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1002 「人類学」との出会い(その2) 名無しの探偵 2022/08/25 22:01:16
(はじめに)前回投稿に引き続き、尾本恵市東大名誉教授の著書「ヒトと文明」を参考にコラムを書くことにしたが、私の現在の立ち位置ではコラムという前提での投稿は難しいと思っている。なぜなら、時事問題に関して、直接の論稿はあまり得意分野ではないからである。(次回以降は他の人に依頼をお願いしたい)
前回の投稿で、言及できていないことがあり、そのことから述べる。人類学に興味を持ったのは、かなり前からであるが大きなきっかけになったのは、むのたけじ氏の著書を読んでいた時に、むのたけじ氏が「戦争に関しての重要な視点として、もう一度「人類史」に立ち返ってみる必要があるのではないか、と言われ、本を終えたことで、私は大きな課題をもらったと思って、人類学を最初から学ぶ必要性に目覚めたのである。
2,今回の投稿は、個人的な病気があり、一月本が読めず、きちんとした論稿は困難であると思う。それで、いきなり尾本氏の著書のおおまかな見通しと私の「人類学」から受けた感想しか、書くことができないことを最初に断っておく。
むのたけじ氏が人類史に立ち返って、現在の歴史的な到達点を観るべきと「遺言」として言われているのは、実に的確だと思う。第二次世界大戦から77年の現在、ロシアがウクライナに侵攻して、戦闘が続くが停戦の見通しもないし、国連の仲裁もない、状況であり、プーチン氏は、この戦闘では「核兵器の使用もありうる」という脅しから戦争を始めたこともあり、現在の「人類」の愚行である戦争は全くなくなるような気配は微塵もないからである。
3,このような世界情勢の中で、「人類学」は一体何を現代人に問いを投げかけているのだろうか。
まず、尾本氏の本では、「戦争の起源」であり、戦争は「いつから始まったのか」という問いとその解答である。
それは農耕文明が開始されてから戦争が始まったと明快に答えている。
他の人類学の見解ではそれ以前からだったという説もあるが、それは間違いである。(日本の大学人は尾本氏のような断定は出来ていないのが残念である。そのレベルが日本の大学なのだ。)
なぜか、農耕文明の開始以後に戦争が始まったのは、身分制度と階級社会が形成されて、「国家」と呼べるような歴史段階に到達したからである。ただ、国家の成立以前にも戦争は始まっていたのであるが。農耕が始まると、穀物などの貯蓄が可能となり、それらの「分配」を巡って、身分や階級ができあがり、支配者と被支配者に分かれる社会が登場したのである。そして、その地域と隣接する地域で、やはり、豊かな資源や食物を巡る「闘い」が生じてきたのである。歴史学の「通説」の勘違いは、ここにある。古代から現代において、農耕社会から工業社会へ、という発展段階というのは、(農耕が終わって、工業になったということならば)ありえないのだ。農耕社会がなくなることはありえないのである。(考えれば分かるはずだ)
4,それでは、現在の歴史的な段階において、人類学は、何を問題にしているのか。
尾本氏は、概ね、次のように述べる。
農耕社会の前の段階である、「狩猟採集」の時代では(日本ならば縄文時代)個人的な闘争などはあったかもしれないが、集団同士の戦いはなく、戦争はなかったと言う。そして、重要なのは、現在でも、狩猟採集民はかなり多く、生活していて、かれらの間に、戦闘はないと言う。(尾本氏は狩猟採取民との生活を共にしてきて、取材させてもらい、彼らと友人でもある。)
だが、「資源の呪い」という社会的な問題があって、狩猟採集民は「絶滅危惧種」と言ってもいいだどう、と言う。この問題に国連もあまり関心がるとは言えず、「先住民族」としての人権問題として、重要視していかないと本当に絶滅してしまうかもしれないと警告しているのである。

(結語)尾本先生によれば、現在の地球の大きな問題(核戦争の勃発の危険性や原発事故など)の解決のヒントとしては、彼ら、「狩猟採集民」に学ぶことが大きいのではないかと言う。なぜなら、農耕文明では戦争は止むことがなく現在も続いているが、約1万年前に狩猟採集民しかいない、時代には戦争はなかった。そして、それは、農耕文明の発展以前まで続いたのである。狩猟採集民から学ぶことがあるとすれば、それは「自己規制する発展」は可能なのではないか、という問いかけであると思う。
以上。