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  体感速度20kmの社会と日本国憲法
笹井明子    −    2005/12/05-15:23:32
【テーマ趣旨】
新自由主義=市場主義政策は、「人間の生理に反し、未来への希望を奪い、社会から思いやりを奪う」もので、結果として今私たちに「生き辛さ」をもたらしている。
・今必要なのは「ゆっくり」「安心」「家族・共同体・社会」の再構築。
・こうした社会イメージを今の「日本国憲法」は全て網羅している。これらの具現化を怠ってきた政治や国民の意識に問題がある。
・憲法改正論の本質は、「日本社会を資本のサーキット場にするための論理」と捉え、その視点で「護憲」を語る必要がある。
0013 Re: 体感速度20kmの社会と日本国憲法 流水 01/06 11:59
 
1月3日付けの毎日新聞10面・11面に、「明日を植える」という記事が掲載されていた。和泉雅子・酒井雄哉・宮脇昭さんの対談記事です。
直接お目にかかったのは酒井雄哉さんだけですが、いずれの人物もわたしにとっては馴染み深い人たちで、思わず見入ってしまいました。
皆さんもご存知でしょうが、少し説明すると、和泉雅子さんは浦山桐郎監督の「非行少女」で主役を演じ、モスクワ映画祭で金賞をとって一躍有名になった。吉永さゆりなどともに、日活を代表する女優でした。
その後、女性初の北極点踏破など冒険家として名をはせています。

酒井雄哉氏は、比叡山延暦寺の僧侶で、荒行として有名な【千日回峰行】を二度行い、『大阿闍梨』の称号を与えられています。
延暦寺信徒の間では、『生き仏様』として尊敬を集めている人物です。わたしも比叡山延暦寺の不動谷(行者があつまっている所)の弁天堂というところで3ケ月間生活したことがあり、その折酒井雄哉氏に3度くらいお目にかかったことがある。
わたしがいたのは、12月・1月・2月というもっとも寒い時期でしたが、酒井氏はその時期水垢りをしていました。弁天堂に集まる僧侶たちの間では、酒井氏は死ぬのではないかという噂がもっぱらでした。
ところが、弁天堂の祭礼(巳成金といい、毎月巳の日に行われる。特に12月31日から正月にかけて行われる祭礼が最大)でお目にかかった酒井氏は肌の色艶もよく、若者そこのけの健脚で歩く姿は、僧侶たちの噂話など吹き飛ばすものでした。
お酒を差し出したわたしに「いつからきて、どこから来て、何のためにきた」のかを問うた酒井氏は、「ひたすら歩くことです。歩いて歩いて邪念を捨てなさい。」と助言をして、お酒をぐいと飲み干し、風のように去っていきました。
小柄で何の変哲も無いただのおじいさんのように見える彼の姿が、まるで巌のような大きさに見えたことを鮮明に覚えています。

宮脇昭氏は、岡山県では有名な人物です。吉備の中山(吉備津神社のあるあたり)での植林活動は、彼の『自然・緑』に対する思想を反映した画期的なものです。
彼は、日本列島に照葉樹林を復活させるというコンセプトで植林活動を行っているのですが、彼の植林活動が他の植林活動と決定的に違うのは以下の点です。
彼はそのことを以下のように述べています。

【生物社会では最高条件と最適条件は違います。すべての敵に打ち勝ち、すべての欲望が満足できる最高条件はむしろ危険な状態です。生態学的な最適条件とは生理的な欲望をすべては満たせない、少し我慢を強いられる環境が持続的に生きられる状態なのです】
そして、その土地に合った木を植林することこそ、本物の森を復活させることになる、と説きます。例えば、西日本では、シイ・タブの木・カシ類などの広葉樹林でそれを【混在】させることこそが、本物の森の復活になるというのです。

ここにも体感速度20km社会の一つのヒントがあります。【最高条件】と【最適条件】は違う、という彼の指摘は、きわめて重要です。
【新自由主義理論】の誤謬は、企業活動や人間の欲望の充足に対する【最高条件】を与えようという理論にあります。
しかし、それは大多数の人間にとっての【最適条件】ではないのです。
宮脇氏流にいうならば、ヒノキとかスギのような経済効率の良い木だけを植えて、【混在】を許さない過去の植林の思想と同一だということになります。
このような「単一」の思想を排除することが、本当の森の復活だというのが、彼の植林の思想だというわけです。

宮脇氏流の【混在】の思想は、文化や人間に対する深い洞察を生み出します。この毎日新聞の3人の対談で語られている内容は、経済評論家などが語る効率性の議論などでは考えも及ばないような深い洞察に満ちています。

経済効率の【最高条件】を追い続ける思想では、文化はやせ続ける、ということをこの対談は、逆に証明しているのです。










    
 
