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  教育の危機
流水    −    2005/10/06-16:30:26
小泉自民党が勝利したことにより、いよいよ【新自由主義的理論】に基づく、日本社会の崩壊現象が本格的にはじまると予想されます。
この新自由主義理論に基づく社会変革のさきがけになっているのが、教育改革です。
ここ数年の教育論議は、どうしても右派からのナショナリズム的挑戦とその応酬が主でしたが、これからいよいよ【新自由主義的教育改革】が最大のテーマになるはずです。この方向性は、単に教育という一分野に止まず、社会全てに及ぶものです。既に、イギリスなどでは、その弊害が看過できないほどになっています。わたしたちは、この攻勢を跳ね返す理論構築を急がねばなりません。その第一歩のつもりで書いてみました。



0007 Re: 教育の危機 流水 10/07 17:37
 
荒木國臣という経済学者が興味深い話をしています。新自由主義が目指す人間像が、きわめて分かりやすく書かれています。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/arakuni/paper/papers.htm
http://www008.upp.so-net.ne.jp/arakuni/paper/model.html

少し、紹介してみます。
彼は、文化庁が実施した「平成12年度国語に関する世論調査」結果(平成13年1月実施調査対象全国16歳以上男女3、000人 有効回収率73、1%)の問い16から、説き起こします。 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
<問16>「情けは人のためならず」の意味について下記の2つから選んでください。 
     (ア)人に情けをかけておくと、めぐりめぐって結局は自分のためになる 
     (イ)人に情けをかけてやることは、結局はその人のためにはならない 
  
直感的には(ア)は協和的な心情があり、(イ)は自立的な心情がある。正答は(ア)であるが、結果は(ア)47、2%、(イ)48、7%であり、本来の意味で理解している人は少ない。60歳以上の正解率は65、2%であり、年齢が下がるに連れて正解率は下がり、16〜19歳の正解率は35、5%(誤答率は60、2%)である。この特徴を青年層での国語力の衰退とみるのではなく、諺に対する時代感覚の差異を示していると考えると、その基底にある社会システムの変容が浮かび上がるのではないか。では(ア)から(イ)への移行の背景にある社会システムの変容とはなんだろうか。 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
実は、この問いかけは、きわめて教育的なのです。
教師などという職業をしていると、子供の言動にきわめて敏感になります。例えば、【我慢】とか【忍耐】という言葉が喚起するイメージが、教師と子供とでは全く違うことにきずきます。
教師のイメージは、かなり長期的なものなのですが、子供たちのイメージは非常に短期的瞬間的なものなのです。
ですから、教師が【我慢しろ】と指導したのを「うん」と受け入れたはずなのに、翌日には同じことをする、などというケースが多々あります。しかし、子供にすれば、前の日にはたしかに【我慢】したのですから、教師の指導には従ったつもりなのです。
この言葉が喚起するイメージの落差を追求すれば、時代感覚の差、システムの差などにたどり着かざるを得ません。
その意味で、わたしには、きわめてなじみの深い思考法なのです。

では、彼はどう考えるのか。
●功利論的には、正答(ア)と誤答(イ)はいずれも「人に情けをかける」ことは利他行動ではないという点で共通している。

これは感情としては受け入れがたいが、その通りだといわざるを得ない。
彼の論理をわかりやすく解説すると、【情けをかける】という自分の経済的損失を覚悟して行う行為は、あの人は良い人だとか、心の広い人だ、とか、優しい人だとかという人格的評価になって帰ってくる。そして、結果的には自分の人間としての評価を増大させる(彼は人格的資本と呼んでいる)。それが、経済的損失を上回る利益をもたらす可能性がある。だから、【情けをかける】という行為は、自分に投資してくれる効果を期待できる利己的な行動だ、というのである。
これは、政治家とその支援者の関係に端的に表現されていると思います。
これが(ア)です。

では、次に情けをかけられた側はどうだろうか。
自分は経済的利益を得ることができますが、同時に相手に対して負い目を感じざるを得ません。(人格の自由を放棄する可能性がある)当然ながら、その利子返済を迫られる結果になります。これを無視すれば、恩知らずとか信用できないとかという風評をウミ、いつか自分が得た経済的利益を上回るリスクを背負う結果になります。だから、情けをかけないことが、結果として相手を利すること(利他行動)になる。
これが(イ)です。

