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0972 憲法訴訟と戦後史 1 名無しの探偵 2022/02/12 21:20:34
1,はじめに
戦後史という現代史の再検証(リヴィジョン)を始めて2年になるが、この日本の戦後史(75年以上になった)というテーマでは茫漠として、つかみどころのないものになっている。そこで、自分の専攻である、法学、それも憲法学に限定していくという当然のことに気づかされた、この数日間であった。それでもまだテーマは広すぎたのである。そこで、以前からの「蓄積」のある課題、「憲法訴訟」にやっとたどり着いた。(コラム投稿の任ではないだろう。)
2,「憲法訴訟」とはいえ、日本の憲法の規定である「違憲立法審査権」はアメリカの制度をモデルにしていて、一般人には敷居が高すぎる。それでも、国民(在日外国人を含む)は、敗戦直後から、憲法訴訟の「闘い」に果敢に挑んできたと思われる。今回の「憲法訴訟」の第1回目は、以前にも投稿した「東大ポポロ事件」とした。以前のコラムでは詳細に論じたので、今回は「ポポロ判決」の背景などに焦点を当てたい。
何故か、それは、問題になった東大の学生演劇集団であるポポロ座が上演していた題目は、「松川事件」という戦後の大事件であり、「農民作家・藤田普助の戯曲『いつの日にか』の演劇の舞台だったのである。そして、ポポロ座の学生は、不審な4人の男たちに注目した。その内の一人の男(実は本富士警察の私腹の刑事であった)の胸に手拳でポケットから警察手帳を抜き取ったのである。この学生の行為が「暴行」になるかが鋭く問われた裁判であり、事件だったのである。
1審の東京地裁は、本件の東大構内(本郷キャンパス)での警察の偵察;諜報行動は大学の自治を侵害するものであり、学生二人の行動は自治の範囲内であり、学問の自由を守るものとして、暴行にはならず、無罪と判決した。
続く2審の東京高裁も1審判決を妥当として、やはり大学の自治であり、学問の自由は学生にも適用される、同じく「無罪」とした。
しかし、上告審である最高裁では反対意見もなく、1審、2審判決を破棄して、1審の東京地裁に差し戻しをしたのである。その理由は次のような判決理由となっている。(1963年、5月22日、1952年2月20日の「事件」の日から11年も経過している。)
(判決理由の結論部分のみ)「本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものではなく、実社会の政治的社会活動であり、かつ公開の集会またはこれに準ずるものであって、大学の学問の自由と自治は、これを享有あしないといわねばならない。したがって、本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない」。

3,「結語」

最高裁の判決理由は前段と後段では「論理の飛躍」があって、学生の演劇集会に、警察官の立ち入りを正当化できる理由となっていない。学問の自由の行使ではなかったというのが、何故に「警察官の立ち入り行為である諜報活動を正当化できるのか、全く根拠なしと言わざるを得ない。
そして、今回コラム投稿で、再び「東大ポポロ事件」を扱うことになったのかは、次の理由からであった。

本富士警察の刑事4人は「公安課」の人間であり、ウィキベテアの解説にもあるように、この「公安課」は特高(戦前の思想警察)の流れを戦後引き継いだと言われており、憲法やその他の法令などでも(特にGHQの『特高警察」の解体指令があった)特高警察を継承する政治活動は厳しく禁止されていることであった。この東大ポポロ最高裁判決は明らかに、公安警察の不当な偵察を認可していると解釈できる。不当な憲法に違反する判決であると、私は考えている。

以上。