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0879 ブラック・ライヴズ・マッターの歴史的背景 名無しの探偵 2020/07/02 23:09:12
2020年、5月25日、アメリカ、ミネソタ州のミネアポリスで白人警官によって、肘で首を押さえつけられ、黒人男性のジョージ・フロイドさんが死亡するという事件が発生した。
この事件を受けて、アメリカ各地でこの事件に抗議するデモが起こり、世界中でもデモが広がった。日本などの報道では、こうした抗議活動の広がりなどは突然に起こったというマスコミ報道が多いが、それはアメリカの歴史と現在の問題状況を間違った視点から理解しているからであり、抗議運動における声明文の「ブラック・ライヴズ・マッター」(黒人の命も大事だ)が初めて聞いたかのような日本人の感覚はこの「間違った視点」の帰結でもあるだろう。
つまり、日本ではアメリカの黒人差別問題が「アメリカの歴史」を表面的で、皮相な歴史としてしか情報として伝えられていないからなのである。
アメリカの「黒人差別」の歴史を順を追って見ることにする。

最初に南北戦争(アメリカでは「市民戦争」と言う)が奴隷解放を巡る戦争であったことは周知のことであろう。(1861年)しかし、この「奴隷解放」という「歴史」が実は大きなミスリーディングの源であると思われる。
なぜなら、奴隷解放後のアメリカ社会では、「黒人の差別」はなんら解消されていないからである。分かりやすく言えば、「人権の保障なき奴隷解放」だったということである。

2、「人種差別の合法化」
南北戦争は奴隷解放を目指した北軍が勝利して、その後、連邦議会が奴隷制度の廃止や公民権の付与、黒人男性への参政権の付与を中心に3つの憲法修正条項を追加したことで、表向きは黒人奴隷の「解放」が実現したことになっていた。
しかし、1883年の公民権裁判での最高裁の判断は、「合衆国で生まれた(または帰化した)すべての者に公民権を与える」とした「修正14条は私人による差別には当てはまらない」として、個人や民間企業によって公民権を脅かされた人々を保護しなかった。この判決は、1875年に制定され、公共施設での黒人差別を禁止した公民権法のほとんどを
、実質上、無効化した。さらに、1980年にルイジアナ州は、黒人と白人で鉄道車両を分離するという人種差別法案を可決した。

こうした「歴史」を簡単に言えば、つい最近まで南アフリカで大手を振るっていた「アパルトヘイト」政策のアメリカ版だと言えば分かりやすいであろう。

3、「公民権運動と事件」

こうしたアメリカにおける「人種差別」;「黒人差別」の長い歴史の中で、黒人が自分たちの「公民権」(日本ならば、市民としての基本的人権である)の保障を求めて権利の主張を提起した運動が「公民権運動」と言われる運動である。

この運動の最中に、様々な事件が起こった。詳細は省くが、公民権運動の中で黒人への様々な妨害工作や殺人事件が多発していたし、実際に黒人のデモに対する警察や州兵の発砲事件が大きな事件となっていた。

ここでは、有名な公民権運動の指導者であるキング牧師の業績などを見直してみたい。
キング牧師の業績としては、キング牧師たちの呼びかけに応じて、人種差別や人種隔離の撤廃を求める20万ん以上の参加者を集めた1963年8月28日のワシントン・D.Cにおける「ワシントン大行進」で最高潮に達していた。

この時のキング牧師の演説「I Have a Dream.]は、アメリカだけではなく、世界中でも有名なものであった。
こうしたキング牧師たちの運動の成果として、公民権法が制定されることになった。(ケネディ大統領がこの法律の制定などを次々に成し遂げたが、凶弾に倒れ、続くジョンソン大統領が後を引き継ぐ形で制定させたのである。

「結語」
こうした、公民権運動と公民権法の制定にもかかわらず、、白人警官による黒人差別殺人などは後を絶たない。
白人多数の黒人差別(有色人種差別も含む)がアメリカ社会から人権意識改革として重要視されず、「ブラック・ライヴズ・マッター」として抗議活動
大々的に展開しても、アメリカの白人女性たち(多数であろう)は「白人のことも大事だよ」と見当違いも甚だしい反論などを大声で叫んでいることなどから、論点のすり替えや黒人への差別殺人は「黒人などがターゲットにされている」という問題認識もない白人社会の「貧困なる知性」の賜物ではないかとも思える。

日本でも社会的弱者への差別の解消になんらの配慮も示さない小池百合子都知事の再選が可能性としてあり得る国なので、アメリカも日本も同じような社会ではないかとも言えるのであるが。差別への問題関心がないところでは、「ブラック・ライヴズ・マッター」という声明は何時でも必要なのであると思える。

以上。