彼は、この考え方の相違を【経済学的な再分配モデル】にあてはめて説きます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●1つは、ケインズ・モデルであり、社会的弱者に対する所得再分配政策(雇用保障や補助金制度)は、労働資源の最適配分によって有効需要を拡大し、景気の好循環を誘発するから、結果的には社会的強者の利益を極大化することになる。これが正答(ア)の論理である。 
 
第2の市場原理モデルは、社会的弱者にたいする所得再分配政策は、援助効果が逆に働いて、弱者がさらに構造的に固定化するとして、マクロ的なケインズ政策を批判する。社会的弱者(過疎、成熟衰退産業など)への保護政策は、贈与と互酬を媒介に権力構造への包摂を生む。これが誤答(イ)の論理である。 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、(ア)の論理から導き出されたのが、戦後日本を支えたケインズモデル(修正資本主義)だというのです。
(イ)の論理から導き出されるのが、【新自由主義経済政策】といわけです。

ベルリンの壁崩壊以降、執拗に繰り返された、日本はもっとも成功した社会主義国家だという批判が標的にしているのが、上記の(ア)の論理から導き出されるケインズモデルなのです。
ですから、小泉政権が標的にしたのが、その代表格である田中派であることもうなづけます。

現在政界など日本のエスタブリッシュメント内部で起きていることは、戦後日本の主流だった(ア)の論理に基づく統治政策から、(イ)の論理に基づく統治政策への変更である、と考えられます。

しかし、(イ)の論理に基づく経済政策は、雨だれ理論【※つまり企業が儲かれば、雨だれが落ちるように下(国民)に恩恵がいきわたる、という理論】を基盤にしています。
ところが、この【雨だれ理論】は実質的に破産しているのです。
トヨタを見れば分かるように、今や勝ち組企業は完全に多国籍化しています。雨だれの落ちる先は、【賃金の安い国】へと転換しているのです。
この構造を維持し続けることが、多国籍企業の利益なのです。
これが国際的にも国内的にも【貧富の差を拡大】し続けることが利益である【資本の論理】というわけです。
【新自由主義理論】が、古代の奴隷制への退行理論といわれるのもうなづけます。

今や、この【貧困問題】は、国際的にも国内的にも看過できないほどその危険性が増大しています。世界各国で、怨嗟の声が上がり始めているのです。
これを力づくで押さえ込もうというのが、【テロとの戦い】というわけです。

新自由主義経済の先頭にたった米国は、今や底なしの財政赤字、経常収支の赤字、国内産業の空洞化、民営化政策による国内インフラの未整備(ロス、NYの停電。ハリケーン問題など)により、その退潮は決定的です。
米国の尻馬に乗ったイギリスも、今や反省期に入りつつあります。イタリアのベルルスコーニも、米国から距離を置かざるを得なくなっています。

日本も、国連安保理加入問題で、アジアで支持してくれたのは、ブータンとモルでイブ二国という惨憺たる結果になっています。今やアジアの孤児といっても過言ではない情況です。
新自由主義的政策が見直されつつある世界的潮流の中で、これからそれを導入しようという時代錯誤を小泉政権は行おうとしているのです。
戦前の日本と同じく、今や世界の孤児への道を歩もうとしているといって過言ではありません。

歴史捏造やはぐらかしを論理的基盤にしている政権は、必ず厳しい歴史の審判がくだるはずです。





  
    
 
0006 Re: 教育の危機 流水 10/07 15:51
 
宮天狗さん、
●第二の広津和郎、松本清張いでよと叫びたい気分です。      
 
全面的に同意します。鈴木宗男の事件もそうですが、小泉政権下で捜査された事件のほとんどは、田中派つぶしを主目的にしています。特に、日本歯科医師連盟献金事件は、完全に田中派の幹部を直撃しました。
参議院の青木などは、この捜査を逃れんがために、小泉支持にまわったのではないかとささやかれています。
わたしたち国民には見えないところで、凄まじい権力闘争が行われているのでしょう。
日本歯科医師連盟事件の経緯をみれば、村岡一人が起訴されて、残りの3人が起訴を免れているのです。これ一つで、政治捜査はみえみえです。

