、この家の主人の若い部下がこの家に出入りするようになってからだった。
私がこの物語を読んで不思議に感じたのは、時子の夫、平井の旦那様が夫というより
父親のような存在に感じたことだ。恭一は一度目の結婚の時に前夫との間に出来た子どもで平井の旦那様の子どもではない。しかし旦那様は恭一を我が子のごとく可愛がっている正治が家に出入りするようになっても取り立てて事件が起こる事もなく、戦争が進んで華美な物や催しが規制されることはあっても、タキの小さな家の生活は楽しく平穏に過ぎていった 。
この物語の最終章はそれまでの視点を変えて、甥の次男、健史の視点で描かれている。
そしてこの最終章は、この物語の小さな家の人々の心の内を描いていて、それまでの
物語を大きく変えてしまうものとなっている。
旦那様の心情は最後まで分からなかったが、時子をめぐるタキの思い、時子の友人睦子の
「女学生のころ、とてもきれいだったのよ、時子さん、〈中略〉みんな好きになっちゃうのよ〈中略〉罪ねえ、きれいな女って」
という言葉に垣間見られる睦子の思い。
実はこのちいさなお家で、時子の小さな息子恭一の心情も含めて
時子をめぐる人々の様々な思いが交差していたのが分かる。
そして息子恭一が、既に齢八十を過ぎて、タキの甥の息子健史と出会い
あの時代は誰もが何かしら不本意な選択を強いられたーという言葉
「強いられてする人もいれば、自ら望んだ人もいて、それが不本意だったことすら、
長い時間を経なければわからない。そういうことがあるものです。〈後略〉」
と語るように、日本という国を動かしていた人々、いや世界の国々を動かしていた
人々により知らぬ間に人生を翻弄された人達。
しかし彼女達は、大きく不穏な空気が近づいてくることを少しだけ不安に感じながら
日々の暮らしをこの小さな家で営み楽しんでいたのだろう。
その視線の先にあるものは何だったのだろう。
そんな小さな疑問を感じながら私は本を閉じた。
0007
「少国民たちの戦争−日記でたどる戦中・戦後」(志村建世・社会批評社)
笹井明子
09/04 10:41
今年8月10日、終戦の日に先立って発行されたこの著書は、著者が国民学校2年生の時に始まった太平洋戦争とその後(戦中・戦後)について丹念に綴られた当時の日記をもとに、60数年後のいま大人の視線で見直し、簡潔に纏められた、市井の人の目に映った日本の昭和史です。
著者は、出版業を営む父親と生活力旺盛で聡明な母親に大切に育てられ、伸び伸びと暮らす少年でした。そんな恵まれた暮らしの中にも「開戦」のニュースが届きますが、少年だった著者は、日々発表される「戦果」を、ある種ワクワク感を持って記録していきます。
戦争の影響が身近に近付いてくると、家族は力を合わせて立派な防空壕を作ったり、強制疎開の跡から使えそうな建具などを集めて保管したりと、庶民のたくましさを見せもします。親戚の一人から中国で残虐な行為をした話を聞いたり、学童疎開の体験をしたり、兄が学徒動員で出征したりと、戦争は個々人の暮らしに影を落とし始めますが、少年だった著者は「戦争とはそういうもの」と、案外淡々と受け止めているように見えます。
時間の経過と共に、日記に記された「威勢のいいニュース」も、「貧しくなる食卓」風景も、日々激化する空襲の記録も、恐らく当時の少年はそれと意識することなく、戦況がどんどん悪化していることを、明確に伝えていきます。そして、東京大空襲、沖縄の地上戦、ポツダム宣言の「黙殺」、広島・長崎を経て、終戦。
人々に大きな惨禍を残した戦争でしたが、兄の無事復員を含め、著者自身はそれ程大きな被害を受けることなく、戦後を迎えます。そして、戦後は駐留軍との子供らしい無邪気なかかわりを含め、社会の仕組みや価値観の転換を、若く柔軟な感性を持って興味深げに観察しています。