0012 【こだま】の響きあう社会 流水 12/16 15:50
 
「あなたと 呼べば
あなたと答える
山の こだまの 楽しさよ
・・・」

確か、【二人は若い】という青春ソングだったと思います。
新婚ほやほやの若い二人の将来への夢一杯の様子が伝わってきます。
この歌が流行った時代、日本は高度成長期で、「こだま」が響くように相手のことを分かろうとする姿勢がありました。

「遊ぼう」というと
「遊ぼう」よかえる

「馬鹿」というと
「馬鹿」とかえる

「遊ばない」というと
「遊ばない」とかえる

「ごめん」というと
「ごめん」とかえる

金子みすずの詩です。金子みすずは、「こだま」のようにかえる人の心の返り方を平易な言葉でじっと見つめています。
金子みすずの詩を発掘した児童文学者は、金子みすずの詩の凄さを、「こだま」に喩えてこう語ります。
「彼女の詩は【こだま】なのです。こちらが悲しいとき、悲しく答えてくれる。こちらがうれしい時、うれしく答えてくれる。
間違っても、悲しいとき【悲しくないんだよ】とか【がんばりなさいよ】とは答えない。
彼女の詩は、読者にとっては【こだま】と同じ存在なのです。」(NHK ふるさと特集 山口)(※言葉は、わたしが大意を書いているので、この通りではありません。)

この話は、大変参考になります。
新自由主義論が席巻している現在の社会の息苦しさは、【こだま】の響きあわない社会・世の中の息苦しさなのです。
ホームレスの悲惨さ(この寒さで今年も多くの凍死者がでるでしょう)・独り暮らしの老人の寂しさ、年金生活者の苦しみ、全ての公共機関を失いつつある田舎生活者の不便、犯罪被害者の恐怖・怒り・悲しみ・苦しみ等など、社会的弱者の叫び、うめき、苦しみ、悲しみに対する政治や社会からの【こだま】のような響きはありません。
あるのは、【自己責任】だとか【親が悪い】だとか【自分ががんばれば】という聞きたくもない言葉だけです。

金子みすずのような【悲しいとき、悲しい言葉が返る】という社会ではなくなったのです。
ごまめの翁さんをはじめ多くの人が経験された戦争中の悲惨な体験を「こだま」のように受け取る人が少なくなり始めたのです。
「こだまの響きあう社会」ではなくなり始めたのです。

わたしは、このような社会になった原因の多くを【新自由主義理論】の浸透にあると考えています。

人が【生きる】ためには、【こだまが響きあう】関係を持つことが大切です。どんなにお金を持っていても、どんなに偉くなっても、「こだま」が響きあう関係をどこにも持っていない人間は不幸なのです。
ヒューザーの小嶋社長や総合経営研究所の内河所長に「こだま」を返そうという人は少数だと思います。
彼らのような人間が多数を占め、権力を把握した社会を想像すると、背筋が凍るような思いがします。
【新自由主義理論】は、そのような社会を目指しているのです。

【体感速度20km社会】とは、そこにすんでいる人間が、【こだまの響きあう】関係を結べる社会と言い換えてもよいかも知れません。



    
 
0011 此のスレッドにそぐわないと思いますが ごまめの翁 12/14 14:08
 
体感速度20kmの社会と日本国憲法
 このスレッドには相応しくないかも判りません。また、難しいことは書けません。私は歯科技工を営んでいましたが半世紀の間に五回しか値上げが出来ませんでした。その男から見た今日の経団連会長の話から感じたことを書いてみます。

 今朝の新聞のトップに日本経団連賃上げ容認

http://www.asahi.com/business/update/1213/115.html

 日本経団連は13日、06年春闘の経営側の指針を発表し、賃上げできる状況になりつつあるとの認識を示した。企業業績が過去最高の水準となり、「デフレ脱却」も視野に入りつつある経済状況を踏まえた。主要な産業別労働組合は鉄鋼が6年ぶり、電機が5年ぶりに賃上げ要求を掲げる方針。06年春闘は久しぶりに「賃上げ」を巡る攻防が焦点となる。

 と有りました。

 不思議です。日本の製造業は従業員の賃金の高い日本を敬遠して、賃金の安い中国、東南アジアに拠点を移している。そして企業は多くの従業員をリストラして、不足の人員は賃金の安いパートや派遣社員に切り替えている。そして多くの失業者やニートと言われる人々が溢れています。

 今、あらゆるものが、製造会社は日本の会社。製造や生産はチャイナか溢れています。もしメードインチャイナの全製品を日本で生産されるのなら、失業者は全く居なくなるのは間違いないと思います。
 でも高い賃金ではコストが上がることは間違いない。家を建築する半分は人件費とも聞きます。建築ばかりでなく政治家からあらゆる職種の給料が下がれば文句はないのですが、益々貧富の差が生じる難しさが有ると思います。