イラク人質事件のとき、老人党掲示板に大量のネット右翼があらわれました。これに対して官邸のバイトではないか、という指摘がなされたはずです。

この指摘は、ある意味で小泉政権の性格を言い当てているのです。とにかく、世論の支持を取り付けるためには、何でもやる政権なのです。嘘、恫喝、懐柔など世論操作のためには手段を問わないのです。
この政権の性格を露骨に示したのが、共謀罪でしょう。

この政権の裏には、広範な支持層があると考えられます。トヨタをはじめとする多国籍企業、産経新聞をはじめとするメデイア、財務省などを頂点とする官僚機構、学者、評論家などのオピニオンリーダーなどです。
そしてその裏には、相も変らず米国の影が見え隠れしています。

小泉政権下で破壊された日本社会を回復するには、これからまた半世紀を必要とするのではないでしょうか。そこまで、日本社会が持つかどうか、今ぎりぎりの段階まで来ていると思います。


    
 
0005 Re: 教育の危機 宮天狗 10/07 14:26
 
流水さん

「外務省のラスプーチン」とも言われた佐藤優氏は最終弁論において「小泉政権成立後、日本は本格的な構造転換を遂げようとしています。内政的にはケインズ型公平的配分からハイエク型傾斜配分、新自由主義への転換です。外交的にはナショナリズムの強化です。鈴木宗男氏は、内政では地方の声を自らの政治力を持って中央に反映させ、再分配を担保する公平配分論者で、外交的にはアメリカ、ロシア、中国との関係をバランスよく発展させるためには、日本が排外主義的なナショナリズムに走ることは帰って国益を既存すると考える国際協調主義的な日本の愛国者でした。鈴木宗男氏という政治家を断罪する仲で、日本はハイエク型新自由主義と排外主義的なナショナリズムへの転換を行っていったのです」と述べています。新潮社(国家の罠)

さらに氏は「国策捜査が行われる場合には歴史的必然性があります。当事者である検察官も被告人もその歴史的必然性にはなかなか気づかずに歴史の駒としての役割を果たしているでしょう。もっとも国策捜査に必然性があるこということと、自ら行っていない犯罪を飲み込むということはまったく別の問題です。私は無罪です。」

またマスメディアによる過剰な疑惑報道にも触れており、もしこれが事実であるとすれば「ドレフェス事件」や「サッコ・バンゼッティ事件」にも匹敵する国家的犯罪といえるかもしれません。
いずれにせよ新聞やテレビの報道しか見ていなかった私にとっては目から鱗で、ノンキャリアの佐藤氏が鈴木議員と連携して着々と力を蓄えてゆくことに対するキャリア外務官僚の嫉妬のすさまじさは、図らずも国家権力に逆らった飯塚毅氏に対する大蔵官僚の執拗ないじめを思い出してしまいました。第二の広津和郎、松本清張いでよと叫びたい気分です。    
 
0004 訂正 流水 10/07 10:01
 
民主党岡谷5区ではなく、民主党岡山5区に訂正します。    
 
0003 >Re: 教育の危機 流水 10/07 09:59
 
ハンドインハンドさんへ

この団結する為の要としての政党や政治家への働きかけという選択肢は考えられないでしょうか。
>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私自身についていえば、現在時間的余裕がほとんど持てない情況なので、積極的活動はあまりしていません。
ただ、政治家には、かなり働きかけています。今回の選挙で落選したのが残念ですが、民主党岡谷5区の花咲氏などとは、選挙前選挙中を通じて5回程度合い、教育問題を中心に話しあっています。わたしが退職記念にとおもって書いた教育の本も読んでくれています。
彼が当選した暁には、いくらかはわたしの主張も現実の教育の場に生かしてもらえるかと期待しています。
彼は、今回が始めての立候補で、準備期間も一年無いくらいだったので、残念ながら落選しましたが、次回にはぜひ当選してもらいたいと願っています。

