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0844 一国文学史という幻想・序説 見習い期間 2019/12/12 23:44:44
年末になると発表される今年の漢字が「令」に決まった。一年の世相を表す一文字ということのようだが、現在の日本の姿を明確に反映している側面もある。

言うまでもなく、現在の元号であり、今年の四月に新元号として発表された「令和」の「令」という意味合いが強いだろう。十連休も今となってはもう一年以上前の出来事に感じられるが、新しい元号として「令和」が発表された際に抱いた違和感は今もまだ解消できていない。

元号が初めて「国書」からとられたという主旨の発言が談話の中にあったと記憶している。しかし、その「国書」には、具体的にいかなる書物なり文書が含まれるのだろうか。

「令和」の出典として取り上げられた『万葉集』について少し調べれば、私たちが日本の文学や日本の文化と称しているものが、複数の文化やものの交流と混交によってできていることに気づくことは容易であろう。

『万葉集』は「我が国」最古の歌集として作品名だけでも記憶している人が現在でも決して少なくない。日本という国の「国文学」のなかでも特に優れた作品として、国が定めた義務教育の過程でもごく一部を学習することになる。

日本文化の精髄としてよりどころにされる、この古代貴族によって製作された歌集は、「我が国独自の」「日本特有の」文化という枠組みで語られる反面、書いて記録するにあたっては漢字を用いている。
現在も使用している平仮名・片仮名というものが作り出されるのは、さらに時代が下ってからの話であることは、広く知られているはずだ。蛇足ながら付け加えれば、日本語における仮名にしても、漢字の一部分を取り出したり、字体をくずして書いたりすることでできたものである。

良心的で慧眼のある万葉研究者ならびに読者たちがすでに平易に述べているように、「令和」の出典となった箇所にしても、同時代の漢籍などを典拠としていることは明らかであり、それら周辺テクストのなかにおいて『万葉集』の歌を解釈した場合に、元号を決定した者たちの意向とむしろ正反対の内容が導き出されることまでも示唆されている。

自国の文化を誇りに思うこと自体は決して悪いことではないだろう。ただし、「国家」という概念も、文学などの芸術品がこうした概念のなかでとらえられるようになったのも、記録と記憶を容易にさかのぼれる程度の過去にはじまった出来事であることは忘れてはならない。

『万葉集』というテクストがどう読まれ、さらにはこれからどう読まれるのかをより詳細に観察する必要があるが、他日を期すこととしたい。