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0928 危機におけるリーダーの人物像とは! 流水 2021/05/02 14:56:30
🔸危機管理の要諦 −最悪を想定して、充分な準備をするー

どんな組織でも、危機管理はすぐれてリーダーの仕事である。大袈裟に言えば、リーダーの仕事は、危機管理しかない、と言っても良い。

平穏な日常の時間が流れている時には、リーダーは目立たない方が良い。教師の経験から言えば、静かな時代の学校で名校長と呼ばれた人物の多くは、運動場の草取りや、校舎の破損個所の修繕などを黙々としていた。
現場で直接教育に取り組んでいる教師のバックアップに徹していた。

しかし、学校現場は多くの子供たちが生活している場所なので、必ず問題が起きる。喧嘩もあれば、怪我もある。病気もあれば、盗みもある。いじめもあれば、体罰もある。
こういう問題が起きた時には、現場教師の責任だけにせず、自ら正面に出て問題解決に乗り出す校長が名校長と呼ばれた。すぐ現場の責任だけを問いがちな教育委員会の圧力をどう受け流すか、校長の腕が問われた。
部下の教師の不祥事は、自らの管理不足と正面から部下をかばえる校長への信頼は厚かった。

危機の時のリーダーのあり方を考えるヒントがここにある。

◎平穏な時には、現場の部下の支援に徹する。部下の力を存分に発揮させる。
◎問題が起きた時には、責任者が正面に出て、解決にあたる。自らの責任を逃げない。

単純なようだが、これが信頼されるリーダーの一般的な像だろう。

ここからさらに考えなければならないのは、平穏な時ほど、危機の場合を考える必要があると言う事。

何度も言うようだが、平時の時のリーダーは、いるのかいないのか分からない方が良い。うちの親分は居眠りでもしているんだろう、と陰口をたたかれるくらいが丁度良い。
リーダーがリーダーである必要があるのは、危機の時。つまり、リーダーの最大で最重要の仕事は、危機の時のありよう。良きリーダーこそ、常日頃から、有るか無いか分からない危機の対処の仕方を考え、あらゆる準備をしておくのが通例。

学校で言えば、学校には子供がいる。子供がいない学校は、学校ではない。子供は活動する。活動しない子供ばかりの学校は学校ではない。
活発に活動する子供は大小にかかわらず必ず問題を起こす。問題を起こすから子供であり、問題を起こさなかったら問題を解決する能力は養えない。
だから、学校や教師や親は、問題が起きる事を恐れて子供の活動を抑えてはならない。

と言う事は、学校や教師は、常住坐臥『危機管理』を忘れてはならない、と言う事になる。
名校長と呼ばれた校長は、上記の二つの課題に見事に対処できた人物だった。

🔸強権的管理こそがリーダーの資質と勘違いする現在のリーダーたち

ところが、新自由主義的思考が教育現場にも影響を与え始めた時代から、文部省が推し進めた教師の階層化(校長・教頭・教務・主任・平教師。現在はさらに細分化されている)が進展するにつれて危機管理の考え方が変化した。

◎平穏な時には現場の教師の支援に徹する。部下の力を存分に発揮させる⇒ (現在)●平穏な時ほど、上意下達を重視。部下教師の些細なミスを徹底的に責め、上司の意向に忠実な部下を重視。教師間の分断(差別構造)を促進し、教師の階層化を広げ、固定化する。

◎問題が起きた時には責任者が前面に出て問題を処理⇒(現在)●校長は、教育委員会の意向に従順に従う⇒責任を下に下に押し付ける⇒▼問題の本質を体制や組織の問題として捉えず、全て個人(問題教師)の問題として処理する。問題の矮小化を図る。

その為、教育現場では、ヒラメ教師が増加。事なかれ思考が現場を覆っている。日本の子供の学力が低下したのは、公教育の現場の退廃が大きな要因になっている。

実は今回のコロナ禍における日本政府・官僚・東京都などの『危機管理』能力の無さ、お粗末さは、上記の教育現場における変化と対をなしている。
菅首相が「自分の政策に反対のものは止めてもらう」と公言し、内閣人事局を拠点に強権的人事を強行。霞が関では、忖度が横行。ヒラメ官僚だけが出世するようになってしまった。
こうなると、官僚たちのモチベーションは低下の一途。有能な若手官僚はどんどん辞めている。

