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1017 「アイヌ語が国会に響く」を読む(その1) 名無しの探偵 2022/12/02 22:18:13
@問題の所在
故萱野茂参議院議員(2006年没)を中心とした共著を読み、アイヌ民族の苦闘の歴史を初めて知ることになるが、私たち、日本本土の人間は「アイヌ民族」を辺境の民として、軽視してきた(蔑視とも言える)ことはまぎれもない事実である。最近まで(明治政府の制定した)「旧土人法」が存在していたことは端的に、それを物語る。この、旧土人法の存在が、アイヌ民族の差別的な立ち位置を規定していたのである。
共著者の一人である、尾本恵市東大名誉教授の著書では、尾本教授は、次のように、述べている。
「1996年に始まった『世界の先住民の国際10年』の間に我が国でも、1997年5月、明治32年施行の『北海道旧土人保護法』がついに廃止され、『アイヌ新法』が制定され、遅まきながら文化・民族の多様性を認める社会への一歩が踏み出された。」と書いておられる。また、尾本教授は、萱野議員の思い出として、尊敬の念を込めて、次のように語っておられる。
「狩猟採集民の特徴と思われるが、論理を直線的に語るのではなく、『たとえ話』が多く、それは心に残るものだった。萱野語録の例を2,3あげておく。
『北海道で、われわれアイヌは長い間、自然の利子で食べさせてもらっていた。ところが、ある時和人がやってきて、元本を食い尽くしてしまった。』
これは、現代文明化の環境問題を見事に言い当てている。1998年、彼は国会議員任期満了に伴い惜しまれて政界を引退したが、その時残した言葉は『
狩猟民は、足元が暗くなる前に家に帰る』である。真っ暗になっても、なお権力にしがみつく輩に聞かせたい言葉である」と。
尾本教授の著書の引用が長くなったが、改めて、アイヌ民族の「苦闘の歴史」を見直してみたい。
2,萱野茂議員の活動で、「アイヌ新法」が成立したとはいえ、本書では、この新法ができるまでの、アイヌ民族の和人:本土人との関係は順風漫歩とは言えず、その呼称からして問題の多いものであった。江戸時代には、松前藩の支配を受け、「蝦夷地」と言われたが、当のアイヌ人は蝦夷(蔑称である)と言われることが嫌いだったという。(東北にも文化圏のあった、アイヌ人は津軽地方や南部地方にも居住しており、それぞれ津軽藩と南部藩の支配に甘んじていた)
ところが、明治新政府の時代になると、政府は、蝦夷地を開拓する大規模な計画を立て、蝦夷地を「北海道」と呼称して、北海道開拓使を設立して、アイヌ民族をその文化圏から追い立てて、居住区も特定の地域に居住するように移住させてしまうのであった。また、アイヌ民族の狩猟も制限したり、禁止したりしている。これが旧土人法の制定の背景となったのである。それは、アイヌ民族の「先住権」の剥奪であり、民族としての文化の剥奪となっていく。一言で言えば、日本人への「同化政策」である。
こうした、近代以降における明治政府の「政策」がアイヌ民族の民族自決権と文化の否定となり、重要なアイデンティティである「アイヌ語」の衰退となったことは顕著である。
萱野茂議員は、1926年生まれであるが、完全なアイヌ語を話すことができ、アイヌ語の辞典も制作している。

次回は、本書の共著者の方々の記述を中心に述べる。今回コラムは、アイヌ民族の理解が初心者にすぎず、適切なコラム投稿になっていない。反省を込めて、次回へつなぎたい。
(以上)