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0970 「幸福」と「生存」の保持のために 笹井明子 2022/02/02 13:36:52
日本の自殺者数は、各国自殺率ランキングで先進国(G7)とトップであることは、つとに知られており、コロナ禍の2020年の自殺者数は21,081人、対前年比約4.5%増、2021年の自殺者数は2万830人(前年より251人少なく、2年ぶりに減少)と、年に2万人以上の方々が自ら命を絶っている現状は変わっていない。

そんな状況下、2021年8月には小田急線車内で無差別刺傷事件が起きたのを始め、12月には大阪の心療内科クリニックで25人が犠牲になる放火殺人事件、直近の今年1月には埼玉県で立てこもり・猟銃殺傷事件と、痛ましい事件が相次いだ。

小田急線の事件を含め、いずれの事件も、背景には、生活困窮と社会からの孤立があり、絶望や鬱積をこじらせ、他者を巻き込んでの自傷行為、と見られているようだが、尊い命が奪われた大阪の事件や埼玉の事件は、余りにも悲惨で、自分とは遠い出来事として目を背けていたいという気持ちも働く。

その一方で、これ等の事件は、実は今の日本社会が内包する一側面であり、他人事と突き放せない問題という気もする。なぜなら、孤独・孤立と生活困窮という彼らの絶望は、今日本社会に暮らす私たちの日々と、底流で通じるものがあるからだ。

この2年間、コロナ禍の蔓延により、私や周囲の人たちの誰もがコロナ感染の不安を抱え、人と人との繋がりの難しさに悩み、また多くの人が収入減・生活苦に苦しみつつ、必死に耐えて生き、今もその苦しみの中で暮らしの営みを続けている。

しかし、この誰もが「幸せでない」社会は、コロナだけが原因で突然現れて、コロナが収束すれば一気に解消するかと言えば、実は、格差・貧困、孤独・孤立は、新自由主義やグローバリズム、あるいはアベノミクスと称する政策によって、すでに長きにわたって齎され、私たちの暮らしに覆いかぶさってきたもので、それがコロナ禍でより顕著になった、というのが事実ではないだろうか。

では、この状況を打開する「解決策」はあるのだろうか。

最近話題になっている「人新世の「資本論」」(集英社)の著者、斎藤幸平氏は、本や講演の中で、「気候変動やコロナ禍、文明崩壊を克服し、心地よい社会を作り出す」ヒントとして、資本主義を乗り越えた「コモン(共有財産として皆で管理する)」という発想を提示し、その領域を広げた「脱成長コミュニズム」を提示。

「人の生きる基本となる財産、例えば、水、電力、住宅、公共交通機関、食料、医療・教育・介護など」を、市場で商品化するのではなく、公営化し、共有財産として自治体や市民の皆で管理する仕組みを作る、その際には、トップダウン型統治形態に陥らないために、市民参画の主体性を育み、市民の意が国家に反映されるプロセスを制度化していくこと、を提唱している。

そして、斎藤氏は著書の結びに、この考えに賛同しても「そんなこと実現できっこない」としり込みする人たちに向けて、「3.5%の人々が、非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、社会は大きく変わる」というバーヴァード大学の政治学者らの研究結果を紹介。冷笑主義を捨て、3.5%のひとりとして、今この瞬間から動き出す決断をすることを、強く勧めている。

日本国憲法には、「幸福追求権」(13条)」、「生存権(25条)」)が謳われ、同時に、「自由・権利の保持の責任(12条)」が明記されている。

私たちは、斎藤さんの提言に耳を傾け、今を生きる私たち自身と、この国に未来に生きる人々の「幸福」と「生存」保持のために、懐疑や冷笑主義を乗り越えて、自らできることをするために、今動き出す、あるいはこれからも動き続けることが、求められているのではないだろうか。