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戦争体験者の証言
笹井明子
−
2004/08/17-08:54:18
戦争を知っている世代から、戦争を知らない世代へメッセージを伝える場。
0190
Re: 戦争体験者の証言
笹井明子
06/05 12:21
老人党オフライン党員さんのメッセージです。「老人党公式サイト」に投稿したものですが、こちらにも掲載します。
******************
須藤正剛 さま (6月1日)
「北からの近況報告」
5月19日、東京都北区企画広報課区政資料室から〔戦後60年写真で語り継ぐ平和の願い〕が届く。本紙(オフライン党員さんあてお便り)5月11日付にて、太田博氏が提供された情報から、依頼していた写真集である。
子供の頃に見たことのある戦時中の諸々が思い出され、昭和22〜23年頃の、母との死別や、南方戦線からマラリアに感染し英軍爆撃の至近弾で右耳の聴力を失って復員した父や弟との苦しかった生活なども脳裡に浮かんだ。
更にこの写真集を見て、米軍爆撃機による東京大空襲が、噂以上にすさまじかったことも想像され、心が痛くなった。
5月23日、老人党(護憲+)冊子〔戦時中の思い出を語ろう〕が届く。60年前を昨日今日に引き寄せて、数え切れない人々の数え切れない悲しみ、怒り、命への想いなど、率直な体験の記述が溢れていた。
人間の記憶は曖昧で、時の経過と共に風化し消えて、忘れられてしまう事例もあるが、北区の戦後写真集もこの冊子も、日本が直面した戦争の事実を克明に後世に伝える証明となると思いながら、繰り返して読んだ。
そして迎えた5月28日の大田区民ホールの「戦争体験を伝承する朗読&講演会」の開催の一報。残念ながら出席できなかったが、東京新聞にも大きく報じられ、老人党の存在を広く世に問えたことは、その意義と共に大いに喜びたい。
病的なまでに先を急ぎ、私利私欲がむき出しとなり、さまざまに破綻が出てきている最近の政治・世相だが、過去に学ぶことを忘れると国民を犠牲にする戦争を再び繰り返す、その予兆も感じられている。
大東亜戦争の開戦は昭和16年12月8日(月)、終戦が昭和20年8月15日(水)。この3年8ヶ月の無謀な戦争の原因は何だったのかを、改めて知ることも大切ではないかと痛感している。参考までに、最近読んだ資料を紹介したい。
(1)大東亜戦争の実相(瀬島隆三著・PHP研究所・平成10年発行)
(2)樺太1945年夏−樺太終戦記録−(金子俊男著・講談社刊・昭和42年発行)
(3)戦火の記憶−戦後60年100人の証言−(北海道新聞社編・平成17年発行・北海道新聞出版局刊)
*********
0189
Re: 戦争体験者の証言
ごまめの翁
05/31 14:09
開戦時の勅語、今この勅語を聞いた人は現在何人いるのでしょう。
これを見ると陛下に責任有りかどうかの論争は下火になっていますが、天皇陛下に戦争責任は有ると改めて感じます。
昔、寒い講堂で校長先生が勅語を読み上げて御名御璽(ぎょめい-ぎょじ)を聞くまで頭をたれて水鼻をすすりながら、此の勅語を聞いたのがよみがえってきました。笑い話ですが、頭を上げた途端に鼻をすする音をたてていた思いは懐かしく、その内容の意味は分かりませんでしたが、陛下が戦争を始めたと言っていると思ったのは確かです。そして日本は直ぐに勝利すると思っていたような気がいたします。
しかし現実は、此の勅語一つで多くの異国の人々と日本の国民が亡くなる戦争が始まったのは事実ですから。
戦後になって当時の情報が明らかされると私の国家というものの見かたが変わりました。
