呼出完了
0999 彼方ではなくこの世を生きる 見習い期間 2022/07/31 20:07:52
国会での審議を経ないまま「国葬」の実施が決定され、故人が生前に政治家として行ってきたことを思い出さずにはいられなかった。また、本人が不在のまま新たな疑惑も連日ニュースで取り上げられ、これまでに浮上していた数々の疑惑を問いただせなくなってしまい、まさに「心からお悔やみ申し上げたい」ところである。
国会において118回もの虚偽答弁を繰り返した人物であっても、生きていれば答弁の訂正もあったかもしれないし、本人に直接さらなる説明を求めることもできた。

今回のショッキングな出来事が引き金で故人が神格化され、彼とその仲間たちがまさに破壊してきた「民主主義」をあたかも自分たちの専売特許でもあるかのごとく引き合いに出し、「民主主義への挑戦」などと堂々と述べている。今までないがしろにしていたくせに、都合よく利用されている「民主主義」もいい迷惑ではないだろうか。

国民はパンデミックや物価の上昇、気候変動などに翻弄され、生存権が脅かされているというのに、国葬やら追悼演説などの話ばかりをしていて、悲しい気分になる。まもなく開会する臨時国会では、こうした状況を少しでも改善すべく、実りある提言や政策決定ができるのだろうか。
民主主義というのならば、まずは日本国憲法を守るべきである。感染症の流行が世界最悪レベルになっても無策のまま放置することで国民の健康を奪い、生活に最低限必要な物資を揃えづらくなっても、国民は「容認している」と勘違いはなはだしいことを平気で言ってのけるのは、国民の生存権を無視することであり、憲法違反ではないか。

どれだけ内輪で強がっていても、感染症対策もろくにできず、要人の命も守れず、国際的には危機管理が甘く安全保障ができない国として現時点では評価されているのではないか。それが証拠に円安は進み、外国人観光客の受け入れを認めたところでそれらしき人の姿は都心でもまず見かけない。
今ここに生きている限り、現状にたいしてがむしゃらに向き合い、ひとつずつ地道に解決していく姿勢を見せることが必要である。
「たられば」は禁物なのかもしれないが、今日が国政選挙であれば、結果は変わっていたのかもしれない。