| 何という小説を 読んでしまったのだろう
足元からざわざわと立ち上がってくるこの不気味さ 現実に日本の社会で起きている沢山の問題とこの小説はクロスしている
桐野夏生の「日没」はそんな小説である
作家のナッツ夢井はある日一枚の手紙を受け取る 「あなたが書いた小説は悪い小説ですか、良い小説ですか」 と書かれた「文化文芸倫理向上委員会」と名乗る政府組織からの要請に従い出頭する 連れて行かれたのは 療用所、ここで「更正」するために療養生活を強いられる 彼女が書いた小説の何が 「悪い小説」に指摘するのか一切の説明は無い。 社会に適応した小説を書けと命じられ逆らうと減点され入所期間が延びる。 ついに4週間以上の入所言い渡される 同じ療用所仲間同士で相談して逆らえば 「共謀罪」が適用され退所はできなくなる。 逆に密告すれば所長の覚えもめでたく冷たいミネラルウオーター美味しい食事等与えられ療養期間も短くなる
ナッツ夢井は「嫌なものは嫌。駄目なものは駄目」と真っ直ぐに主張し逆らうから軟禁生活は更に苛酷なものになっていく。 その姿に私は喝采を送り応援したくなる 療養所の所長、職員は ナッツ夢井の自由を奪い尊厳を剥ぎ取っていく 酷い食事、飲物は土の臭いがする水だけ 生温い水道水 ご飯だけ沢山よそった茶碗に味噌汁お菜が一品の食生活は私の母の世代の人達が 食べていた物、あるいは 予算が限られた国立病院で私が出産した時に出された食事風景と似ている、その時看護師さんが優しく 「病院はホテルじゃないんだから元気な赤ちゃん産んだら退院していくらでも好きな物たべて」と言われた言葉が忘れられない
恐いけどさすが桐野夏生 ページをめくる手が止まらない
現実の世界では 学術会議の任命拒否問題が 起きた時ある方のTwitterで戦争体験者のご老人がご家族に 「いいか、学者の口を塞ぐ事に成功したら、今度は国民の生活に手を突っ込んでくるぞ…」と話していたと書いておられた
滝川事件:1933年 (昭和8年)に京都帝国大学で発生した思想弾圧事件。 盧溝橋事件:1937年(昭和12年)7月7日に何者かに盧講橋が爆破されこの事件が中華民国との戦争への入り口だった。
そして現在のコロナ禍
何故日本は陽性者数は海外に比べて少ないのに医療現場は何故こんなに逼迫しているのだろう。 菅政権は更に検査や入院を 拒否した個人に罰則を与える法律を通そうとしている 医療機関にも適応すると。 ろくな手だてもせず罰則だけを決める。 まさに「日没」の世界が 現実のものとなってきた 私達の生活は真綿を首に巻かれその真綿の中には小さな細かい針が沢山隠されている。締め上げるか未だ少し余裕を持たせるか、国民の支持率チラチラ見ながら手綱を握るのは政権与党
そんな事あるわけ無いと 嗤う人もいるだろう 政治家は皆バカだから 期待するだけ無理とか 政治は誰がやっても同じとか、自分一人が投票しても何も変わらない とか、投票行動を無力にさせる言葉を見掛けるけれど私達は首に真綿を巻かれるのは嫌だと行動するしか無い。そして真綿を外す為に何が出来るか考えよう
何故この小説のタイトルが「日没」なのか ラストは夜が明け陽が昇り次第に周囲が 明るくなっていく場面で終わる。作者は最後の15行を 雑誌連載から単行本化するに当たり書き足したという この15行があるのと無いのでは全く正反対と言っていいほど違ってしまう。このラストは本当に救いが無い。 いつ収束するか分からないコロナ禍とクロスして、改めて「国家権力」の恐ろしさとこの国に生きる人々について考えさせられた小説だった
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