呼出完了
1057 戦争の体験と平和への思いを語り継ぐ 笹井明子 2023/08/15 13:53:59
「機銃掃射逃れ九十路(ここのそじ)の終戦忌」 藤原日出(90)

これは、戦後78年目の終戦の日の今日、「東京新聞」一面トップに掲載された「平和の俳句」です。

この俳句を読んで、私は、「護憲+」発足当初からのメンバーの一人が2009年に投稿した「東京大空襲」という記事を思い出しました。
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/f8b6123ff922586518f56ac795d1e841

『・・・1945年3月10日の東京大空襲から2、3日経って日暮里駅の橋の上から浅草方面を眺めると、見渡す限り廃墟となった街の向こうに、国際劇場の大きな白い壁だけがぽつんと残っていました。ここに住んでいた人々は、大切な物も思い出も、中には命まで失ってしまった。無念の情が当てもなくさまよっている気配に、私と友はしばし言葉もなく立ちすくむばかりでした。そして明日はわが身の不吉な予感も。
・・・
4月13日の夜、ラジオの「関東海面警戒警報発令」の報に飛び起きました。
・・・
案の定しばらくすると空襲警報が発令され、B29特有の不気味な爆音が響き始めると「逃げろ!」と声がかかり、あわてて近所の公園に。途中でぽんぽんと石でも落ちるように焼夷弾が降り注ぎ、肝を冷やしたもののなんとか無事でした。あの時防空壕を出るのが少しでも遅れたら、きっと蒸し焼きになっていただろうし、弾がちょっと外れたら頭が木っ端微塵になっていたに違いない。
・・・
燃えやすい木造の日本家屋に注目して、焼夷弾による冷酷非情な無差別爆撃を計画したカーチス・ルメイ少将は「この空襲が成功すれば、戦争は間もなく終結する。日本降伏を促す手段は火災しかなかった」。トルーマン大統領の原爆投下の理由も似たようなもの。戦争はすべてを正当化してしまうのです。』

「東京新聞」は、戦後70年以降、毎年8月に「平和の俳句」の募集・掲載を続けてきましたが、「平和の俳句」の選者の一人、夏井いつきさんは、今日の選者の言葉の中で、「誰もが希求するのは、三度三度のご飯が当たり前にいただける平穏な生活が続くこと。平和な風が吹き続けること」と言っています。本当にそのとおり!

「明け染める 天つ美空は 爽やかに」
この俳句は、終戦直後に生まれた私に母方の祖父が、「明子」の名前と共に贈ってくれたものです。

この句には、終戦の前年に学徒出陣にとられた長男(母の弟)が、フィリピンに向かう航空母艦の沈没で戦死するという喪失を経た祖父の、ようやく訪れた平和への希望と明るい未来への願いが込められています。

「護憲+」発足から20年が経ち、当初積極的に発言して下さっていた戦争を知る世代のメンバーは、皆さん掲示板から去り、残念ながらお話を聞く機会がなくなりましたが、祖父が俳句を通して私に託した思いを胸に、先輩たちの戦争の記憶と平和への意志を受け継ぎ、これからも語り継いでいきたいと思います。