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1071 弱いままで生きられる世界は実現するのか 見習い期間 2023/10/22 19:48:40
時間と空間だけでなく、精神的にも遊びのない世の中だと感じるようになったのはいつからだろうか。
 あくまでも個人の自由意志の範疇に属するはずの主体性や自主性までもが評価の対象とされ、誰かから常に見張られている感覚さえ生じる。常に評価されることによって、休むことも逃げることも容易にできなくなっている。常に努力することが求められ、評価にさらされている現状に息苦しさを感じずにはいられない。

 一見すると「多様性」や「選択の自由」を掲げ、包括的な社会を作ろうとしているが、実際には体制の一員となり社会の役に立つことを目指している構図も昨今目にすることが多くなってきた。
 保守と対峙し是々非々で意見を述べて対抗しているはずの人たちが、いつの間にか現状の体制に親和的になり、結果として社会の公共性や共同性を損なってしまう。そして、格差をも多様性や自由な選択の結果として容認し、生じた格差を拡大することに寄与してしまう。
 かつては弱者の立場にいた人たちが、強者に断固として立ち向かうつもりでいたのに最終的に既存の市場や権力に取り込まれて広告塔のように使われる様子は、何度見ても耐え難いものである。

 能力がなくても、エリートでなくても、権利が保障され最低限の生活ができる社会は実現するのだろうか。マイノリティ性を有していても社会に貢献できる人だけが仲間に入ることを認められる社会は、公共性を有する社会とは言えないはずだ。

 市民を絶えず監視して評価しようとする者と距離を保ち、忖度することなく意見を伝えることが強く求められているように思える。他人の評価にさらされていないと感じている人ほど、無自覚のうちに評価者が望む行動をとっているようだ。そもそも、一方的に評価する/される構造をなくすことが目的ではなかったのか。気が付いたら得体のしれないものに何もかも全てが管理されている世の中になってしまわないよう、抵抗し続ける必要がある。