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1063 コミュニケーションと倫理を欠く社会 見習い期間 2023/09/11 09:01:19
現在の社会情勢を見渡すと、戦争や相次ぐ自然災害など長期的に向き合って地道に対処しないといけない現象事象にあふれている。
暦の上で秋になってから一ヶ月以上経っても続いている猛暑は、あたかも災害であるかのごとく論じられているようだ。しかし、実際にはこれまでの人類の生活によって地球温暖化が進んだ事実は、世界中で共通認識となっているだろう。

市民に常に忘却を迫るように連日あらゆる報道やコンテンツが生産され、消費するように仕向けられている。しかし、そんな中でも決して忘れることができないのが、このコラムでもしっかりと記憶にとどめようとしている汚染水海洋放出の問題である。
農水相が公の場で「汚染水」と言ったことは「失言」とみなされているが、筆者にはフロイトのいうところの「失錯行為」とも解釈できた。何かの拍子に普段は無意識の範疇に抑圧しているはずの事柄が意識の範疇で認知できるようになることを指し、夢や言い間違いなど日常的に経験する現象である。
今回の場合も、汚染水の放出を決めた人たちは、現時点では放射性物質が基準値を下回っている点などを拠りどころにして、あくまでも安全に処理された水を海に流して最終処分するのだと考え、世界全体に対しても理解を求めているのだろう。だが同時に、たとえ基準値を下回っているにしても30年間放出し続けることへの懸念や放射性物質以外にも害のあるものを放出するのではないか、放出している間に新たな災害の発生などで汚染水放出を中断することもありうる、などの不安や懸念を彼らは無意識の領域に押しやっていると考えて間違いない。

舵取りをする人物たちが、人間として生きることに直結した根源的で重大な疑問や課題を無意識に抑圧しているのだと、一般市民たちが生きる社会の側では気が付いているのではないか。
生命にかかわる問題や各人のQOLを脅かすような懸念を、ステークホルダーもそうでない一般市民たちもすべての人たちが認識している。だからこそ、専門知を持たない世論の側からの問題提起や疑問の表出と向き合わず、汚染水の海洋投棄を開始する数日前になってようやく漁業関係者に「理解を求める」のだろう。
欧米の後追いで形だけ真似しているかのように見えるが、近年では自然科学の研究とそれらの知見を活かした科学技術分野においてELSI(Ethical, Legal and Social Issues)やRRI(Responsible Research and Innovation)を考慮すべきであるとの声が聞こえてくる。
しかし、原発事故によって作り出された汚染された土も水も最終処分にいたるまでには世論を聞き入れることはなく、社会的な課題に十分に向き合い対話しようという意思は感じられない。
ましてや原発事故の汚染水を海へ廃棄することは過去に前例がなく、まさに新しい科学技術的な問題に該当する。それにもかかわらず、世界全体での公共財でもある海を汚染すること、ヒト以外の海洋生物の生命に何らかの影響を与える可能性があること、といった倫理的な課題とも向き合わない。さらには政策の意思決定に専門知の外側にいる市民が関与していない点も倫理を欠いた合意形成プロセスに思われる。合意というよりも一方的な同意を求めているようだ。

日本では学問を軽視している現実、特に人文科学と基礎科学をないがしろにしていることは明らかである。科学技術と関わる倫理、法、社会の問題の中でもとりわけ倫理的な側面から生じる問題にたいして様々な立場の人が関与して方向性を定めなければならない。