 パソコンに関連周辺機器について云いますと、私がPCを始めた13年ほど前、スキャナーが20〜25万円(今は1.2〜2万5000円)。MO・250MBが15〜20万円(今は1.3GBも有って2〜2.5万円)価格は10分の1程に成っているのです。    
 此れ等の生産拠点は中国だから此の様に安く成ったのだと思います。もし現在の日本で生産されていたらどのくらいの値段になるのでしょう。

 国際競争に負けないために外国に生産拠点を移した企業、経営者は生き残ります。しかし日本の国内では失業者が出ます。また給料を上げてもらえる企業の従業員の方は良いでしょう。
 サラリーマンの中にも勝ち組負け組が出て貧富の差が生じます。そして益々日本ではロボット生産以外、人の手を煩わす生産物は国際競争に付いていけなく成るでしょう。

 景気回復とは何なのだろう。バブルの時のようにジャブジャフ物資を使うのが景気回復なのだろうか。ここらで、日本国民全員が給料が上がるのが景気回復か。其の為により以上の生産物が賃金の安い外国に流れてしまっても良いのか。政治家、企業、国民も真剣に考える時が来ていると思うのです。
    
 
0010 Re: 体感速度20kmの社会と日本国憲法 笹井明子 12/14 11:18
 
【0009】に対する流水さんからのお返事です。(これは、非公開掲示板に書かれたものですが、流水さんのご了解がありましたので、こちらに転載します。)

*********

●ただ、パンドラさんの隣にいらした男性の方が、やんわりとですが、リタイアした人やフリーターのような人にはいいけど、みたいなことを仰っていたので、確かにそうかもしれないと思いました。社会の第一線で働いている人に、どうやってそれをわかってもらえばいいのだろうと。。。
 
ものを作って売るということも、そもそもそれを使う”人のため”という気持ちがなければ、結局今回の偽装マンション事件のような結果を招くと思うんです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この指摘は非常に重要です。
【体感速度20km】の社会をただちに実現しようとしても 、現実的に不可能であることは誰にでも分かります。その意味では、【体感速度20km】は、象徴的な意味合いなのです。難しいのは、このような社会を念頭に置きながら、どのような具体的な方法でそれを実現していくか、という問題になります。

今日、NHKの「未来人間」で【楽しい会社】という番組が放映されました。社名は出ていないのですが(NHKですので)名古屋の中堅運送会社のユニークな取り組みが紹介されていました。

この運送会社は、ここ数年売上高を急速に伸ばして注目されています。この秘密は、社員教育にあるといわれています。番組では、この会社の社員教育を中心になって行っている女性管理職が出演していましたが、その方法は企業では珍しいでしょうが、わたしには非常になじみの深い方法でした。

少し、具体的に書いてみます。
1、社内報の改革⇒運転手の自己紹介を掲載する。似顔絵、写真などを載せ、自筆の自己紹介文を掲載する。具体的にいえば、よく学校で子供たちが作っている新聞を少し見栄えをよくしたようなもの。

2、イベント行事を頻繁に行う⇒※企画・運営・実施を全て社員が行い、費用は会社が負担する。それも演劇(脚本、その他全て社員の手作り)などの文化的行事。運動会などの体育的行事。運転技術競技会などの教育的行事をうまく組み合わせている。

3、交通安全⇒事故率を下げることは、会社の利益・運転手の利益・社会の利益という意識を定着させている。⇒具体的には、社員企画・運営・実施の安全運転技術競技会を各支店ごとの参加で行い、競争意識も加味しながら意識改革を行っている。
※成果⇒全国平均3%の車両一台あたりの事故率を、この会社では0.3%に押さえている。⇒この会社では、タコメーターの点検を同僚同士で自主的に行っている。

企業の人事担当者には常識でしょうが、人間の能力には、知識力、技術力(スキル)と【人的資質】というのがあります。これを図にすると、一番下に【人的資質】があり、その上に並列に知識力、技術力があると考えられます。つまり、知識力、技術力のベースになるのが、【人的資質】というわけです。

ところが、【知識力】とか【技術力】は、ペーパーテストである程度測る事ができますが、【人的資質】はなかなか測る事ができません。今回の耐震強度偽装事件でも見えた【知識力】と【技術力】はあっても、【人的資質】が零に近いという事例は、枚挙に暇がありません。

この会社の方法の素晴らしさは、この【人的資質】を発掘する方法論を確立していることです。上記のような社員企画・運営・実施のイベントを行うと、必ず多くの人をリードできる統率力のある人間が出てきます。これは知識力、技術力の評価とは別物である場合が多いのです。