現実に爪あとだけでもよいから何かを残せればよい、というのがわたしの政治信条です。
もう一つ書くならば、【一番悪い奴に比べれば、たいていの人間は良い奴だし、許せる奴だ】というのがあります。
こう考えなければ、護憲派の大同団結は難しいと考えています。


    
 
0002 Re: 教育の危機 ハンドインハンド 10/06 19:56
 
流水さんほか、みなさんへ

 自分は社民党についてしか分かりませんが、教育問題については、文部科学の常任委員会は保坂展人さんが担当しています。

 運動を広げていくと言っても、みんな住んでいる場所も違うし、仕事もあるし団結して動くことは無理です。また、インターネットで訴えると言っても、見てくれる人がいてこそのインターネットです。

 保坂さんじゃなくて、民主党でも、共産党でもいい訳ですが、そういう問題意識のある議員に働きかけます。そして、その議員が国会で取り上げてくれたりしたら、その時の与野党の質疑や答弁を紹介しつつ、議論を深めたり、自分たちの意見・感想も述べたらいいと思います。

 人の思いは必ず通じるとか、道理とは物事そうあるべきなのだから「いつかそうなるんだ!」で人間の未来を信じると考えていても、聴衆のいないところや、同じメンバーしか話を聞いていない場所で、いくら訴えても広がっていきません。それに対して、多くの人が望んでいなくても、権威や権力が大きな声を上げると同調者はすぐに集まるし、世の中の大きな流れに従がわざるえないのが、市井に人びとの暮らし方です。

 理想を訴える場合には、やはり自分たちの生き方が大きく問われます。護憲+の行動についても、いろいろな議論や提案はあります。しかし、結局老若男女の支持を得たり、訴えを広げていくということは、我々自身の生き方如何に関わっていて、それが評価されるかどうかだと思います。私自身も、自分の能力に自信がないから、組織や有力者に協力することで役割を果そうと考えてきました。けど、そういう協力や助力ですら、役割を果せないことには働き手として力になりません。結局、自分自身を自分の思う理想の自分に近づけていく以上には、世の中を自分の理想に近づけることは無理だとわかりました。自分として精一杯頑張る、マイペースで自分なりにする、限られた時間にできる分する、と人それぞれのやり方があると思います。けど、バラバラでは力になりません。でも、団結できたら力になります。この団結する為の要としての政党や政治家への働きかけという選択肢は考えられないでしょうか。
    
 
0001 教育の危機 流水 10/06 16:30
 
わたしはここ数年、元教師として現在の教育危機について、多くの投稿をしてきました。
日本の教育論議の多くは、国旗・国歌に象徴される愛国心論争や教育基本法改正問題、日教組批判のイデオロギー論争に終始してきました。
社会的には、ナショナリズムの台頭という風に見えます。

ところが、現在ナショナリズム復活・台頭は、戦前型国家主義的ナショナリズムの潮流だけではないのです。
米国主導型の【新自由主義的】思想が大きな影響力を持っています。この二つが混在した形が現在の日本のナショナリズム台頭なのです。

ネット右翼に代表される単なる復古調ナショナリズムならば、これほどの力を持つことはできないのですが、その背後にある【新自由主義理論】は無視できない力を持っています。
多くの日本人は、この【新自由主義理論】について、その危険性の認識が薄かったといっても過言ではありません。
小泉首相の叫ぶ【改革】の内実は、この「新自由主義理論」に基づくケインズモデル(終生資本主義的システム)の改変、廃止です。
そして、これを盲目的に信仰し、推進できる人間育成こそが、現在行われている教育改革の方向性なのです。

では、【新自由主義】とは何か、ということになります。

経済評論家内橋克人の説明が大変分かりやすいので、以下引用します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★一九七八年の航空自由化に始まったアメリカのディレギュレーション、つまり規制緩和の流れは、その後、「市場原理至上主義」として世界経済に決定的な影響を与える一種のイデオロギーにまで高められていく訳ですが、その論理的根拠はシカゴ学派と呼ぼれる経済学、すなわち新古典派経済学(新自由主義学派とも呼ぱれている)によって築かれた、という事実です。つまり、背景には経済学の一学派が存在するということです。

