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0976 人間同士の戦争では何も解決しない 見習い期間 2022/03/06 19:19:51
21世紀初頭に大学に入学した私は、専攻していた文学をはじめ、隣接する人文科学系学問領域の講義や演習で、20世紀は「戦争の世紀」であったと何度も聞かされた。その言葉の裏には「21世紀は戦争の世紀ではない」「同じ過ちを二度と繰り返さない」という強い思いが込められていたと、今でも強く信じている。

しかし、21世紀になって国同士の戦争が再び起きている。しかも、一方が突然に軍事攻撃を始め、何の罪もない民間人を巻き込み、多くの難民を生み出しても、武力行使をやめようとしない。

世界の多くの市民が、一国の大統領が独裁的に始めたこの軍事行動を非難し、今すぐ止めるように求めている事実がせめてもの救いである。陸続きの国や地域では難民を受け入れ、連日のように物資をトラックで届けていることも、前世紀とは違い、世界戦争は免れ、早期に収束するのではないかという期待が持てる人道的行動だ。それぞれができる範囲でウクライナを支援し、突然戦争に巻き込まれてしまった市民を思いやっている。

世界全体の閉塞感と停滞感を打破するために戦争を起こし、市民を分断させ、怒りと憎しみを生み出して本来向き合うべき問題から逃げるというのは、人間の変えがたい性質なのだろうか。だけど、過去の経験を記録し、そこから学び、同じことを繰り返さないようにすることも、人間にはできるのではないか。


日本でも感染症との戦いはまだ続いている。新興感染症という名の世界共通の敵をなかったことにするためなのか、連日のように国際情勢ばかりが報じられるが、今が最も悪い状態ではないのか。政治にできることをしてこなかったせいで、今ここで多くの尊い命が奪われているではないか。COVID-19で亡くなられた人の数は東日本大震災での死者の数をすでに上回っている。

国内での感染症との戦いでも国外で起きている残虐な軍事攻撃に対しても、どうしてこの国のトップにいる人たちは弱腰で消極的な姿勢を貫くのだろうか。そしてスピード「感」がないどころか端的に遅い。毎度のことながら必要な時に適切な行動を起こせない。世界で唯一の被爆国であり、福島第一原発事故も経験しているのだから、国外で原子力発電所が攻撃されそうになったら、ただちに止めるように声明を出すのが日本にできることではないのか。

目の前で起こっていることに対して辛抱強く真剣に向き合うことが、結局は一番の解決策ではないだろうか。