これを発掘してその能力を100%発揮できるポストにつければ、それだけでも会社の利益です。さらにこのような仲間の間から押し出されてきた人間には、上からの指名でポストについた人間にありがちな周囲の【嫉妬の目】や【やっかみ】につつまれるということがきわめて少ないのです。そのため。その人間の能力が伸び伸びと発揮できるという利点があります。

わたしのいう【体感速度20km】を現実の社会に具現化する具体的方法論の一つがここにあります。

1、体感速度20kmとは、【人間の意識】の問題です。他の人には、40kmに見えても、本人の意識では20kmのような心地よさがあるということがあります。
この逆も成立します。
この会社のような方法論をとれば、社員の体感速度は、随分と下がっているはずです。こういう会社が業績を上げることが、世の中の風潮を変えることにつながると思います。

2、この会社の本当の凄さは、【社員の意識変革】を社員自らの手で行っていることにあります。しかも、「会社の利益」、「本人の利益」だけでなく、「社会の利益」という意識が、日常性(運転)の中で生かされているというところにあるのです。
この意識が多数になると、昨今のとげとげしい社会の風潮も和らぐはずです。
【現場主義】から【社会】へ、【社会】から現場へという理想に近い思考の循環が見られます。

実は現役教師時代、わたしもこの会社の方法論とよく似た方法論を実践していました。子供たちの【自治意識】を育てることによって、荒れを防ぎ、民主主義の理念と具体的スキルを磨くというやり方を実践してきたのです。その意味では、この会社の方法論は非常になじみの深いものですが、現実の会社経営にわたしが考えている方法論が通用するという実例を確認できて、大変意を強くしました。

このような方法論が社会の主流になっていくと、【体感速度20km】社会と健全な企業活動が両立する新たな社会の姿が見えてくると思います。

*********    
 
0009 Re: 体感速度20kmの社会と日本国憲法 笹井明子 12/14 11:14
 
11月27日の討論会に外部から参加されたtomokoさんからメッセージを寄せていただきました。本人から了解をいただきましたので、そのメッセージに対する流水さんのコメント(次の記事)と併せてこちらにご紹介します。

*********
流水さんの講義は、ただの政府批判だけはでなく、新たな価値観での社会構築を提唱されていること、また、その内容も”体感時速20Kmの人に優しい社会””憲法の理念を実現する社会”ということで、共感するところ大でした。
 
ただ、パンドラさんの隣にいらした男性の方が、やんわりとですが、リタイアした人やフリーターのような人にはいいけど、みたいなことを仰っていたので、確かにそうかもしれないと思いました。社会の第一線で働いている人に、どうやってそれをわかってもらえばいいのだろうと。。。
 
ものを作って売るということも、そもそもそれを使う”人のため”という気持ちがなければ、結局今回の偽装マンション事件のような結果を招くと思うんです。役人は堕落してるけど、民間企業なら消費者の目があっていい仕事をしないと淘汰されるから、”民にできることは民に”という流れがあると思うのですが、結局、官も民もモラルがないのは一緒なのね。。。と暗澹たる気持ちになります。
 
”人が大事”ということを、どうやってわかってもらえばいいのか。。。”ひとがだいじ”と言葉で言うと、なんとも陳腐な気がしてしまうし、”愛”というものを説いてまわるのも、なんだか偽善的な気がしてしまうんですね。(人を大事にしない人は悪の枢軸だから滅んでしまえ!なんてなったりして。。)
 
だから結局は、家族や職場の人たちに大事に思っていることを示す気持ちで接していくしかないのかな。。なんてなんとも遠回りで、しかも通じているのかどうかも定かではなく心許ない方法ですが、今のところそれしか思いつきません。それも常に同じ気持ちでいるのは、なかなか難しいですし。。。もう少し効率のいい方法があれば、と思っています。
 
今回の勉強会は、ただ講演を聴いて忘れていくような集会とは違い、自分が常日頃考えていたことと重なる部分が多かったので、大変意を強くしました。

流水さん、護憲+の皆さん、ありがとうございました。今後もまた機会があれば、よろしくお願いいたします。
**********    
 
0008 Re: 体感速度20kmの社会と日本国憲法 ウミサチヒコ 12/13 21:52
 
流水さん、

流水さんの難しい講義は頭の中に入って来ませんが、近江商人と建築基準偽装、そして最近の事件とを俯瞰しての流水さんの感覚は良く理解できました。

>わたしたちの眼に映るこの国の風景は、このように無残な姿をさらしています。
この荒涼として寂寞としたこの国の風景が、人々の心に何を与えるのでしょうか。 
耐震強度偽装問題と期を同じくして、子供たちを狙った事件が相次いで起きています。
抵抗できない弱者を狙った卑劣な犯罪の続発も、上記のこの国の【風景】と無縁でない、と読まなければ、問題の本質には迫れないと思います。