毎年8月になると、本やテレビや新聞で戦争体験の話に接してきましたが、戦争が暮らしの中に溶け込んでいる風景が、これほど平易な言葉で、体系だって語られたものを読んだのは初めてです。その内容は私自身の母から断片的に聞いた話しに通じるものがあり、恐らく私がもう少し早く生を受けていたら、困難の多少は違ったとしても、同じような感覚で戦時下を生きていただろうと、想像が働きます。
そしてそこから更に、大空襲、地上戦、原爆の犠牲になった人たちも、こんな風に日常の中で戦争を受け入れ、戦時下の暮らしをたくましく営んでいたのではないか、「その日」が来るまでは・・・との思いが自然に拡がります。
無事終戦を迎えられたものと、戦争の犠牲になったものの違いは、確かに「運命」としか言いようがないのかもしれません。しかし、著者が「まえがき」に書いているように、戦争そのものは「止めることもできる」ものだったことを、今の私たちは知っています。「普通の暮らし」を守るのか、「別な大義」のために壊すのかは、「権力者の意志」にかかっていることを、この本はさりげなく伝えてくれています。著者が希望するように、「主権者である国民の資料」として、是非多くの人に読んでもらいたい、との感想を持ちました。
0006
「昭和という国家」(司馬遼太郎・NHK出版)
笹井明子
08/22 15:11
8月になると、テレビも新聞も戦争について特集を組み、戦争の体験談に直接、間接に接する機会が増えますが、当時の話を聞けば聞くほど、一体あの戦争は何だったのか、なぜあの戦争は始まり、なぜ何時までもずるずると引き摺り、国民に無用な犠牲を強いることになったのかを、自分なりに理解したいという気持ちが強まっていきました。
そんな昨今、たまたま手にしたのが「昭和という国家」という本です。これは、1986年5月から1987年2月にかけて放送された、NHK ETVの『雑談「昭和」への道』という番組で司馬遼太郎氏が語った話を整理・構成して出版されたもので、敗戦にショックを受けた司馬氏が、太平洋戦争という「馬鹿な戦争をやった人間が不思議でならない」と感じ、その不思議の謎を、当事軍部にいた人たちへの取材や自身の歴史観、社会観、言語に対する認識などを駆使して解明しようとした、渾身の内容となっています。
著書の中で、司馬氏は以下のように語ります。
+++
あの「下らない」戦争に突入した究極の要因は、昭和10年から20年にかけて、日本が「統帥権」によって軍部に支配、占領されたことにある。明治憲法も立法、行政、司法の三権分立を基本に掲げているのに、昭和に入って、三権の上の超越的な権力として、統帥権という「インチキの理論」が出てきて、軍参謀本部がそれを握り、「帷幄上奏権」なるもので天皇をも巻き込み、日本国民を統治・支配することになった。
軍とは元来、社会における思想のバラエティを嫌う性癖、性向がある。国家の用心棒に徹している間はそれで良いが、昭和初期からは軍が国家の主人になってしまい、彼らの思想で国家を統一しようとした。こうして満州事変を意図的に起こし、それからわずか10年後には太平洋戦争という滅亡への戦争に突き進むことになった。
骨董品のような兵器しか持たず、食料の確保もおぼつかない状態で、絶対に勝ち目がない戦いに挑むというのは、今では信じがたいことだが、士官学校や陸軍大学校という閉鎖社会で秀才教育を施された当時の軍人達には、リアリティを見る合理性や自分を相対化する力が決定的に欠けていた。そして自己を絶対化し、教育勅語や軍人勅諭を利用した空疎な言語の魔術を使って国民を誘導し、さらに国家総動員法によって、国家そのものを、一市民にいたるまで軍人に準ずるような扱いにして、日本という国を戦争に導いた。
