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0980 「朝日訴訟」判決の現代的意義と問題点 名無しの探偵 2022/03/31 20:27:01
1,(はじめに)
最近の憲法教科書では、憲法学者が若くなったのか、昭和32年(1957年)の朝日訴訟は割愛されているようだ。しかし、彼らはこの憲法訴訟を軽視していると思う。なぜなら、朝日訴訟」最高裁判例は、現在の「生活保護法」の法的な指針であり、先例として、未だに大きな規範として影響力を持っているからである。憲法学の劣化を私は指摘しておく。(因みに、私はこの時は8歳であり、日本は未だ貧しかったと記憶している。)

2,訴訟の概要

結核患者である原告の朝日茂は、日本政府から1か月600円の生活保護による生活扶助と医療費所を受領して、岡山県の療養所(国立の)で生活していたが、月々600円での生活は無理であり、保護給付金の増額を求めた。
1956年、津山市の福祉事務所は、原告の兄に対し月1500円の仕送りを命じた。福祉事務所は、同年8月分から従来の日用品費(600円)の支給を原告に渡し、上回る分の900円を医療費に一部自己負担分とする保護変更処分(仕送りによって浮いた分の900円は医療費として療養所に納めよ、というもの)を行った。

これに対して、原告は県知事に不服申し立てを行ったが却下され(次いで厚生大臣にも不服申し立てを行うも却下されたことから)原告が行政不服審査法による訴訟を提起するに至ったのである。

原告は、当時の「生活保護法による保護の基準」による支給基準600円では生活は出来ないと実感し、憲法25条、生活保護法に規定する「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障する水準には及ばないことから、日本国憲法違反に当たると主張した。

3,(判決)
〇第1審の東京地裁は、日用品費月額を600円に抑えているのは違法であるとして、採決を取り消した(昭和35年、10,19)。

〇第2真の東京高裁は、月600円はすこぶる低いが、不足分は70円に過ぎず、憲法25条違反の域には達しないとして、原告の請求を棄却(昭和38年11月)。

〇上告審の途中で、原告の朝日氏が死亡(1964年2月14日)最高裁は、生活保護の権利は相続できないとして、本人の死亡により訴訟は終了したとの判決(昭和42年)

最高裁の判決は、以上であったが、最高裁は「なお、念のためとして」次のような「所見」を述べている。

〇「憲法25条1項はすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るような国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に具体的権利を付与したものではない」とし、国民の権利は法律によって守られればよいう、とした。
〇「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、厚生大臣の合目的な裁量に委ねられている」とする。

4,「結語)最高裁判決(特に念のためという傍論判旨の評価

1審の東京地裁判決のみが、原告朝日茂氏の「全面勝訴」であったが、2審と上告審では、敗訴になったが、最高裁の「念のため」判決が、特に一番問題であり、以下現在の生活保護の現状から論評したい。

まず、最高裁の判旨では、「25条の生存権規定の、最低限度の健康で文化的な生活を営む権利を国政の責務として「宣言」したにとどまる、という解釈であるが、これは明確な憲法違反の結論であると言ってよい。なぜなら、原告は宣言に止まらず、実際に憲法25条に基づく生活保護の「具体的権利」を(不足するも)享受しており、「宣言」に止まっているわけではない。原告は、その「具体的権利」が「憲法の保障する水準に達していないことを訴えているのである。最高裁は、憲法裁判における論理的な判断ができていない、と思う。宣言に止まるという段階での訴訟ではないからである。生活保護の基準が「おかしい、生活不可能だ」という原告の、提訴なのであった。
次に、最高裁は、「何が・・・、最低限度の生活であるかの認定判断は、厚生大臣の合目的な裁量に委ねられている」とするが、その最低限度の「判断」がおかしい、到底生活できないと訴えており、もし最高裁のように、行政官の自由な「裁量」に「委ねる」というのであれば、違憲立法審査権の「国民の権利」は、常に無意味なものとなるだろう。当該、行政官僚の「自由な裁量」に一任するのであれば、司法審査は何らの「法的意味」はないからである。その「裁量」自体が憲法の規定に違反しているとの「判定」を裁判所に審査を求めているからだ。

こういう日本の裁判(1審の東京地裁を別として) なので、現在でも、「生活保護」の捕捉率は20パーセントにとどまり、保護を拒否された残りの80パーセントの困窮者は路頭に迷っている「現在」ののである。

以上。