考えると当たり前な話ですが戦時中の日本は自国に不利な情報は隠ぺいしていて、それを国民が鵜呑みにしていたと言うことで、国家の発表する嘘の情報を国民が信じ日本軍を過大評価していたと言うでしょう。
これらを含めて開戦の勅語を見ると、やはり陛下には戦争責任は有ったと改めて感じました。
此処で現実に目を向けてみます。
Re: 護憲+メンバーの「今日の、今週の、今月のひとこと」0661に書いていますが、
元首相の宮沢喜一氏が憲法改正しようとする行為は、
「今の政治家は自分は戦場に行くことはないと思っているから、平気で勝手なことを言っている、政治家に戦争体験者がいなくなっり当たり前の様に海外派兵を口にするのは困ったものだ」
と言っている言葉は,天皇陛下を含めて全為政者に聞かせたい言葉です。
それと、日本が自衛隊を持つようになって日本の国家が昔の様な隠ぺい体質に様変わりしてきた事は間違いないと思います。
竹島や尖閣諸島を解決するには武力が必要という論理が頭をもたげています。其れを言うの人々の気持ちは分かります。しかし武力での解決は恨みが残ります。中国や韓国の事例がそうです。
私はこの両国に言いたいことは日本が力の政策で両国を押さえ込んだ恨みが半世紀過ぎた今でも残ってるのを両国が一番ご存じです。それだから話し合いで解決してほしいものです。
両国が力の論理で解決しようとするならば、戦争体験者が少なくなった今では、日本に憲法改正論者が増えてくるのは間違いないと思います。もし憲法が改正され日本が海外に派兵できる軍隊が出来るとすると、両国にも日本に正式軍を誕生させた責任があると私は思うのです。
0188
Re: 戦争体験者の証言
ごまめの翁
05/30 14:57
護憲+の他のサイトで、
【いただいた小冊子、さっと拝見しましたが、目次があればわかりやすいと思いました。改訂版の際、ぜひご検討ください。】
とありましたが、編纂をした私も印刷してから気付き勉強をさせていただきました。
私の戦時体験はほとんど書き込みましたのでネタはほとんど有りませんけれども気が付いたことを書き込むことに致します。
私は何でもかんでも保存する癖があります。しかし何を保存していたのかはすっかり忘れていますから考えるとお笑いものです。先日、PCのファイルを点検している時に、アッ大本営発表も保存してたのだと戦争の始まった昭和16年12月8日の大本営発表をのぞいてみました。
今これを聞いて当時を思い出せる方は日本人口の何%居られるのでしょうか昭和一桁でも真ん中以前の人々だけでしょう。
これを見ると腹立たしく感じますがも現実だったことに目を叛けず見つめていくことも、之からの憲法改正反対の一里塚になると思い遇えて紹介します。
大本營陸海軍部發表(十二月八日午前六時)
帝國陸海軍は本八日未明西太平洋において米英軍と戰鬪状態に入れり
大本營海軍部發表(十二月八日午前十一時十分)
一、帝國海軍は本八日未明ハワイ方面の米國艦隊並に航空兵力に對し決死的大空襲を敢行せり
二、帝國海軍は本八日未明上海においてイギリス砲艦「ぺトレル」を撃沈せり、アメリカ砲艦「ウエーク」は同時刻我に降伏せり
三、帝國海軍は本八日未明シンガポールを爆撃して大なる戰果を収めたり
四、帝國海軍は本八日早朝「ダヴァオ」「ウエーク」「グアム」の敵軍事施設を爆撃せり
大本營陸軍部發表(十二月八日午前十一時四十分)
我が軍は本八日未明戰鬪状態に入るや機を失せず香港の攻撃を開始せり
大本營陸海軍部發表(十二月八日午前十一時五十分)
我が軍は陸海軍緊密なる共同のもとに本八日早朝マレー半島方面の奇襲上陸作戦を敢行し着々戰果を擴張中なり
大本營陸海軍部發表(十二月八日午後一時五十分)
本日必要の區域に防空の実施を下令せられたり
陸海軍省(十二月八日午後三時同時發表)
本日陸海軍大臣を宮中に召させられ、左の勅語を賜りたり
勅 語
