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0911 日本の司法制度を根本から見直す。 名無しの探偵 2021/01/15 23:22:21
本日、吉川元農水相が収賄容疑で「在宅起訴」という記事がトップニュースで飛び込んできた。だが、待てよと一瞬思う。あの「桜を見る会」での来賓補填のお金の問題で安倍首相は「秘書が勝手にやった」らしいとして、安倍首相は「不起訴」になっている。こんな来賓(安倍の地元山口県の支持者の団体)の出した金額の「不足分」を「補填」することを勝手に秘書がやるはずがない。私企業でもそんなことはありえない。こうして、元首相は「不起訴」になるが、下っ端の大臣は起訴になる。こんな司法の判断はおかしくないか。恣意的な権力の行使ではないのか。
2,さて、今回のコラムのテーマは安倍元首相の「不起訴」という司法権力の恣意性を問うことではない。実は、日本に戦後から問題になっている「冤罪事件」の法律問題(注、単に法律ではなく、憲法と刑事訴訟法との齟齬に触れる)を対象に選んだ。それと言うのも、大分前に最高裁が(2020年12月22日)高裁へ審理の差し戻しがなされたが、一向に「再審」が行われず、袴田被告は拘禁を解かれたが「無罪」は確定していない。これはどうみても「おなしい」。なぜなら日本の「司法」の欠陥がこの事件、つまり「袴田事件」に集約されているからである。
袴田事件を最初から詳しく述べていると本題である「法律問題」を検証することができなくなるので、最小限にとどめる。袴田事件とは、、1966年(昭和41年)6月30日に静岡県清水市で発生した強盗殺人放火事件、及びその裁判で死刑が確定していた袴田巌元被告人が判決の冤罪を訴え、2014年3月27日に死刑及び拘留の執行停止並びに裁判の再審を命じる決定がなされた事件。それ以後の「経過」は前述した。(現在、審理中)日本弁護士会が支援する再審事件である。
3,何が問題になってきたのか。まず、@、元被告人の現況について、であるが、袴田は30歳で逮捕されて以来、2014年3月27日まで45年以上にわたり東京拘置所に収監拘束された(これはギネスブックに一時認定された)。死刑確定後に、袴田は精神に異常を来したという。拘禁反応と言われている。袴田は同年、5月27日、48年ぶりに故郷の浜松市に帰り、市内の病院に転院した。拘禁反応については回復傾向にあり、糖尿病も深刻な状況ではないという。
A裁判の主な争点についてであるが、「自白は強要されたものか。」〇「任意性に関する争点と信用性に関する争点の二つである。
この自白の強要に関しては「拷問」ではないかと言われている。
他にも「争点」となることがあるが、ここでは、犯行着衣とされた「5点の衣類」は犯人である証拠か、警察の捏造か、につき問題にすると、弁護側は「サイズから見て被告人の」着用は不可能」とする。検察は「1年間近く、みそ漬けになってサイズが縮んだ」と主張している。しかし、筆者は1年後にみそ樽から着衣が発見されるというのは、極めて不自然であると解釈して、これは初動捜査で見つからないはずはなく、警察の証拠の捏造であると考える。
4,袴田事件に関しては、以上のように「争点」が多いのであるが、本稿では被疑者の取り調べの「問題点」に関して、特に限定して言及する。なぜならば、「袴田事件」の一番の争点は「取り調べ・拷問について」が大きな司法制度上の問題点であると考えるからである。
袴田への取り調べは過酷をきわめ、炎天下で1日平均12時間、最長17時間に及んだ。さらに取り調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しさせるなどした。

睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、その泥酔者に大声を上げさせるなどして一切の安眠を妨げた。そして拘留期間が迫ってくると取り調べはさらに過酷をきわめ、袴田は拘留期間3日前に自供した。取り調べの刑事たちも当初は3,4人だったのが、後に10人近くになっている。

これらの違法行為については、次々と冤罪を作りあがたことで知られている紅林麻雄警部の薫陶を受けた者たちが関わったとされている。

上記のような「取り調べ」が果たして、自白の任意性を肯定できるかどうかは、もはや言うまでもないであろう。憲法(刑事訴訟法も)が厳しく否定する「強制、拷問による」自白であると言ってよい。(憲法38条2項)
かくして、争点はなお多いが、この強制、拷問による袴田の自白だけですでに袴田巌さんは「証拠となるものもなく、つまり1年後に「出てきた」着衣にはなんらの信憑性もない、明白な冤罪事件であることは憲法上でも否定できないのである。(憲法38条3項でダメ押し的に自白だけでは「有罪」にならないと規定する。)
5,さて、袴田事件の「再審無罪」が司法によって出されていないが、これは明確に憲法違反の「不作為」である。そこで、最期に袴田事件を典型的な冤罪事件として見てきたが、一体何故、日本の司法の下ではかくも冤罪が多いのであろうか。何が問題なのだろうか。筆者は次のように考えている。
まず、憲法の適正手続きの保障(憲法31以下の規定群)では、特に38条の「不利益な供述の強要の禁止規定」によれば、被疑者(被告人の場合も)の取り調べは「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に」長く抑留もしくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない」と具体的、かつ詳細に定めている。
ところが、刑事訴訟法(」憲法の規定による法制化されたにもかかわらず)」では、この憲法の「原則」が大幅に「緩和」されているのである。一応、憲法38条の規定と同じ」規定はあるが、「出頭、及び取り調べ」の規定では「出頭に応じるかは」任意であるとしつつも、「いったん、出頭しても、ー逮捕または拘留されている場合は別としてーいつでも退去できる」と定める。この「逮捕または拘留されている場合を除き」という「例外規定」が曲者であり、「強制による自白の禁止」という憲法規定、つまり「人身の自由」を潜脱する違憲、違法な規定であると解釈できるのである。
この刑事訴訟法の規定と実務が」存在するからこその「冤罪事件」の多発であり、「密室での取り調べ」であり、世界から「人質司法」と揶揄されているのである。この「例外規定」である刑事訴訟法の198条は明確な憲法違反の規定であり、袴田事件をはじめとして、冤罪事件の温床となっている。速やかな198条の削除が必要であることは言うまでもないが、日本の刑事学は長期間にわたって、沈黙してきたのである。その罪は重い。
以上。