★ それは、ケインズ理論を基礎とするニューエコノミックスに対立して、ミルトン・フリードマン米シカゴ大学教授らによって唱導されつつ登場し、たちまち全米の学会を席巻するに至る学派ですが、何よりも、自由な価格機能の復活、市場機能の絶対視、通貨供給量の重視、そしていわゆる「小さな政府」を最善のものとする理論において、他の学派とは決定的に違っていること、などに特徴をみることができるでしょう。

★一言でいえば、何事も市場に委ねさえすればうまくいく、市場機能の働きによって最適の資源配分が達成される、というもので、雇用・労働もまたその例外ではありません。

★レーガン政権の時代、この新古典派経済学は現実の経済政策形成の場において強い影響力、発言力を発揮しつつ興隆し、やがて全米の経済学を制圧していったといわれます

★現在では、世界銀行、IMF(国際通貨基金)などが、経済危機に瀕した新興工業国、開発途上国を救済する、という国際的な経済活動の分野においても、新古典派経済学がべースとなって「新古典派型開発戦略」がとられるようになりました。したがって、経済援助の条件として「国営企業の民営化」「政府介入余地の縮小」「投資環境の整備」「賃金コストの抑制」などが義務づけられるようになっているわけです。
これがすなわちビッグバン・アプローチと呼ばれるものです。

岩波ブックレット458
規制緩和 何をもたらすか(内橋克人,ジェーン・ケルシー,大脇雅子,中野麻美 著,1998年)より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この「新自由主義」理論は、単に経済学の分野に止まらず、政治、経済、教育などあらゆる分野にわたって世界中に影響を与えました。
日本もその例外ではありません。プラザ合意以来の日本経済の低迷は、【新自由主義理論】に基づくアメリカン・スタンダードをグローバル・スタンダードとして押し付けられた結果として派生したものです。

特にこの理論の影響が顕著なのが、政治と教育の分野です。
政治分野における【新自由主義】とは、以下のように説明されています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「政府の過度な民間介入を批判して、個人の自由と責任に基づく競争と市場原理を重視する考え。
福祉国家の実現や「大きな政府」を支持する古典的な自由主義に対して、夜警国家的な「小さな政府」を支持する立場において、用いられた。

1980年代には、こうした考えに基づき、経済の安定化を図り、イギリスのサッチャー、アメリカのレーガン、日本の中曽根政権のもとで、民営化や減税が進められた。 また、これらは、経済の国際化に戦略的に対応することによって、貧困層よりも、中産階級の支持を求めようとしていると言われる。」
http://pol.cside4.jp/theory/16.html
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本における教育改革も、この世界の潮流と無縁ではありません。文部科学省の教育改革は、この【新自由主義理論】に基づいて行われているのです。
大学の独立法人化などは、その最たるものでしょう。

一言で言えば、企業の利益になるような研究・学問には金は出すが、企業利益にならない研究にはお金は出さない、ということでしょう。
研究者の業績評価なども、評価基準が変化したら、正反対の結論が出ても不思議はないのです。

このように見てくると、教育問題の本質は、「新自由主義的教育論」をよく理解しないと見えてきません。
日本人の多くは、【新自由主義的教育論】の危険性について、いまだよく理解していないのではないかと危惧します。

わたしは、以前「愛国心教育」で以下のように述べました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
愛国心教育を強調する人には、大きく分けて2種あります。
1、愛国心を強調することにより、国民に犠牲を強要し、統治をしやすくする
⇒きわめて官僚的で国民を道具としか見ない発想。同時に、きわめて合理的思考で効率的な政策運営を志向しています。
※共同体の論理と国家の論理を直線的につなげる発想はとらない。

2、愛国心に人間の美を見る発想⇒家族・親戚だけではなく、共同体や社会や国家のために犠牲になるのを美しいと感じる発想⇒このことを本気で信じるタイプの人間は、往々にして反政府になったり、テロリストになったりする。(戦前型右翼に多いタイプ)
※共同体の論理と国家の論理をそのまま直線的につなげる発想。