国とは何か民主主義とは何か、そんなことは分からなくても、私には何が不正か何が足りないかは良く分かる。高邁な議論にふけって、結局、出口(結論)が分からないようでは何もならない。民主主義が何であろうとも、票が捨てられたり、票の重さが違っていたりすることは勘弁ならない。議会制民主主義と小選挙区制度はなじまない。何のための議会か?議会とは民の声を広く「すくい上げる」ための制度のはずだ。だが、小選挙区制度は、民の声を「切り捨てる」制度である。
広く民の声を糾合する、そこから国家経営の自由な発想が生まれるはずだ。    
 
0007 Re: 耐震強度偽装問題に見るこの国の風景 流水 12/13 15:09
 
耐震強度偽装問題は、現在のこの国のありようを象徴的に示した事件です。
国の政策、企業倫理、保障の問題、後ろに見え隠れする政治家の影、いずれをとっても大問題です。
この問題をいくつかの項目別に検討してみたいと思います。

1、背景としての【規制緩和問題】
今回の事件の背景には、規制緩和の流れに沿った99年の建築基準法改正が背景にあります。
そこで、それまで国及び地方公共団体が行っていた【建築確認検査】を民間でも行えるようにしたのです。
当時の検査数およそ100万件、検査を行う検査主事は、全国で1800人。これでは迅速な検査や正確な検査は無理だとして、国及び地方公共団体が指定した民間検査機関でも確認検査を行えるようにしたものです。
この【規制緩和】が行われた背景には、米国から日本の建築行政に対する強い批判や「行政のスリム化」があったことは周知の事実です。

ところが、この【規制緩和】には、官僚による巧みな権益保護が盛り込まれていました。検査員になるための資格(要件)を【一級建築士資格】と※【2年以上の実務経験】と定めたのです。
【2年以上の実務経験】という要件で、結局官からの天下り者以外にはなかなか検査員になれないという構図ができたのです。
また、この当時日弁連が主張していた次の構図による【建築確認制度】の制度設計を無視したつけが現れたと思います。
【政府法案】
施工主⇒確認検査(公的検査機関・民間検査機関)⇒中間検査⇒完了検査
【日弁連案】
施工主⇒建築確認検査⇒公的機関⇒割り振る(民間検査)

上の構図を少し説明すれば、政府案では施工主は確認検査を公的機関でも民間検査機関にでも好きなところに申し込みできます。
ところが、民間検査機関は企業ですので、利益追求をしなければなりません。そうなると顧客は、確認検査を申し込む施工主ということになります。当然ながら、厳しい確認検査をするところより、やさしい確認検査をしてくれるほうを望むケースが多くなります。
この条件で、厳しくて厳正な検査を行うことは難しくなります。
【日弁連】の案は、このことを考慮に入れて、建築確認申し込みは【公的機関】に出させ、公的機関がそれを【民間機関】に配分するという仕組みになっています。
つまり、【建築確認審査】などというきわめて【公的要素】の大きい審査機関が利潤追求に走ることを防ぐ、という狙いが込められていたのです。
そのため、案件を公的機関が民間に割り振ることにより、その目的を達成しようと仕組みになっていました。

残念ながら、この案は採用されず、政府案が採用されたのですが、今回の事件で99年の建築法改正案の欠陥が露呈したのです。この一事をもってしても、国(国交省)の責任は免れません。

さらに言えば、今回槍玉にあがったERIの大株主は、ミサワホームをはじめとしたゼネコン各社ですし、イーホムズの大株主は銀行各社です。さらにERIの役員は、天下りです。
前にも書きましたが、民⇒官へという規制緩和(改革)の中身は、官業⇒民業へという意味であり、決して民(国民)の利益のためというものではない、ということを象徴的にしめしているのです。

2、【腐敗の構図】
1に示した構図は、今回の事件の背景の構図ですが、姉歯建築士・ヒューザー・木村建設・総合経営研究所の構図は、利潤追求のためには手段を選ばない【企業モラル崩壊】の構図です。

以前、【近江商人】の話の中で、近江商人の商モラルは【買い手によし】【売り手によし】【世間によし】という言葉で象徴されると書きました。
TVや参考人招致で語る今回の事件の関係者の話を聞いていて、ストンと胸に落ちた印象を受けた人がいたでしょうか。
大多数の人は、雑巾で顔を拭かれたような不快感を受けたに違いありません。
彼らの言葉、姿勢、態度のいずれをとっても、【売り手によし】の思いは見えても、【買い手によし】の思いなどひとかけらも見えませんでした。まして【世間によし】の思いなど、どこにも存在していないに違いありません。

【効率性】的経営指導の名の下で、「コスト削減」を主導した【総合経営研究所】、そのおこぼれに預かった木村建設、詐欺まがいの言動を繰り返すヒューザー小嶋社長、構造計算のプロという誇りを捨てた姉歯建築士。この経済的【腐敗の構図】の中の人間たちは、人間として【崩壊の構図】に入る、ということを如実に示しています。