曩ニ支那事變ノ發生ヲ見ルヤ朕カ陸海軍ハ勇奮健鬪既ニ四年有半ニ彌リ不逞ヲ膺懲シテ戰果日ニ揚ルモ禍亂今ニ至リ尚収マラス朕禍因ノ深ク米英ノ包藏セル非望ニ在ルニ鑑ミ朕カ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ解決セシメムトシタルモ米英ハ平和ヲ顧念スルノ誠意ヲ示ササルノミナラス却テ經濟上軍事上ノ脅威ヲ_強シ以テ帝國ヲ屈服セシメムト圖ルニ至レリ
是ニ於テ朕ハ帝國ノ自存自衛ト東亞永遠ノ平和確立トノ爲遂ニ米英兩國ニ對シ戰ヲ宣スルニ決セリ
朕ハ汝等軍人ノ忠誠勇武ニ信倚シ克ク出師ノ目的ヲ貫徹シ以テ帝國ノ光榮ヲ全クセムコトヲ期ス
右勅語を拝受し陸海軍大臣は左の如く奉答せり
奉答文
臣 英 機
臣 繁太郎
誠恐誠懼謹テ奏ス帝國未曾有ノ難局ニ方リ優渥ナル勅語ヲ賜フ臣等咸激ノ至ニ堪ヘス臣等協力一致死力ヲ盡シ誓テ聖旨ニ應ヘ奉ランコトヲ期ス臣英機臣繁太郎誠恐誠懼陸海軍ヲ代表シ謹テ奉答ス
昭和十六年十二月八日
陸軍大臣 東條英機
海軍大臣 嶋田繁太郎
この開戦時の大本営発表を見ていると,海戦当初の大本営発表は嘘はないようです。
私は戦争の原因は色々は有り彼我共に要因は有ると思っています。この大本営発表を見て感じたことは、12月8日、一日だけで此れだけ戦線を拡大出来た事は、戦後の戦史や映画などにもなっていますが、日本は早くからアメリカと一戦を交える準備をしていたことを物語っていることは間違いなく12月8日だけの大本営発表を見ただけでも明らかです。
勅語、日本語の良いところは漢字が読めるとその意味は何となく解るのですが、文語体の勅語、お公家さんでもあるまいしと思うのですが、昔は教育勅語や軍人勅諭など暗記されられた時代には絶対戻らしてはいけないと思いながら大本営発表と開戦直後を見ていると昭和16年12月8日にが鮮やかに脳の中に戻って来ました。
ちんおもうに、わかこうそこうそう、くにをおさむること、こうえんに、とくをたつろことしんこうなり、わかしんみん、よくちゅうに、よくこうに
わがくにのぐんたいはよよてんのうのとうそつしたまうところにある
教育勅語はほぼ諳んじられるようです。やはり教育が子供に与えた影響、絶対に教育の場に戦争を持ち込ませてはならないと改めて感じました。
0187
Re: 戦争体験者の証言
ごまめの翁
05/11 11:02
早朝の映像で目の中に飛び込んできたのは、ロシアのプーチン大統領が、
クレムリンで開かれた上下両院合同会議の年次教書演説で、「戦略戦力分野で均衡を維持することがロシアにとって不可欠だ」と述べ、戦略核3本柱を含む軍事力近代化の方針を表明していた。
「アメリカの最近の行動を見れば中国と手を組んで対応せざるを得ない」ともいっていた。
戦略核3本柱を近代化へ=米の圧力に対抗−ロシア大統領が年次教書演説
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060510-00000135-jij-int
核戦力強化で外圧に対抗 ロ大統領、米国をけん
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060510-00000233-kyodo-int
強い軍があれば、外圧をはね返せる」 露大統領、大国構築を宣言
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060511-00000010-san-int
普通に見ているとプーチン大統領はごく当たり前のことをいっているのです。
しかし、この演説を聞いて、私以上の年代のものはどう感じるのでしょう。