本当に危険なのは1のタイプです。そして、政治家・官僚など権力者に多いのは、1のタイプです。
愛国心教育に疑義を呈している人は、この1のタイプの危険性を経験知としてよく知っているのです。

しかし、国民の前に出てくるのは、2のタイプの人間です。1のタイプの人間たちは自分たちの目的を達成するために、2のタイプの人間を利用するのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現在、進行中の教育改革でも、このメカニズムは健在です。国旗・国歌問題や愛国心教育や日教組批判(偏向教育批判)、教科書問題など右派からの執拗なイデオロギー論争で、教育問題の本質が国民の目から完全に隠されているのです。
このような論争を横目に見ながら、着々と進められているのが、「新自由主義的教育改革」です。

この教育の危険性については、先進国である程度のモデルができています。リッカルド・ペトレラ(Riccardo Petrella)欧州委員会顧問、ルーヴァン・カトリック大学教授(ベルギー)は、教育における危機を五つにまとめて論じています。(ルモンド デプロマテイクより)

1、教育がだんだんと「人的資源」育成のための手段となlりつつあるという事実。
2、教育が商業の世界へシフト。
3、知識獲得競争が、人の人生を左右しかねないほど熾烈になっている。
4、技術への教育の従属。
5、このような教育システムが、新たな形の社会的分断を正当化する手段として使われている。

彼の所論に従って、日本における教育の危機を私流にまとめてみましょう

★【第一の危機】は、教育がだんだんと「人的資源」育成のための手段となlりつつあるという事実。

日本で言えば、1963年に出された経済審議会が「経済発展における人的能力開発の課題と対策」という答申の中で、人材開発教育を要請しています。これが、「詰め込み教育」を起こした大きな要因です。
続けて、1969年に出された経済審議会が「情報化社会の教育は、分かる教育ではなくて、できる教育である」と答申しています。

つまり、教育の本来的理念である人間を育成するという考え方が、「資源」としての労働力という考え方に駆逐されつつあるということです。現在の労働情況をよく見てください。労働力が単なる「資源」の一つに還元されつつあります。もう少し露骨にいうならば、企業にとっての労働力とは、利用価値に従って、組織化され、格付けされ、使い回され、場合によっては廃棄される「資源」として考えられているのです。要するに、人的資源はどこでも調達可能であるべき経済商品と同じなのです。
最近よく聞く言葉に、「厭なら止めろ。代わりはいくらでもいる」というのがあります。これは、労働力が単なる資源ないし商品として位置づけられているということを端的に示しています。

だから、労働者は常に自分が使える存在であることを証明しなくてはならなくなります。もともと「労働者の権利」だったものが、「被雇用性」(自分は、雇用されている弱い立場)の証明という新たな義務にすり替わっていく。のです。
自分が使える存在であるという証明になるのが、「教育」というわけです。つまり、「教育」の意味が、「被雇用性」の証明にあるということです。これが彼のいう教育が直面している第一の危機です。

★【第二の危機】は、教育が商業の世界へシフトしつつあるということです。

教育の主要な目標が企業に役立つ人材の育成ということになれば、教育に民間資本の商業論理と金融の論理が貫徹しても不思議はないのです。
具体的にいえば、塾・予備校の存在。(すべては点をとることに集約される)各種専門学校。(すぐ企業に役立つ人材の育成)。英会話スクールの繁盛。幼児教育の繁盛などなど。
ここに貫徹しているのは、企業にとって「使える人材」、「役立つ人材」を育成する、という目標に特化されているということです。

しかも、これにインターネットが加わり、この使える人材育成競争は、ますます熾烈を極めています。
「先進」国では、個人ベースの教育システムが、通信(インターネット)を利用して、時間を問わず一生にわたり、アラカルト方式(個人のニーズに応じた方式)で組み立てられる傾向が強まっています。現在やかましく叫ばれている【生涯教育】も、この流れから生まれたものです。
教育は、今や新たなビジネスモデルの宝庫なにです。

★【第三の危機】は、知識獲得競争が、その人の人生を左右しかねないほど熾烈になっている、ということです。今や人々は、一生知識獲得競争のために、狂奔し続けねばならない時代になっています。

