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1086 力を合わせることの困難さ ―限界と可能性― 見習い期間 2024/01/14 18:48:48
 初日から大きな自然災害が発生し、2024年は波乱の幕開けとなった。人間以外には暦など関係ないのだろうが、新年早々に今の日本が抱えている問題を国内外に露呈する契機となってしまったと感じられた。

 前回のコラムでは、東日本大震災を経験しているにもかかわらず政府の災害救助能力が乏しいことを的確に指摘し、災害対応をおろそかにする理由も明快に説明されている。
原発のトラブルは今回も過小評価で、もはや見て見ぬふり状態だ。一部の報道によってなんとか断片的に現況を知ることができる。志賀原発の外部電源の復旧には最低でも半年程度かかるようで、定期検査で停止中でなければ大惨事が起きていただろう。

 災害対応をおろそかにして外部からの攻撃に備えた国防にばかり力を入れるのはなぜなのか。軍備を拡張して有事の際には武力行使することを「積極的平和主義」などと称してしきりに叫んでいた時期もあるが、お互いに「攻撃しませんよ」と約束をして戦争を防ぐことはできないのか。
 これらの疑問は昨年以前からずっと抱いていたことである。そして、災害時に可能な限り早く救助活動を開始して一人でも多くの命を救い、被災した人の衣食住を守るために公助が主導で必要な場所に物的人的支援を素早くできないものかと、災害が起きるたびに首をかしげていた。

 これまでに挙げた疑問に対して、政府の中枢にいる人たちの意図を代弁し擁護する発言をテレビの報道番組で偶然に見かけた。これまでに一度は耳にしたことがある言辞も多く、あらかじめ予想できる論法ではあったが、管理し支配する側の手の内を大まかにつかむことができる。
 すべての機動力を災害救助・支援に注力しないのは、外敵から自国を守る必要もあるのに内部での災害支援に全力を投じるとその隙をついて攻撃しようと考える国もあるかもしれないから、と説明していた。特に自衛隊はそもそも戦闘集団なのだから、外に対して弱みや隙を見せてはいけない、余裕があるところを見せないといけないのだそうだ。
 市民からの「初動が遅い」という訴えに対しては、「一生懸命に取り組んでいる人たちを非難して足を引っ張らないでほしい」「SNSの発信で世論を形成していると思っているだろうが、世の中全体で見たらごく少数であり、世論とは言えない」「何に対しても批判ばかりしたがるのは日本人の心に余裕がなく貧しくなったからだ」などと、もう何度も耳にしてきた見解を述べていた。

 「他者に弱みや隙を見せてはいけない」という男性性を中心に据えた考え方がもはや時代遅れではないかとも思えるが、災害対策に使えるものをすべて投入し全力で取り組む姿を目にしたら、支援したいと思う人も現れるのではないか。複数の報道によれば、台湾からの救助隊の申し出は日本側が断ったようだ。陸路が確保できないとのことだが、海路・空路で現地入りすることはできなかったのか。有事の際にも何もしないのは、動じない余裕があるというよりも災害対応能力がないと思われるだけではないか。
 異なる意見が共存できない状態のほうがむしろ人々の心に余裕のない集団のように筆者には感じられる。足を引っ張るためではなく、より良い方向に物事が進んでほしいからこそ意見を言うのではないか。目の前にある課題に対して国内外を問わず力を合わせて取り組んでいけるようになるには、まだ時間がかかりそうだ。