まるっきり先の大戦前の世界情勢と似てきたと感じました。アメリカは経済と軍事をリンクさせていて世界の経済を軍事の力で我がものにしようとする感じがあります。だから欧州ではアメリカの軍と経済の巨大なアメリカをあからさまに非難できない感じがしています。
そして其のアメリカに対抗して欧州連合条約が出来ユーロができたのだと、難しいことは分からないがそう感じています。
世界の主要国の演説を聞いていると表面は仲良くつきあって居る様に感じます。私もそうですが、終戦直後のアメリカとは違い、今のアメリカ国家には驕りを感じています。
今のアメリカの政治が続くならば必ず反対勢力が叛旗を振り上げる時代がくると感じ、何だか恐くなりました。
理想論かも分かりませんが、武力で世界を制覇することは過去の地球の歴史を見ても不可能です。ですから武器を持たない憲法9条は大切にしなければと思っています。
どうなんでしょう。夢物語ですが、人殺しに使う費用の全額を低開発国を助けるために使うと低開発の国々はアメリカを尊敬するでしょう。それでしたらどこの国々でもアメリカ合衆国を尊敬するのではないかと思います。
今の武力拡大の状態が続くと昔聞いたアメリカ映画の挿入歌「ケセラセラ」だと思っています。
私は戦争を知らない政治家。まして戦地で命のやり取りをしていない政治家が軍隊の事を発言するのは烏滸がましく感じ腹立たしくてたまりません。
子供時代にソ連兵に追われた弟は、「戦争で日本が危なくなったら、昔は飛行機がなかったから出来なかったが、今は最初に逃げるのは、政治家に官僚に資産家達で安全な所に飛んでいくだろう。でも俺たちで日本でどうなっているか」
「昔、いち早く逃げたのは公務員だったからな」
とぼやいて帰っていったのが目に浮かぶ。
0186
Re: 戦争体験者の証言
ごまめの翁
04/05 20:24
先日、朝日の朝刊に
「ひとすぢに平和を」 戦犯学徒兵、死刑待つ獄中日記
http://www.asahi.com/kansai/kataritsugu/OSK200604030024.html
が掲載され早速スキャナーで切り抜きとして保存をしました。今日、大阪朝日のHPに掲載されましたので紹介します。
終戦直後から二・三年は此の様な話はしょっちゆう耳にていた。戦争が終わり命が助かったと思っても、戦時中、上官の命令で敵兵を射殺や斬り殺す。戦争とは綺麗ごとでなく命のやり取りだから、このような田口さんの事例は多々有っただろう。
これは聞いた話で真実はどうだか分からないが、落下傘脱出した米兵を寄ってたかって袋だたきにして殺害したとも聞いたが、究極の状態だったら私でも同じことをしていたかも分からない。
昔の教育を受けたお方は分かっておられるが、昔は上官(学校長)の命令は上天皇陛下の命令だと教育されていた。そうなれば、此の田口さんの場合はそれを命令した上官、そして其れは上天皇に有るのだと私は思っている。
此の様にして多くの若者かが命を絶たれている。
考えてみよう。今アメリカは理不尽にも大量破壊兵器が存在することを大義名分にしてイラクに乗り込み多くの非戦闘員を殺害している。これは犯罪ではないのだろうか。昔のアメリカ軍の感覚から見れば戦争犯罪人で死刑だと私は思う。そしてブッシュもA級戦犯ではないだろうか。
結局、この世は金と力のある暴力が支配し、昔から言う勝てば官軍、負ければ賊軍の古代からの論利が今だに通用していると言うことだろう。
この朝日の一文を見ても戦争に加担して一番被害を被るのは、名もない若者、庶民だと云う事。世論調査では改憲論者が増えているそうだ。飽食で緊張のない生活が続いた今の日本人には現在の憲法が如何に大切なものかが分からなく成った民族に成り下がった。
最後に天皇制は好きではない。しかし昔から続いているものを潰す必要はないから現状維持なのだ。
