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1093 積極的平和の意味するもの 見習い期間 2024/02/25 18:40:04
2月17日に「平和学の父」と呼ばれたヨハン・ガルトゥング氏の訃報を聞き、ガルトゥング氏が提唱した「積極的平和」の概念と日本政府が依拠している「積極的平和主義」なるものの違いを改めて考えている。
同じ語彙を用いた印象操作を行おうとしているのだろうが、両者の目指すものは明確に異なる。2月21日の東京新聞の記事に的確に記されているとおり、ガルトゥング氏は安倍政権が掲げた「積極的平和主義」には「自らが提唱した構造的暴力のないという概念は入っていないだろう」と非難していた。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/310467

平和のために武力行使をすると言ったところで、そもそも戦争や侵攻・侵略自体が暴力に他ならない。直接的な暴力は貧困や差別、飢餓などの構造的な暴力を生み出す原因にはなっても、解決する手段とはなりえないのではないか。ガルトゥング氏が紛争や対立を解決するために編み出した「トランセンド(超越)法」では、紛争に関わるすべての当事者のゴールを突き合わせ、妥協するのではなく新しい創造的な解決策を目指すものである。

日本に住んでいるほとんどの人たちは、日本には戦争がなく平和であると感じているように思う。しかし、意見や立場が違う人たち同士の意見を聴き合ってお互いにとって生きやすい世の中を作る、という国としての意思決定はできていないように見受けられる。
先日開催された「日・ウクライナ経済復興推進会議」では、復旧復興を支援するために56の協力文書を交わしたとしている。しかし、どれだけ復興を進めても同時に被害が拡大している状態では意味がなくなってしまう。
国どうしがぶつかり合って事態の終結を図るより、双方が停戦を受け入れられるような、より創造的な解決策を現実のものにできる基盤を作る過程で日本にできることはないだろうか。

政府の政治倫理審査会の名簿を見ても、委員の会派や性別には偏りがあるようだ。先週のコラムでも提案されていたように、特定の政党の人の意見が反映されないような工夫が必要ではないか。様々な立場の人の意見を聞き入れ、構造的な暴力のない積極的平和を実現するには、まだ改善の余地がありそうだ。