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  死の定義とは:臓器移植法の問題点
流水    −    2005/02/25-23:41:34
死は誰にも平等に訪れます。まして、われわれのように、死を身近に感じる年齢になると、【生と死の問題】は切実な問題になります。医学的にいう【脳死】は本当に人の死なのだろうか。人の死の問題をお上に決められてよいのだろうか。真剣に考える必要があります。
0001 死の定義とは:臓器移植法の問題点 流水 02/25 23:41
 
人の死とは何か!人の生とは何か!臓器を他人に与えることは、本当に善なのか?
臓器移植法は、人にとって根源的な問題を問いかけています。
しかし、哲学的宗教的議論はある程度理解できますが、医学的議論に関しては、門外漢の悲しさで、どうもよく分からないことが多いのです。

今回の臓器移植法改正案は、主に臓器移植法第6条を巡ってのものです。
【現行第6条 】
医師は、死亡したものが生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者を含む。以下同じ)から摘出することができる。 
2 前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることになる者であって脳幹を含む全脳が不可逆的に停止するに至ったと判定されるものの身体をいう。 
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を、以下のように変えようというのです。
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【改正案】
第6条
@医師は、死亡したものが生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき★若しくは遺族がないとき、又は死亡したものが当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死体を含む。以下同じ)から摘出することができる。。 
★A前項後段の場合において死亡した者が未成年者であるときには、移植術に使用されるための臓器の摘出を書面により承諾する遺族は、その者の親権者であったものとする。
★B第一項の場合において、死亡した者の臓器提供の諾否に関する意思は、遺族に確認されなければならない。
★C第一項にいう【脳死体】とは、脳幹を含む全能の機能が不可逆的に停止するに至った状態(以下、本法において「脳死」という)にある死体をいう。・・・以下略・・・
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(注)★以降の文章が、現行法と相違する点です。この改正案は、上智大学法学部教授町野朔氏が提出した「臓器移植の法的事項に関する研究」のなかで提示されたもので、通称【町野私案】と呼ばれているそうです。

この改正案には、多くの問題点が含まれています。ここでは、【脳死】が本当に人の死か、という点に絞って考えてみたいと思います。

■「脳死」は、本当に人の死だろうか、という問題点です。

現行法は、【脳死】を人の死とするか、人の死としないかは、われわれ一人一人が選択できる法律になっています。
脳死を人の【死】と判定してもらってよいという人⇒ドナーカードにその旨を表示しておけば、家族が拒否しない限り、法的脳死判定をうけることができます。
そうでない人⇒ドナーカードに登録しないか、脳死を人の死と思わないという旨を書き込んでおけば、心肺停止まで生きた人間として扱われます。
これを【死の多元主義】というのだそうです。(森岡正博説)

改正案(町野案)は、【脳死】を一律に【人の死】と定義しています。また、本人の拒否がなければ、家族の承諾のみで臓器摘出を可能にしています。

問題は、【脳死】が本当に人の【死】という医学的知見が正しいのか、という点にあります。この点については、医学的にはかなり【疑問】があるそうです。例えば、ラザロ現象というものです。
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「一九八二年、医学界のもっとも著名な専門誌The New England Journal of Medicine(vol.307,Mo.8)に、テンプル大学病院のS・マンデルらによる驚くべき報告が記載された。二十八歳の男性が脳死となった。その一五時間後に、患者は左脚を自分の力で持ち上げ、手足を動かした。両腕は、四五度まで上がった。そして両手で祈るような動作をして、手のひらを握りしめた。その後、両腕が離れて、身体の横の元の位置に戻った。そのあいだ、両脚はあたかも歩いているような動きを見せた。この動作は、四日間自発的に続いた。この患者の心臓はその後二ヶ月のあいだ動き続けた。マンデルらは、未知の現象として、この事例を報告している。 
 一九八四年、マサチューセッツ総合病院のA・H・ロッパーは、脳神経科学専門誌Neurology(Aug.)に、同様の症例を五例、詳細に報告し、これを「ラザロ徴候」と名付けた。ラザロとは、新約聖書でイエスによって死から蘇らされた人物の名前である。ラザロ徴候は、脳死判定を終えて人工呼吸器を取り外したあとに四例観察され、脳死判定の無呼吸テスト中に一例観察された。 」(日本の「脳死」法は世界の最先端)『生命学に何ができるか』(森岡正博)
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このような医学的所見がかなり一般化されているにも関わらず、【脳死】=人の死と法的判断するのは反対であるというのが、森岡氏の意見です。

さらに、森岡氏の説を紹介すれば、上記のような医学的知見の変化を踏まえれば、現行法の【死の多元主義】は世界でもっとも進んだ法律であり、これは守るべきであるという議論を展開しています。
また、世論調査で日本国民の30%以上が【脳死】を人の死と見ることに反対している現状で、このような「改正案」を通すべきではないともいっています。

医学的専門知識がないわたしには、どちらが正しいのか判断に迷いますが、ことは【人の死】に関わる問題です。それを厚生労働省などのお役人に判断してもらいたくはありません。人の死は、誰にも公平に訪れます。つまり、全国民の問題であるのです。
この問題は、【臓器移植の推進】などという効率性だけで判断されるものでないことだけは確かです。
その意味で、森岡氏の「いう【死の多元主義】という考え方の趣旨に共鳴を覚えます    
 
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