だが戦後,上の命令を遂行して戦犯に問われた若者には罪がなく命令を下した朕が罪を背負うと割腹くらいの意気込みは見せてほしかった。
だから今だに思うのだが、なぜあの時に退位をしていなかったのかが未だに疑問が残っている。
この新聞記事を見て涙がこぼれ腹立ちがつのって来て一気にこれを書いた。
改めてBC級戦犯の約千人の死刑判決を受けた云われる方のご冥福をいのる。
兎に角、現在のアメリカのやって居る事は正義でもなんでもない。ただ地球人のインベーダーだと言う事だ。
0185
Re: 戦争体験者の証言
笹井明子
03/10 14:53
前にこちらでご紹介した太田博さん(オフライン党員さん)のご投稿を受けて、別のオフライン党員さんからご投稿がありました。老人党掲示板にも掲載しましたが、こちらでも紹介します。
〜〜〜〜〜
須藤正剛 さま (3月6日)
「断末魔を忘れない」
3月2日号で、太田博氏の昭和20年北朝鮮元山におけるソ連軍の許し難い蛮行の記事を読む。
幼い頃の記憶で断片的ではあるが、昭和17〜20年春まで私は母と、父の仕事(在留日本人学校教師・陸軍軍属)の関係で当時の中華民国華南省開封市に在住した。
治安が悪く、多くの日本人が匪賊に襲われて金品強奪や拉致されて行方不明になり、憲兵隊がその犯人を捕まえて射殺した場面や、南方戦線に転属となる父と別れ、帰国で乗せられた病院船がソ連潜水艦の魚雷で沈みかけたりなどが甦った。
さまざまな人たちに助けられたが、当時現役だった人たちの多くが他界されて行く最近の風潮は、少しでも油断すると「歴史は繰り返す」「災害は忘れた頃にやって来る」を現実としかねない政治色を濃くしている。
平和は棚からボタ餅ではない。平和を享受し慣れてくると、何の努力もせずに平和は続くものと錯覚する。戦禍の断末魔を絶対に忘れず子や孫にしっかり伝承して行くのは、大人たち、特に高齢者に課せられた責務だと、記事を読んで改めて考えた。
物が豊かになっても心が貧しければ、戦争は人を殺傷する感覚さえハイテク化して、ボタン操作で楽しむ傾向にならないか。悲惨な実体験が伴わないからだ。爆弾を車にセットしてリモコンで多数の人命を奪われるニュースが連日飛び込んでくるのは、その証明ではないか。太田氏の体験は遥か遠い昔の話ではない。今日も現実に起きている光景へと繋がっている。
そして遡れば、昭和20年8月9日のソ連のわが国への唐突な宣戦布告と樺太、北方四島の領有宣言は絶対に許されざるものであり、ソ連は崩壊したが、戦争の爪あとは60年経過した今も未解決のままである。
〜〜〜〜〜
0184
戦争体験者の証言
MNG
02/26 20:27
今日は「二・ニ六事件」から、70年ですね。
近代史は勉強不足で、イマイチすっきり分ってないんですが、軍事優先の世の中を繰り返すことのないようにしたいものです。
0183
>「日本の子ども60年」の写真展
MNG
02/09 18:29
ごまめの翁さま、こんばんは。
写真展、お疲れ様でした。
> しかし、あの写真では残念ながら戦後の悲惨さは全く伝わってはきませんでした。
> 一緒にいった家内もただ戦後の子供の60年の姿の紹介だなと言っていました。私もそう思います。
そうでしたか。私も戦後の悲惨さを伝える写真が多いだろうと思っておりましたので、ちょっと意外な気がします。
DAYS JAPANに掲載された写真と同じかどうかも気になります。
>終戦間もない時代の子供たちの表情は明るく目は輝いて、希望に満ちている感じが詠みとれましたが、平成年代の子供たちは豊かで、戦後の子供のような襤褸は着ていませんが目に輝きがなかったなと言うのが私たち夫婦の「日本の子ども60年」写真展に対しての感想でした。
>ヒョッとしたらこの写真展を企画した方は此れを狙っていたのかもと思いました。
そうかもしれませんね。
