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0988 「人類学」との出会い(その1) 名無しの探偵 2022/05/19 21:20:37
1,「はじめに」

最近、図書館で、「日本の人類学」という著書に出会い、歴史学を専攻している私としては、多くの知見を得られた。この本は、京大総長だった山極寿一氏と東大名誉教授の尾本恵市氏の対談本であり、主に類人猿の研究をしている山極氏と、自然人類学の権威である尾本氏の興味深い対談であり、その中で、私が一番啓発された問題について、今回と次回の2回で、コラム投稿を考えている。ただ、今回の投稿で、参考にした著書は尾本教授の著書「ヒトと文明」という本である。山極氏と尾本氏の対談本(日本の人類学)と尾本氏の「ヒトと文明」の中で一番問題だと私が考えていることは、次のことである。つまり、尾本氏の研究対象(フィールドワークとして)は、「狩猟採集民」(ハンター・ギャザラー)であるピグミー(ネグリト)であり、尾本氏は、友人になってピグミー(欧米人の蔑称で、小人と言う意味で、ネグリトが正しい)の生態を一緒に生活して研究していたのである。ピグミーの人は150センチほどで、尾本氏、87歳は178センチもある大男だ。そして、尾本氏は、これらの「狩猟採集民」は農耕民族の進出により、現在では世界的に人口が激減しており、アフリカやインドネシアでも、環境破壊から(「資源の呪い」とも言われる)人口減少が危惧されると警告している。尾本氏曰く「絶滅危惧種」というなら、人間における「絶滅危惧種」は「狩猟採集民」ではないだろうか。生物の絶滅を危惧するなら、人類の「絶滅危惧」の少数民族も危惧するべきだろう」と。

2,何故、「狩猟採取民」の人類学の問題が、「歴史学」と関係してくるのか?これが第二の問題点になる。

尾本氏によれば、人類学では、文化(カルチャー)と文明(シヴィライゼーション)を明確に峻別しているが、歴史学では、これが明確ではなく、私の憶測では、歴史学では文化は文明の中に包摂されている、という関係になっているとの疑問がある。尾本氏は、文化と文明は全く異なる。定義も違うとされている。(この問題は次回でも明らかにしたい)

何故か。尾本氏によれば、文明は農耕が始まってから誕生したものであり、農耕以前の「狩猟採集」段階では、文明は登場していない。農耕が開始された後に身分社会と階級や貧富の差が出現したと言う。ピグミーのフィールド研究でもリーダーはいるが、貧富の差や都市文明は存在しない、という。

ここから、「狩猟採集民」であった縄文人と縄文時代の歴史を、農耕民である弥生人との対比から探っているのである。

そして、日本史では以前「謎」になったままである、「縄文人」は「弥生人」の渡来により、どこに行ったのだろうか。(歴史学の通説では、縄文人は弥生人になったというが、これは真実なのだりうか)尾本氏など(考古学でも尾本氏と同じ見解の学者は多い)は、、一部はアイヌ人になって、狩猟採集を続けたとする。また、一部は海民(日本語では、「アマ」という)になったとする。ここが、今回の投稿の二番目の問題点であり、その解明は次回投稿に続く。
(次回では、縄文人はどこへ移動したのか、などを具体的に明らかにしたい。)

以上。