一方で、日本は官僚国家であり、国を戦争に導いた軍参謀本部も、その組織あるいはポストが思想を持っていたのであって、その椅子にだれが座ろうとも、その椅子の思想で振る舞い、ものを言っていたに過ぎない。その意味で独裁者なき独裁国家だった。その結果、責任を取るべき人物を特定できないまま、無用な惨禍を重ねた揚句にようやく敗戦の日を迎えることになった。だれが悪いということを言えない昭和史のいらだち、昭和元年から二十年までの歴史を見るときの、えもいわれぬいらだちの一つは、そこにある。
+++
司馬氏の指摘する、官僚組織がもたらす弊害は、戦後の今も現存していることを、私たちも日々「いらだち」と共に感じています。また、マスコミ等を通して流される「空疎な言葉の魔術」に、今もなお私たちは踊らされがちだという現実は、多くの人が指摘するところです。
それでも、戦争の悲惨を肌で感じ、立憲国家の重さを知った人たちが、それを語り次世代に引き継いでいく限り、憲法を無視した理不尽な政治家や官僚組織の暴走に対して、私たちはもう決して唯々諾々と従うことはないでしょう。
司馬遼太郎氏は、小説家であって厳密さを求められる歴史家ではないとは、しばしば言われることですが、昭和初期から戦争に進んだ「昭和」という国家に対する司馬氏の歴史認識や国家批判は、あの戦争で何があったのかを理解する上でも、今とこれからの日本のあり方を考える上でも学ぶことが多く、充分に読む価値があると、私は感じました。
0005
Re: 明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽(第八期)
名無しの探偵
08/15 20:48
SF映画「第9地区」
2010年4月に日本で公開された映画でしかもSFであるのにアカデミー賞4部門に
輝いた。
ストーリーは南アフリカのヨハネスブルグの上空に突然現れた巨大な宇宙船。地球に
侵略に来たのではなく事故か何かで不時着したらしい。地球人が上空に留まっている
宇宙船に乗り込み内部に突入するが、中には飢餓状態の宇宙人が大勢いた。
放置するわけにもいかず、難民キャンプを設置するが20年も経過してしまう。その間に附近住民(黒人がほとんど)と宇宙人(エビと呼ばれる)との対立が激化し第9地区はスラム化してしまう、そこで多国籍企業の会社に委託して難民キャンプからの立ち退きを宇宙人(150万人も)に命令することになった。
この立ち退きの現場指揮人者に任命されたのが主人公のヴィカスであったが、ある宇宙人(もう一人の主人公)の立ち退きを命じているときに奇妙なガスを浴びてしまう。
この事故で彼は感染し宇宙人に変身しかけるが、狡猾な科学者たちは彼の肉体を利用して宇宙人の秘密兵器を動かそうとするが、ヴィカスはなんとか逃亡し、あの宇宙人の家を訪れ元通りの人間の身体に戻してくれと懇願する。
その宇宙人はその奇妙なガス実は液体が宇宙船を動かすエネルギーであると告白。ヴィカスとともに一縷の望みを掛けてラボに戻ることになるが、土壇場で失敗してしまう。
(この後の展開はネタばれになるので省略)
本作品は監督(ニール・ブロンカンプという30歳の南ア出身の青年)がアパルトヘイトの国で育ったことが背景にあり、宇宙人の難民をどう扱うかで様々なトラブルや
人種問題などがSF作品に盛り込まれている。
しかし、映像表現が巧みで(日本の漫画主にSF漫画からの影響が大きいという)娯楽作品として成功している。
戦争が絶えることのない地球であるが、そういう戦争の原因となる人種問題や武器の
大量売買で儲ける多国籍企業:兵器産業とか傭兵会社や政府の委託を受けた代理会社などの実態をこの作品で登場させており、単なるSF作品に止まらない問題を投げかける映像にもなっている。
0003
>戦争を描いた映画2編 「蟻の兵隊」、「氷雪の門」
パンドラ
08/08 19:03
珠さん
こんばんは
