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  普通であり続けた稀有の人ー後藤田正晴論
流水    −    2005/09/24-12:19:09
後藤田正晴氏が逝去された。
彼は、戦後保守政治家の良心を代表した一方の旗頭でした。
彼が晩年唱え続けた【護憲論】は、イデオロギー色の少ない護憲論として、護憲派にとってもきわめて重要なものでした。
彼のような人物がこの時期になくなられることは、護憲派にとっても大きな損失で、非常に残念なことです。

そこで、一文を草して彼の冥福をお祈りしたいと思います。
0002 Re: 普通であり続けた稀有の人ー後藤田正晴論 ごまめの翁 09/26 10:08
 
流水さん
 私は感覚的にしか書けませんが後藤田正晴氏は嫌いな自民党の中では正論を言われる人物で、話される事も一貫して変わらず、好きな政治家の一人でした。
 毎週、日曜日早朝の時事放談に8月以降お顔を拝見出来無く成ったと思っていましたら、先日の訃報、心から哀悼の辞を申したいと思います。

 考えると、91歳との事、自民党内に戦時中の事を知っている人物が居なく成ってから、改憲論も頭を持ち上げ歯止めが無く成った政党に変質したと思っています。

 先日の時事放談は後藤田正晴氏の追悼番組でしたが過去の氏の論評の映像を流していました。自民党内に若手が台頭するに従って、正論者の発言がかき消されているのかなと此の後藤田正晴氏の最後の時事放談を見て感じました。
    
 
0001 普通であり続けた稀有の人ー後藤田正晴論 流水 09/24 12:19
 
後藤田正晴氏が逝去した。
享年91歳。戦後の保守政治家の中でも、屈指の人物であろう。

簡単に略歴を見てみる。
1914年徳島県美郷村(現吉野川市)生まれ。1939年東京大学法学部卒。
2005年9月19日、91歳で死去。
1939年内務省入省、自治省を経て 
1969年警察庁長官。 
1972年内閣官房副長官。 
1976年に衆議院議員に徳島全県区より初当選、以後7期連続当選。 
その間、自治大臣、内閣官房長官、行政管理庁長官、総務庁長官、法務大臣、副総理を歴任。 
中曽根内閣では他派閥である田中派から官房副長官に異例の抜擢をされ、以降通算3期を勤めた。

鋭い舌鋒や認識力から”カミソリ後藤田?”とあだ名され、長く権力の中枢に在った。内閣危機管理室の創始者としても知られる。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B8%E5%C6%A3%C5%C4%C0%B5%C0%B2

彼が警察庁長官時代は、東大紛争、連合赤軍事件などをはじめ、戦後学生運動の一つの頂点の時代だった。これから以降、学生運動は終息し、若者たちの脱政治化、保守化、右傾化の傾向が顕著になった。その意味では、後藤田警察庁長官の果たした役割は大きかったといわざるをえない。

では彼はどのように学生運動を見ていたか。
安保闘争に関連して、以下のように述べている。

●「戦後は大学教育が一般化し、大学生が戦前に比べて飛躍的に増えた。私の時代は、同世代の100人に1人が大学に進んだに過ぎなかったが、この時期には5人に1人が大学に進んでいた。政治的勢力がそこに火をつければ、このような騒ぎになるのは当然の事だ。もし、この大学生が大学を卒業しても、それを受け入れる職場がなければ、なおのことその騒ぎはふくれあがるだろう。だから、私は、彼らが大学を卒業したら職を与え、生活の安定をはかるように考えるのが、国家の役目だと思っていた。…警察力だけでは限界があると考えていたんだ」 

東大安田講堂については、

●東京に出勤してくる各県の本部長には、決して暴走するな。いかなることがあっても死者は出すな。学生達に死者を出すな、という訓示を与えて送り出した。…確かに警察がその気になって実力を行使すれば、学生を追い払う事は簡単なことかもしれない。しかし我々の任務はこの安田講堂だけで終わるものではない。治安というものは、長期的に見て取り組まなければならない。必要なのは彼らに敵対心だけを与えないことだ。いずれ彼らも善良な市民として育っていくわけだから、そういうしこりを残すと長い目で見たら不利になる。今、必要なのは彼らの行動を国民から浮き上がらせてしまうことだ。なんと愚かな事をしているのかと理解してもらうことだ。少々対応が遅れて、警察は何をやっている、と非難されても構わない。我々は軍隊とは異なるのだから…」 

連合赤軍事件に関しては、

●「相手を射殺することは簡単だが、人質を撃ってはならないという、手足をしばられたうえでの警察活動だった。警察官の死は断腸の思いだ」 

このときの後藤田氏の仕事振りについて、朝日新聞記者は以下のように述べている。
●「他県の機動隊を東京に出動させる時は、食糧をどう調達するか、下着を何枚もたせるか、どこに泊めるか、どのようにして休憩を与えるか、そういう細かいことを指示していましたね。びっくりするくらいマメな人でした」 