当然ながら、この構図は、何も上記の企業に限りません。JR西日本の脱線事故、次々と明るみに出る官公庁の腐敗の実態、とにかく真実を語らない政治家などなど、この国のあらゆるところで露呈しています。

今回の問題が司法の場でどのように決着するかは分かりませんが、立川で反戦ビラをまいた人間を逮捕拘束して裁判にかけるこの国の司法です。
まさかこれだけ多くの人を不安に陥れ、自分の人生設計を台無しにされた大量の犠牲者を出した会社や人間たちを、建築基準法違反(50万以下の罰金刑)で済ますはずはないでしょうが、罪の軽重を判断する価値基準がいささか狂い始めているといわざるを得ません。

わたしたちの眼に映るこの国の風景は、このように無残な姿をさらしています。
この荒涼として寂寞としたこの国の風景が、人々の心に何を与えるのでしょうか。 
耐震強度偽装問題と期を同じくして、子供たちを狙った事件が相次いで起きています。
抵抗できない弱者を狙った卑劣な犯罪の続発も、上記のこの国の【風景】と無縁でない、と読まなければ、問題の本質には迫れないと思います。



    
 
0006 >>>Re: 体感速度20kmの社会と日本国憲法【くにから国家への道】(4) 流水 12/08 11:53
 
では、国家の本質はどう考えたらよいのでしょうか。
これには、多くの思想家が、様々な説を唱えています。どの説にも一里あり、どの説にも時代的限界があると思います。下に代表的な説を列挙しておきます。

1、マックス・ウエーバーは支配の諸類型を以下のように分析しています。
@伝統的支配(日本で言えば、天皇制支配にあたるのでしょう)
Aカリスマ的支配(典型的事例でいえば、キューバのカストロ。中国の毛沢東などでしょうか)
B合法的支配(これは大多数の民主主義国家はそうでしょう)

現実には、この類型の組み合わせが支配の実態だと考えられます。

2、アントニオ・グラムシは【ヘゲモニー】と【ヘゲモニー装置】という分かりやすい論を提示しています。
・【国家】とは、強制の鎧をつけたヘゲモニーである。
【ヘゲモニー】とは何か。⇒支配層や指導層の能動的合意形成能力と支配層や指導層の知的道徳的な指導力を指します。
そして、【ヘゲモニー】を形作ったり、維持・再選産する場として、国家は【ヘゲモニー装置】を持っている。
・【ヘゲモニー装置】⇒学校・教会・組合・工場・市民社会の私的な横糸

このグラムシの説は、現在小泉政権下ですすめられている【改革幻想】【憲法改正】の動きをうまく説明できます。つまり、現在の政治情勢を【ヘゲモニー】の争奪戦という観点でみれば、護憲勢力の劣勢は明らかです。この劣勢を如何にして挽回するかが最大の課題として浮かび上がっているのです。

3、ルイ・アルチュールセル
・国家には、【抑圧装置(軍隊と警察力)】と【イデオロギー装置】がある。
彼の言う「イデオロギー装置」は、グラムシのいう【へゲモニー装置】と同義。
・【合理的な主体(臣下)としての個人】という「イデオロギー」です。
これは、日本の大多数の官僚、会社員にあてはまるイデオロギーだと思います。個人が、【臣下】としての立場を逸脱すると、合法的なペナルテイーが課せられるわけです。多くの会社犯罪などは、このイデオロギーのなかで起きています。

4、ミッセル・フーコー
アルチュールセルのいう【イデオロギー】=【合理的な主体(臣下)としての個人】は、それ自体が【権力】であるという。
つまり、【合理的な主体】を形成するためには、【理性】と【知性】が必要です。
この【理性】も【知性】もそれ自体が【権力】であるとする考え方。

これの表現が、【非理性】を【狂気】として隔離する【権力】だと主張します。
具体的事例で語ると、神戸の少年A、佐世保の少女A、宮崎勤、今回の栃木の小学生殺人事件などの犯人を表現するのに、【心の闇】とか【狂気】とかという言葉が踊ります。
つまり、【狂気】を【精神病】として治療対象とみなす精神医学の【権力】⇒これが【知】が【権力】となっている証左だというのです。

・同時に、社会的【規律(規律化・規格化)】=【権力】であると主張します。
学校・兵営・監獄・工場⇒身体の規格化・規律化を図ります。この強制力は【権力】そのものであるというわけです。