自らの頭でものを考え、行動し、その結果の評価は、甘んじて引き受ける、という覚悟の無い連中だけ生き残りはじめた。

高度成長経済後の日本を覆っている『現状維持が正義』という退嬰的思考がもたらしたものだと考えなければならない。

さらに悪いことに、新自由主義的思考が蔓延しているために、指導的立場(政治家・官僚など)の連中には、『自分が間違っているかもしれない』という自己否定・自己批判の視点が皆無に等しい。

かっての全共闘のように『自己否定・自己批判』を強調しすぎるのも問題だが、自己批判の視点が全くないエリートも問題が山積みである。

コロナ禍の日本では、日本の権力中枢の“退廃”が露わになり、もはや修復不可能なほどの無残な姿を露呈している。

🔸旧日本軍の失敗と相似形

コロナ禍の現在、多くの識者が、現在の日本の現状を戦前の陸軍の失敗と重ねて見ている人が多い。
・・・
今の菅氏の一挙手一投足を観ていると、太平洋戦争時の日本を敗戦に導いた元凶・旧日本軍幹部(当時の首相は東條英機)を彷彿とさせます。
旧日本軍幹部連中は、当時の米国の国力・軍事力をまともに分析せず、無謀にも、対米戦争を挑んでいます。彼らは当時から、自信満々で、米国に負ける敗戦シナリオ(最悪シナリオ)をまったく描かず、自分たちの願望(Desire)だけで突っ走って、最後は玉砕しています。その結果、300万人以上の日本国民を犠牲にしています。・・・新ベンチャー革命 
http://blog.livedoor.jp/hisa_yamamot/archives/9796809.html
旧日本軍の幹部と現在の類似点

(1)失敗=間違いを認めたくない。=責任を取りたくない。それでいて、権力(権限)だけは欲しい。

(2)対策は中途半端で小出し⇒旧日本軍で言えば、戦力の逐次投入。

(3)コロナ対策についての総合的・科学的・合理的・論理的分析もしないし、データも取らない。
会議の議事録すら満足にない⇒後世の歴史(評価)を怖れる=歴史の審判に立つ覚悟なし。
旧日本軍が米国の戦力分析・国力分析を怠り、精神力だけで戦争に勝てると言い続けたのと相似形である。
※悲惨な退却戦を戦わざるを得ない安倍後の日本!(インパール作戦の二の舞)

(4)縄張り意識が強く、自らの権益《省益》に強いこだわりを持つ・・
※日本の統治機構(政治家・官僚たち)は、何故軌道修正ができないのか!
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/d51cf56a1bc50fb145d6b27ec7140efc
2020-08-17 15:43:40 | 災害

(5)説得の言葉を持たない・・・教師をしていた人間の立場から言うと、言葉で伝わるものは約2割。後は、まなざし・表情・声音・抑揚・身振りなど言葉以外で伝わるものが8割。『指先に言葉をつけろ』とよく先輩教師に教わったものだ。
もう一つ大切なのは、子供の顔、目をよく見て、語りかけなければ、教師の想いは伝わらない。

菅首相や安倍首相などの言葉が空疎なのは、言葉に1人の人間である首相個人の願いや想いが込められているように感じられないからである。
自分の心の底からほとばしり出る血を吐くような言葉(自分自身の言葉)が感じられないからである。

🔸大石内蔵助に見るリーダーの資質

忠臣蔵の大石内蔵助は、平時なら「昼行燈」と噂された凡庸な人物のまま一生を送ったはずである。
彼は「昼行燈」でいる事に満足し、意識的にそうしようと心掛けていたと思われる。「昼行燈」の家老として一生を送れるなら、藩にとってこれほどの幸せはない。内蔵助は、そう思い定めて過ごしていたと思われる。

