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0882 単純な定理にこそ真実は宿る! 流水 2020/07/13 09:44:40
いよいよ東京は、第二派に突入したのではないか。
どうも、今回のコロナは、暑さや湿気に弱いという従来の感染症のありようとは違うようだ。しかし、政府も東京都の小池知事も、二度目の“自粛”政策に打って出る勇気はなさそうだ。

日本政府の補償無き自粛対策は、一度は出来ても二度目は難しい。ではどうするのか。

経済とコロナ対策は二律背反。米国やブラジルの惨状を見ればその事は明白。このような二律背反の命題をどのようにすれば克服できるのか。

こういう場合、難しい理屈はいらない。単純な思考にこそ突破口がある。

弁証法という思考法がある。【正・反・合】という定理で人口に膾炙している。

ヘーゲルの弁証法で説明すれば以下のようになる。
“対立あるいは相矛盾する二つの事柄を統一・総合する事によって、高い次元の解決法や結論へと導く思考法”で、ドイツ語で言えば、“ジンテーゼ”“アンチテーゼ”“アウフヘーベン”という思考過程をたどる。

弁証法という思考法は別に特別な思考法ではなく、近代社会は弁証法的思考によって形成されてきた。例えば、ハイブリット車は、車の性能の追求と環境への負荷の軽減という二律背反的命題の弁証法的解決法の一つ。

このように近代社会は、様々な課題を“弁証法的”に解決する事により進歩してきた。

コロナ騒動でわれわれが現在直面しているのは、“経済活動を行わなければ生きてゆけない”という現実と、“経済活動を活発に行えば、コロナの蔓延を防ぐことが難しい”という相反する現実をどのように克服すれば良いのか、という命題である。

この命題については、すでに答えは出ている。

【検査】(PCR検査、抗体検査、抗原検査など)の拡充により、陽性者と陰性者の振り分け。⇒陽性者の隔離、治療⇒陰性者による経済活動の維持。

経済活動は人間の活動がなくては成立しない。人間の活発な活動には、【安心感】が絶対条件。安心感の無い社会では、人々の活動にブレーキがかかる。

その【安心感】は何で担保するか。徹底的な【検査】により、陽性者をあぶりだし、隔離治療すれば、社会活動をしている人々は陰性者であり、安心して「経済活動」ができる。

わたしたちは、政府や東京都などの地方自治体の対策をこのような視点で評価すれば、現在の対策の杜撰さがよく分かる。

徹底的な検査と隔離・治療により、社会の安心感を担保するという単純な命題を実行できない言い訳に終始している。

美辞麗句と難解な説明に騙されてはいけない。政治家や官僚たちが庶民には理解が難しい専門用語や屁理屈をこね始めた時は、自らの無能さと力量不足を覆い隠そうとする時。

今回のコロナ禍で明確になったのは、日本の統治機構の“腐敗”と“無能力さ”で、彼らの思考は、もはや近代以前に劣化していると言わざるを得ない。

政府自民党が国会を閉じて、野党(国民の代弁者)の追及を逃れようとしている事実に、彼らが民主主義のイロハすら理解していないことが透けて見える。

世界的パンデミックの最中(国難の最中)に国会を閉じ、最高指導者の首相が国会から遁走し続ける姿のどこに近代が見えるのか。あるのはただ一つ。“権力への妄執”以外にない。

以前にも書いたが、日本国家と国民にとって、戦後最大の危機ともいえるコロナ禍にこのような無責任な首相と与党と官僚機構しか持ちえなかった不幸を、われわれはもう少し深刻に直視しなければならない。