このことについて、後藤田の考え方は、
●「食に飢えたり、風呂にも入れずにいたり、雑魚寝のような生活をすれば、人間の精神状態が日頃の状態を維持できるわけがない。これでは人間の知性や感性を低下させるだけだ」 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼の発想を良く見て欲しい。どこにもはっとするような斬新なものはない。
安保闘争に関連して述べた【もし、この大学生が大学を卒業しても、それを受け入れる職場がなければ、なおのことその騒ぎはふくれあがるだろう。だから、私は、彼らが大学を卒業したら職を与え、生活の安定をはかるように考えるのが、国家の役目だと思っていた。…警察力だけでは限界があると考えていたんだ】というものの見方は、多少人生経験をつんだ大人なら誰でも考えることである。

実は、「かみそり」と異名をとった後藤田正晴の凄さの秘密は、ここにある。どんな組織でもそうだが、人間の評価基準を他人に真似できないこと、新しいことをできる人間に置く傾向がある。【進歩】を絶対の価値基準におけば、必然的にそうならざるを得ない。
そのため、人は、常に新しいこと、新しいことを追い求めたくなる。ところが、新しいことは、常に真実とは限らない。それどころか、一見新しいように見えて、実はとんでもない偽者だったりする場合もしばしばある。
新しいものは、歴史のフィルターをかけなければ、【真実の価値】にはならない。
戦後日本の風潮は、【進歩】を絶対的価値基準において、新しさを追い求めて、古いものを【古い】という価値基準だけで捨て去ってきた傾向がある。
後藤田は、この新しさの欺瞞性、偽者性を見切っていたと思う。

後藤田の凄さは、人間の心の流れを読みきって、組織運営を行ったところにある。例えば、他府県の警察官を動員するときの考え方【食に飢えたり、風呂にも入れずにいたり、雑魚寝のような生活をすれば、人間の精神状態が日頃の状態を維持できるわけがない。これでは人間の知性や感性を低下させるだけだ】という発想に顕著に現れている。
今の言葉で言えば、【現場主義】とでもいうのであろう。

この認識は、少しでも多数の人間を現場で動かした経験のある人なら常識である。しかし、この認識を徹底して実践に移すことができるトップの人間は、数少ない。
古くは文禄・慶長の役の時の石田三成の例が示すように、頭の中で描いた数値だけで事を行う切れ者の官僚的決定が行われるケースが大部分であろう。【効率性】と【人間の生理】との価値判断の問題である。
実は、この相違は、人が考えるよりはるかに大きい。極端にいえば、【大きな政府論】と【小さな政府論】の違いにまで遡及する違いなのである。

後藤田は、この認識を彼の戦争経験から得たのではないかと思う。
終戦を台湾で迎えた後藤田は、そのときの経験を次のように語っている。

【8月15日に台北の街中で鳴った爆竹、それまで我々と一緒にやってきたと言っても、彼らにとって日本が負けたということは嬉しい事だったんだ。この時に僕は異様な感じを受けたね。それまで異民族に支配されるという屈辱を我々は知らなかったんだな。】

この経験で、彼は、他の凡百の官僚と画然と分かつ他者に対する想像力と複眼的思考を手に入れたと思われる。

彼は軍隊での死についても興味ある言葉を残している。

【戦争は、死ぬも生きるも紙一重。だが、死よりも生に近づく方法がある。確かに同じ場にいて、同じ列に並んでいるのに、助かる者と命を落とす者がいる。それは運命と言っていいだろう。だが、運命論だけでは片付かない面が戦争にはつきまとっている。それはできるだけ多くの情報を集め、それを正確に解析して死の側に組み入れられる確率を少なくする努力をしなければならないということだ。運命論者であり続けるならば、いつか死の側に組み込まれる。】

ここに【かみそり】と異名をとった後藤田の真骨頂がある。軍隊のような死と隣り合わせの場所にいれば、人は自然と「運命論者」にならざるを得ない。しかし、運命論に流されれば、結局【死】に組み込まれる。これを阻止できるのは、情報収集と冷徹な解析と生きようという強い【意志】だというのである。
関東軍兵士だったわたしの父親が戦争の教訓としてわたしに語った言葉がある。
「戦場で真っ先に死ぬ奴は、猪突猛進型で後先考えない人間、次に死ぬ奴は、病的に臆病で弾から逃げよう逃げようとする人間、そういう奴には不思議に弾があたる。最後まで生き残る奴は、冷静にあたりを観察し、突進する時には突進し、危ないと見たら引くことができる人間だ」

わたしの父親は生涯を田舎の一商売人として生きた人間なので、後藤田などと比較にはならないが、実戦経験は後藤田よりはるかに豊富である。その父親の教訓と戦場の認識が重なり合うところに、後藤田の凄さがある。

政界入り後の彼を支えたのは、【仕事師】としての凄さと【警察庁長官の人脈】を生かした【情報収集】とその【冷徹な解析】、しかもその情報を使わないで握りこむことにより、周囲から【畏怖の念】を勝ち取り、仕事の遂行を容易にする手腕である。

弁護士中坊功平氏のいう、【正面の理、側面の利、背面の恐怖が揃わなければ、人は動かず。】という認識を一身で表現したのが、後藤田正晴という人物であろう。
しかも、彼は生涯を官僚、保守政治家として送りながら、自分の信念、【戦争をしてはならない】【人に恨みを抱かせてはならない】を死ぬまで貫き通した稀有の人でもある。

一言で彼を評するならば、【普通の感性】を、衆にすぐれた仕事力と抜群の情報収集力と解析力で、貫き通した人であったと思う。
【普通である、普通を貫き通す】ことの凄さを体現した人物である。


    
 
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