そんな内蔵助が、「お家断絶」の危機にあたっては、見事なばかりの立ち居振る舞いを見せた。

浅野内匠頭が刃傷を起こし、江戸表から赤穂まで2挺の早籠でその知らせが届いたのは、4日半後。
走った距離は155里。(約600Km)
駕籠を担いで、人力でこの距離を走ったのである。常識では考えられない速さである。
実は、浅野家は、江戸表に異変があった場合に備えて、常日頃、宿場宿場に相応の金子を与え、万一の場合に備えていた。だから、駕籠をかく連中も懸命に走った。日ごろの手厚い心づけが役に立ったのである。
大石内蔵助は浅野家家老。万一に備えて、こういう手当を怠らなかった、とされている。

さらに大石内蔵助は、城受け渡しにあたっては、藩士を督励し、毛ほどの隙もないほど武器弾薬などの員数を数え、全てをきちんと文書に記載し、後世の批判をさける見事な受け渡しをやってのけた。

もう一つ付け加えると、江戸時代、藩が取り潰しになったり、国替えになったりした場合、一番問題になったのは【藩札】の交換をどうするかの問題。
多くの藩では、雀の涙程度で交換。なかには、交換をしない藩もあった。藩札が紙切れ同然になるのが通例。多くの民衆が馬鹿を見た。

ところが、浅野家では大石内蔵助らの指示のもと、発行高が900貫目あった藩札の回収に現有する銀700貫目をあて額面の6割で引き換えたとされる。
赤穂藩は塩の産地なので、内緒が裕福だったせいもあるが、簡単にできる事ではない。
藩が潰れ、藩士は全員路頭に迷うのである。そんな金があったら、俺たちに回せ、という声があったに相違ない。
それを抑えて、領民にお金を渡す。武士支配の江戸時代である。生半可な覚悟では藩士の不満を抑えられない。見事な差配だと言わねばならない。

現在でも赤穂で大石内蔵助や浅野家が愛されるのは、仇討ちばかりではない。潰れ方の見事さがあったからでもある。

このように、内蔵助は、対外的にも藩内の領民にも“立つ鳥後を濁さず”の見事な対処をみせた。
同時に、自分についてくる50人近い人数を一年以上まとめ上げ、“主君の仇を報じる”という大義名分のもと、“喧嘩両成敗”の原則を踏みにじった幕府の拙速で片手落ちの裁きに見事な異議申し立てを行った。

仇討ちを成功させても後は切腹だけが待っている行為に、50人近い人間をまとめ上げるのは至難の業。たとえ、武士道がモラルの江戸時代であっても、誰でも命は惜しい。“死んで花実が咲くものか”は、心の中の真実。
赤穂浪士全員にあったであろう心の中の迷いを吹っ切らせ、死を目指して全員の心を一致させる。そんな芸当は、並大抵の人物ではできない。

それができたのは、大石内蔵助が語る言葉・声音・仕草・表情などから、内蔵助の覚悟を皆が『感得』できたからに相違ない。

人を動かすのは、この【感得】以外ない。理解などという上っ面のものでは人は動かない。菅首相や大臣、官僚などはこの人心の機微が分かっていない。

平時なら、東大文学のような人間の血が通っていない官僚言葉でも誰も批判はしない。誰しもがそんなものだと諦めて聞き流しているから、大きな批判は来ない。
しかし、今は平時ではない。戦時と言っても良い『緊急事態』。

最初に書いたように、緊急時ほどリーダーの存在が大きくなる。だからこそ、リーダーは、何をさておいても、自らの言葉で語らなければならない。
しかし、残念ながら、日本国民は、菅首相からも、安倍首相からも、誰からもそんな言葉を聞いた事がない。

百年に一度ともいえる危機にあたって、この程度のリーダーしか持てない日本国民は、不幸である。

同時に、日本国民は、こんな程度のリーダーしか生み出せない政党に戦後の大半をゆだねていることを深刻に反省しなければならない。