東大生の保護者の年収が、他大学の保護者の年収に比して、きわめて高いというのは、すでに20年以上前から指摘されてきたことです。この傾向はますます酷くなっています。
親の生活レベルが、子供の将来を決定してしまうという時代が到来しているのです。

つまり、教育の目標が、【戦うための素養の習得(他人などどうでもよい。自分だけよければ)】の場に変質しつつあるのです。伝統的教育目標は、【生きるための素養(公共の利益を尊重しながら他人と共生すること)を身に着ける場】ではなくなりつつあるのです。

実は、この両者のバランスが絶妙だったのが、日本型教育システムだったのです。人材育成機能と生きるための素養育成の危ういバランスの上に乗っていたのが、日本型教育システムだったのです。
ところが、行き過ぎた受験競争「戦うための素養の習得(他人などどうでもよい。自分だけよければよい」が、荒れる中学校という結果をもたらしたため、このバランスが崩れたのです。それに加えて、【新自由主義的競争原理】が世界的潮流として押し寄せたため、一気に伝統的教育目標に固執する公教育批判となって噴出しているのです。

★【第四の危機】は、技術への教育の従属です。わたしもその渦中にいたのですが、1970年代以降、理科教育の重要性がどれだけ叫ばれたことか。男の子の優秀な人間の大半は、理科系の大学に進みました。女の子の優秀な子供が文科系に進んだくらいで、理科系にあらずば人にあらずという風潮が支配したのです。

ですから、大多数の政治家は、現在のグローバリゼーションを技術進歩の産物と見なしているのです。それに反対することは非常識とされるのです。従って、現在進んでいる変化を理解する能力と、それに適応するための手段を新しい世代に与えていくのが、教育の主な役割ということになる。のです。この三段論法に抗することは至難の業です。

★【第五の危機】は、このような教育システムが、新たな形の社会的分断を正当化する手段として使われているということです。
先進国では、21世紀は『知識の時代』というのが主流でしょう。つまり、無形の(知識、情報、通信、コンピューター)を中心とした知識の時代だというわけです。

マスコミやTVで見聞きする「eビジネス」、「e交通」、「e教育」、「e企業」、「e労働者」という言葉は、いわゆるニューエコノミーと呼ばれるものです。ニューエコノミーは、知識を基本的な資源とします。
だから、企業は「価値ある知識」を推進し、組織化し、付加価値を高めることに狂奔します。
そして、それを推進するためには、「価値ある知識」を生み出すことができる人材育成が必要だ、という結論になります。そして、それを保障する「場」が教育というわけです。

このような教育が推進されるためには、効率性が必要です。伝統的教育論※【生きるための素養(公共の利益を尊重しながら他人と共生すること)を身に着ける場】のような非効率な方法は、捨て去らねばなりません。

では、このような教育についていけれる人間はよいのですが、ついていけない人間はどうしたらよいのでしょうか。
これに対する文部科学省の回答が、「ゆとり教育」です。簡単に言えば、このような効率的な教育についてこれる人間は一握りでよい、残りの多数の人間は、ゆっくり遊んでいろ、というのです。公教育の教師は、この子供たちの「お守り」をするのが主要な役割だ、ということになります。

では、一握りの人間の教育はどうするのか。
これが、「中高一貫教育」とか「教育の自由化」とか私立を重視しようという方向性なのです。
一言で言えば、『教育の階層化』の推進です。これが、現に進行しつつある「新自由主義的教育改革」なのです。

国旗・国歌法案や歴史教科書問題などを本気で信じている連中は、自分が上記のような教育改革の露払いをしているなどと思わないでしょうが、これがわたしのいう1タイプの人間の凄さなのです。
論争の矢面に右派をたて、左派とのイデオロギー論争をさせておいて、気がつかないうちに「教育の階層化」を実現させてしまうのです。

しかし、わたしたちが真剣に考えておかなければならないのは、教育の結果は20年、30年経たなければ分からない、ということです。上記のような教育で育てられた子供たちが、20年後、30年後どのような人間になり、どのような社会を作り出すのか、誰にも分からないということです。
だからこそ、本当に真剣に教育問題を考えなければならないのです。


    
 
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