これが進行すると、「パンプチシオン」つまり【一望監視システム】=【どこの誰やら分からない監視者から不断に監視されている社会=規律の自動化】になる。

このフーコーの指摘は、現在日本でも進行中の【監視社会】を予見したものです。

その他、様々な説が出されていますが、日本では吉本隆明の【国家幻想論】が有名です。

グラムシ・アルチュールセル・フーコーのいずれをとっても、【支配の本質】を異なった言葉で語っていると思います。
つまり、国家の本質は【支配】にあるということです。支配が本質であるということは、支配する側と支配される側の両者が存在しなければ成立しません。
つまり、国家を語るということは、この二者の関係を軸に見なければ、その本質は見えてこないということを意味しているのです。
近代的国家であればあるほど、国家機構が巨大になり、この関係が入り組んでおり複雑になっています。

このように、国家機構が肥大化し、巨大な官僚機構に成長し、専門性が高度化そ、巨大システムとしての国家に成長してきたのが、現代という時代です。

こうなると、その仕組みが複雑で高度化しているため、国民には不透明で理解しずらいものになってしまいます。

これが、社会の無力化をもたらし、国民のアノミー(無気力、無関心)をもたらします。

※現代のように全てが政治化した時代にも関わらず、【政治的無関心】が増大しているのは、上記のような理由によるものです。

ところが、20世紀後半より、このように肥大化した国家システムの限界が、次々に露呈して来ました。
○ソ連型【国家社会主義】システムの崩壊 ○冷戦の崩壊 ○ EU統合 ○民族紛争の多発 ○経済の国際化、情報革命 ○ 【成長経済】の危機、【福祉国家】の危機 ○ 地球環境の危機 ○NGOなどのように国境を超えた国際社会の実体化
等など、あらゆる点で、【国家の存在理由そのもの】が根底から問われる時代に入っています。
つまり、国家障壁の意味そのものが問われる時代になっているのです。

その中で、新たな【国家論】の創出が求められていると考えられます。右派による憲法改正論の骨格にある古色蒼然たる【国家論】を超えうる【国家論】の創出が求められていると思います。

    
 
0005 Re: 体感速度20kmの社会と日本国憲法 宮天狗 12/08 10:52
 
流水さん

いつもながら水際立った切り口から滴り落ちる美酒は、わが干からびてかさかさになったセピア色の脳細胞に染み渡って若返った気分です。しかも私の視点がいくらかでもお役に立てたとすればうれしい限りです。

流水さんの言われる天皇制の二重性を顕著に表す事例としては、一億玉砕を最後まで主張してボッタム宣言受諾を拒んだ阿南惟幾陸相が8月15日に自刃したのは、国民ではなく天皇に対して敗戦の責任を取るとともに、「天皇機関説」の崩壊を予感したからに他ならならず、占領軍上陸の迫った8月25日に右翼結社大東塾の塾長影山庄平と塾生13人が割腹自殺したのは、現人神としての天皇に対する敗戦責任を取ったものといえるでしょう。庄平の後を引き継いだ正治が「一死以て元号法制化の実現を熱梼しまつる」との遺言を残して亡くなったのも、現人神信仰が連綿として受け継がれていることを示しており、いまもネット右翼にその片鱗がうかがわれると思います。


    
 
0004 >>Re: 体感速度20kmの社会と日本国憲法【くにから国家への道】(3) 流水 12/07 22:01
 
  明治維新を成功させた指導者たち(いわゆる元勲たち)が、一番腐心したのは、新たに作り上げた【日本】という国家に、民衆がどれだけアイデンテイテイをもつことができるか、という点でした。江戸時代が藩を中心とした地方分権国家であったことは、周知の事実ですが、これは民衆が【日本国民】というアイデンテイテイをなかなか持ち得ない、ということでもあるのです。
前回、この点の考察を日本語という視点から行いました。
今回は、天皇制という視覚からこの点を考えてみたいと思います。

現在の日本人には、日本という国家にアイデンテイテイを持つことに苦労するなどということは、なかなか想像しにくいのですが、イラクとかアフガニスタンなどの現状をよく観察してみると、分かると思います。例えば、アフガンニスタンのカルザイ政権は、中央政府です。ところが、それぞれの地方には、支配権を持っている部族長がおり、中央政府の方針が簡単にはいきわたらない。しかも、それぞれの部族長は、自分の支配する軍(私兵)を持っており、一種の独立国のような状態です。これでは、アフガニスタン国民ということに、自分のアイデンテイテイを持つことは難しいのです。

同様なことがイラクでもいえます。米国が作ろうとしている新生イラクにどれだけの国民がアイデンテイテイを持つことができるかどうか。これが、米国作新生イラクの成否を握ります。こう見てみると、明治維新の元勲たちが、国民の中にいかにして日本国民というアイデンテイテイを醸成させるかに腐心したかが理解できると思います。この【国民精神統合】のシンボルとして担ぎ出されたのが、天皇です。

明治政府は、このために見事な方策をとっています。多木浩二著「天皇の肖像」(岩波新書)は、この間の事情を下のように述べています。
◆明治の元勲たち(大久保たち)は、天皇の【視覚化】の必要性を痛感していた。

