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0867 国難はウイルスだけではないだろう 見習い期間 2020/04/21 15:31:31
前回このコラムを書いた時には、次回の執筆時は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は完全にではなくともすでに流行の第一波は収まり、少しずつ日常を取り戻しつつあるのではないかと、今思えば非常に楽観的な見方をしていた。

しかし、このコラムも一か月以上新型コロナウイルスに関連する話題が続き、日本に関して言えば、今年の二月末から状況は日に日に悪化しているとしか言いようがない。いつまで続くのか。まさに見通しが持てない状況である。
世界全体でみれば、大流行した地域でも強固な移動制限の成果が少しづつ現れ、現在ではすでに流行のピークを過ぎた国や地域が目立つ。初動の水際作戦を怠らず、さらに流行の兆しがみられるや否や検査と隔離を徹底した国と地域では、封じ込めに成功するケースまでもが報告されている。
世界の中でも比較的に早期に感染者が発見されたはずの日本は、今もなおウイルスの蔓延を食い止めることができず、むしろ感染を広げる一方だ。

まさに人類の危機ともいえる状況であり、世界全体でこの疫病との戦いが続いていることは間違いないだろう。だが、日本の場合にはウイルスだけではなく市民をまったく顧みない政府とも戦わなくてはいけない状況にある。
この国を襲う国難はコロナウイルスだけではない。バカ殿を筆頭に、後手後手で「やってる感」を演出しているだけの感染拡大防止策がことごとく失敗しても、感染拡大を食い止められず救急医療現場を崩壊させても、一切責任を取ろうともしない人たちの神経にはある意味で感心してしまう。

経済はおろか、何をおいても最重要である国民の命をも守ることができていない。それなのに、「何事も責任を取ればいいというわけではない」と国のトップが記者会見の場で堂々と発言するというありさまだ。公衆衛生政策でもなければ経済政策でもない、まさに棄民政策を遂行しているというのが適切であろう。

安倍政権のこれまで七年の働きぶりを見ていれば、有事の時に国民に寄り添った策を打ってくれないことなど、わかりきったことだった。昨年、日本列島に相次いで台風が上陸し甚大な被害をもたらした際にも、まともな対策や補償らしきことはほとんどしてこなかった。

手柄は何としてでも自分のものにしたいが失敗は国民のせいにしたいという魂胆は常に見えている。公の場で謝罪の辞を述べたとしても自分たちの対応に問題があったことを認めているようには到底見えず、およそ空虚なものでしかない。一人一人の市民たちがこの騒動で失われた時間と生活基盤を取り戻せるような支援も補償も一切伴わない、あくまで上っ面だけの言葉にすぎない。
先週あたりからは、内閣も専門家会議も自分たちは「ただのおじさん」に過ぎないからたいしたことはできない、だから国民のみなさんの行動変容が求められるというようなメッセージを日々発している。感染拡大が刻々と進行してしまっている中で、それは自分たちの作戦が失敗したからではなく、あくまでも日本に住む人たちが外出自粛などの「お願い」に応じなかったからということにしたいのだろう。仮にこのままの「自粛」を中心とした感染拡大防止策で第一波を食い止めることができたら、自分たちが「先手を打った」対策をしてきたからだと胸を張って言い切る姿は容易に想像できる。
人間が行動変容をするまでもなく、新型コロナウイルスに限らずウイルスは休日と平日夜間だけ活動するわけではないことは既知の事実である。公衆衛生学のセオリーである病原菌流入前の徹底した入国制限と厳格な検疫という水際作戦を取らず、国内での感染例確認後も検査と隔離を行わなかったことがそもそもの発端であることを忘れてもらいたいという意図も透けて見える。初動の時点で失敗というよりも、もはや何もしていなかったのだから、こうなることは今年の一月の時点ですでに見えていたことなのかもしれない。

次回のコラム執筆時こそ、流行の第一波は終息していてほしいところだ。そして、志を同じくしている者同士で外に出て集まって、怒りをしかるべきところに直接届けられるようになっていてほしい。