「蟻の兵隊」私も数年前に地元の市民ホールで上映されたのを見ました。
監督の池谷薫さんと奥村和一さんのトークショウもあり色々興味深く見る事が
出来ました。
奥村さんって、そこはかとないユーモアがある方なんですね。
池谷監督もおっしゃっていましたが、映画を上映するために若者に話を聞こうと
いうシーンがあって何故か奥村さんが近づいていくのは若くて可愛い女の子ばかり
だったとか。
とても悲惨で凄まじい体験をなさったのに、そしてこのドキュンメンタリー映画は
そこの所もきっちり描いているのに、例えば奥村さんがかつて自分が兵隊として
過ごした中国三西省の村を歩いていると「何だ、結構じいさんじゃないか‥」という
村人の声が聞こえて来たり、結構笑いを誘う場面もあるのです。
それに珠さんが書いておられた
奥村さんが小野田さんに言葉をかけた時の、小野田さんの表情が私は忘れられません。
それまでのにこやかな表情を一変させるほど、奥村さんがかけた言葉は小野田さんの
中なある何かを刺激させたものだったのでしょう。
お二人とも戦争という国家が人に対して行った残酷な仕打ちに翻弄された人達だったのだけれど、それぞれ「戦争」に対しての考え方が違っていたのかも知れませんね。
とにかくまだ御覧になっていらっしゃらない方は是非劇場に足を運ばれることを
お勧めいたします。
0002
戦争を描いた映画2編 「蟻の兵隊」、「氷雪の門」
珠
08/08 16:03
今、「中国映画の全貌2010」という映画祭をしています。
http://www.ks-cinema.com/movie/china_2010.html
15日と19日には、「蟻の兵隊」と言う映画が上映されます。
これはポツダム宣言が出て終戦になったのに、中国山西省にいた北支派遣軍第1軍は残留を命じられ、兵士59000人のうち約2600人が中国国民党系の軍閥に合流させられた、その兵士の1人の今の姿を追ったドキュメンタリーです。
どんなに日本に帰りたかったことでしょうか。それなのに彼らは何も知らされずに、4年間もの間、共産党軍と戦い続けたのです。そして約550人が戦死、700人以上が捕虜となったのだそうです。
しかも、ようやく帰国した彼らは、武装解除に違反して戦い続けたとして、日本で戦犯の扱いを受け、軍人恩給も支払われなかったというのです。
何故残されたのか?を元兵士のご老人は追求し、中国にまで渡ります。そうせざるを得ないお気持ちだったのでしょう。小野田氏に、彼がかける言葉のシーンは痛切です。
もう1本の「氷雪の門」は、終戦直後の樺太で起きた事件をドラマ化した映画で、1974年の制作ですが、当時のソ連が圧力をかけて上映を中止させたというものです。
1945年8月9日、ソビエト連邦が日ソ中立条約を一方的に破棄して侵攻を開始し、樺太でも日本人はソ連兵に追われて南下しましたが、その避難の行程も描かれています。
そして20日には、ソ連艦隊が沿岸から樺太の街に猛攻撃をかけ、真岡で電話交換手として連絡手段を確保しようと非難せずに残っていた9人の女性たちは自決したのです。樺太での民間人の死者は3500〜3700人と言われます。
女性達が死を選んだことが何とも痛ましく、沖縄の集団自決と重なります。ソ連兵が捕虜を手ひどく扱ったことが事実であったことは知っていますが、何とか生き延びる方法は無かったのかと、本当に哀れです。
兵士だけでなく、民間人ですら、戦中の「生きて虜囚の辱めを受けず」といった教育がされていたことなども思い合わせ、戦争とは何だったのか、どんな異常なことが戦争では起きるのか、その酷さ、悲惨さを知り、考えるためにも、この2本、見ておいて良い映画だと思います。
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