◆具体的方策
1、東京・近畿・中国・四国・九州にわたる天皇の巡幸 (明治5年)
2、天皇の写真や肖像画を基にした【似せ絵】を民衆に流布させる※これには、二つの狙いがある。
@、天皇には、「視るもの」としての体験を持たせるA同時に、民衆から「視られるもの」としてはじめて禁裏の外にたたせる
(私註)明治初年の民衆は、ほとんど天皇など知らなかったといってよい。中世以来、「雲上人」に囲まれ神秘化され、民衆から隔離されていた天皇を、【視覚化】するという発想は、革命的といってよいと思う。

◆明治21年 天皇の【御真影】が製作される。
【手順】写真師内田九一が明治5,6年に撮影した写真→エドワルド・キャツオーネが【肖像画】にする→写真家丸木利陽が複写して、写真に仕上げる多木によれば、この手順によってできた【御真影】は、天皇の個人的な写像から個人的な存在感を脱白されて、写実性を持ちながら同時に抽象的な【身体】とポーズをした理想化された超人格的な帝王の姿に変貌したということになる。

◆【御真影】の下付 
※(私註)これが非常に重要地方官庁→軍隊→初等学校の順で下付されます(明治22年)この年、教育勅語発布。多木によれば、【御真影】を下付されたものは、天皇を神聖に扱う無限責任を委譲されたと同じであり、それにまつわる限り、自分が下部のものに【天皇】とおなじ役割を持つ小天皇ということになる、という。わたしは、若いとき勤務した学校の倉庫で、埃をかぶった【御真影】を見たことがある。そのときは特別な感慨を持たなかったが、戦前の経験がある先輩によると当時の学校長で【御真影】の取り扱いに間違いを犯して自殺した人もいたそうです。

また、軍隊などは、この効き目はそれこそ霊験あらたかだったはずです。つまり、階級差は、そのまま天皇との距離の差になるわけですから、上官に抗することは、即座に【天皇】に反抗することになるわけです。イラク・アフガニスタンの現状を見れば、明治維新の元勲たちの意図した【現人神】として天皇という制度設計は、元勲たちが意図した以上の成功を収めたといってよいのです。実は、天皇の人間宣言は、戦前国民を統御した上記の規律の終焉宣言でもあったわけで、象徴天皇制では決してその代替にはならないのです。 

このように、天皇制を【国民精神統合のシンボル】とするために、維新政府は苦心したのです。
そして、明治憲法制定、教育勅語という具合に、天皇制を一種の神聖で不可侵なものとする体制を作り上げたのです。
これに加えて、靖国神社を頂点とする国家神道の体制を構築し、国民を戦争に駆り立てる体制を整えたのです。

国体を内面化する【国語】教育、教育勅語・御真影を祀る奉安殿などに象徴される国家主義的教育、靖国神社を頂点とする国民総動員体制の構築などは、明治維新政府の開国論的政策ではなく、【尊王攘夷論】的政策表現だったのです。

つまり、明治維新政府は、その内部に抱えこんだ【開国論】と【尊王攘夷論】という絶対的矛盾を、【文明開化】【殖産興業】という開国論的政策と天皇制支配と【国語】教育などの国家主義的教育、国家神道を中心とする宗教政策という【尊王攘夷論的政策】という形で表現し、その両者を架橋する理論的表現として【和魂洋才】という理念を提示して、その矛盾を止揚したのです。

つまり、明治政府は、二重構造になっていたのです。国民たちには、現人神としての天皇制を提示し、それの基づいた国家主義的教育を行いました。
そのため、軍隊などで最も顕著に現れたのですが、天皇との距離が全てを決定したのです。上官は下士官、兵より、天皇との距離が近いので、その命令は絶対的になります。上官の命令に逆らうということは、天皇に逆らうことを意味したのです。
これが、野間宏が【真空地帯】などで書いた軍隊のいじめ構造として表現されたのです。
ですから、この構造の最も底辺に位置した兵たちが、中国大陸などで蛮行を働いたのは、当然といえば当然なのです。

ところが、一般国民もその能力次第では、支配層に入ることができたのも明治時代なのです。【末は博士か大臣か】の掛け声のもと、多くの俊才が支配層に入りました。
一旦支配層に入ると、天皇制が【天皇機関説】であることが常識になります。つまり、国民統治の手段としての【天皇制】という側面が大きくなるのです。
明治政府の持った二重性とは、国民には現人神としての天皇制であり、支配層には【天皇機関説】としての天皇制だったのです。
この二重構造こそが、明治維新政府の統治の秘密だったのです。

明治政府は、国から国家への道を、以上のような統治政策で乗り切っていったのだと思います。

    
 
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