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0984 本当に守らないといけないものは何か 見習い期間 2022/04/24 21:25:38
ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが、2月下旬以降、連日のように報道されている。当初は目の前で起こっている、収束の気配すら見えないパンデミックのことを忘れさせたいがために連日トップニュースとして扱っているように見え、しばらくは市民の関心を国際情勢に向けることに成功していた。
しかし、2ヶ月経った現在では、戦争についての話題にもすでに飽きてしまっているのではないか。事実として、昨日以来、船舶の浸水事故の話がテレビやラジオからはひっきりなしに流れ、総理大臣が事故への対応のために出先から緊急帰京する様子までもが報じられている。

事故や災害の初動を素早く徹底して行うことで、あたかも緊急事態から逃げることなく迅速に対応しているとアピールしたいのだろう。だけど、それは過去に初動を誤り現在も国民を混乱に陥れていることを追求されたくないがためのポーズではないか。

ウクライナへ対する支援の動きでも、とりあえず何かしらやっている感を演出することが第一になっている。陸続きでもなく距離も離れているので、避難を余儀なくされた人たちを受け入れるスピードと規模が近隣諸国におよばないのは仕方がない。それでも、日本という国として避難民に申し出ていることの内容と半年という期間を見ると、異国の地から遠く離れた場所にやってきた人のことを考えているのかと甚だ疑問を感じる。
日々の生活に必要な物やこと、医療、さらには語学の授業、職業訓練、子どもたちの教育などを支援するとのことである。だが、突然にこれまでの生活基盤を追われて異国の地へたどり着くだけで必死な人たちへ、一方的に何かを与えるだけで、相手を日本の文化に適応させようとするのはなぜだろう。
各地域の日本語学校などでは避難してきた人たちへの日本語の授業をすでに提供しているようだが、日本語を覚えてもらうだけではなく、受け入れる側も彼らの言葉もしくは双方が共通に使える言葉を用いたほうが、相手だけに努力をさせずに済むのではないか。なにより、受け入れ先の言語を覚えさせるだけでは、受け入れる側が強者であることを追認することにもなる。

「戦争反対」という言葉だけが響き、実態としては現状に強く抗議するでもなく被害を受けた人を自分たちの仲間として共に生きるわけでもない。そんな冷たさが、どんなに話題や論点を入れ替えたとしても貫いているように感じる。新興感染症から人々を守ろうとしないことも、戦火を逃れて新天地に来た人に対して上から最低限の支援だけを与えようとすることも。