今の子供たちは、池や川は汚れ、道には自動車が走り回り、不審者がうろうろしたりで、外で思い切り遊べなくなってしまいました。
物はあふれているかもしれませんが、もっと大事なものが失われてしまったようで、可愛そうに思うとともに、行く末が心配になってしまいます。
0182
Re: 戦争体験者の証言・元山の話を聞いて
ごまめの翁
02/09 07:37
父は養子で,父方の祖父は漢学者で明治時代に朝鮮に渡って住み始めた所が元山です。そして私は其のお爺さんが死んだ翌日に生まれております。
ですから元山神社にはお爺さんの書になる碑がありましたので、私の身内は皆元山から引き上げており、こちらに帰ってからも元山小学校の連中とは組織が解散するまで交流がありました。
話ですから戦争体験記には書きませんでしたが、最初に侵入してきたソ連軍は囚人ばかりで編成された軍隊だと聞いており、かなり悪質だったと聞き及んでいます。
当時の噂ですが、もし兵が不祥事を起こすと、日本の憲兵に成るのでしょうゲベウたしかこう言っていましたが、レイプなどを見つけると即その兵士を射殺していたとも聞いていました。ですからあまり大声で抵抗すると思いを遂げた後、其れがゲベウに言われたりすると自分の身が危ないので、殺害したとも聞きます。
また、レイプされて自殺した娘さんも居たとも聞きましたが、あくまで人の噂話ですから、此の事には殆ど触れていません。ただ真偽はどうであれ其れが戦争で、戦場になった処は悲惨だと言うことだと思います。
でもこの話はあくまでも、ごまめが昔聞いた噂話だとして読んで頂きたいです。と云うのは戦後のうわさ話が本当のように伝わるのが恐いのです。
ただ一つ、元山に住っていた叔父は、競売を商いにしていたので地元の朝鮮の人々と仲好く差別のない付き合いをしていたのでしょう。戦後、38度線脱出に三・八(三と八の日が競売日)のおっさんを助けようと手助けしてもらっています。ですから人間人種の壁なく対当のお付き合いは大切だと叔父を見て学びました。これは私が目で確かめている現実です。
護憲+の戦時中を語るの編集の中に手もとにある昔の朝鮮の写真を挿入したいと思っています。
0181
Re: 戦争体験者の証言
笹井明子
02/08 22:18
オフライン党員の、太田博さんから寄せられた2月7日付けのメッセージを、老人党掲示板にも投稿しましたが、こちらにもご紹介します。
*******
戦後私の住んでいた北朝鮮元山でどのようなことが起こったかを書いてみたいと思います。
ソ連軍が上陸してきたのは終戦から一週間後の昭和20年8月22日です。町の中は無政府状態ですから、ソ連軍がトラックで乗りつけ、土足のまま家に上がりこみ、家財道具を根こそぎ略奪、最後は女を出せと叫びます。娘が泣き叫びながら連れて行かれるのに、親はどうすることもできない。ある夫は、自分の身を守るため妻をソ連軍に突き出す。今では考えられません。
一番可哀想だったのは、高等女学校の校長柴田先生が、教え子を庇ったため、ソ連軍に銃の台尻で殴り殺されたことです。現場に居た日本人の知らせで駆けつけた奥さんは、体中腫れ上がり、血だらけになった夫の死体を見て、「まるで地獄だ。戦争ほど悲惨なものはない。それにも増して、無能な政治家に率いられた国民ほど哀れなものはない」と叫んでいます。憲法改悪を企んでいる小泉純一郎氏に、この叫びを聞いてもらいたいと思います。
お陰さまで、私たち一家は何度も苦難に直面しながら、何とか日本に逃げ帰ることができました。ですから、日本に帰った今も、私は空襲体験者、シベリヤ抑留者、引き上げ体験者等が出演する催し、平和集会等には必ず参加しています。
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