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0828 喪失の遺産を受け継ぐ 見習い期間 2019/08/19 10:24:00
74回目の終戦記念日を迎え、今年も第二次世界大戦に関連した報道やドキュメンタリー番組を目にする時期になった。しかし、今年はこれまでと比べて戦争を扱う記事や番組の数自体が減っているように感じるのは気のせいだろうか。

報道番組内の戦争をテーマにした特集では、いわば「被害者」としての「日本人」を対象としてこれまで以上に恣意的に選択しているように見える。
大戦中、貧しい生活を強いられた市井がいたことも、日本の敗戦後に大陸からの引き揚げ・抑留などで身を引き裂かれるような想いをした人たちが存在することも事実である。
しかし、こうした惨状を生み出したのはいったい誰なのだろうか。誰がいつ、どのような意思決定を行ったから、多くの罪のない人々を巻き込む羽目になったのか。単なる過去に起きた悲劇として戦争を扱うのであれば、過去の遺産と正面から向き合えていないことになるだろう。
国と国との戦争において、日本人は被害者であるとともに、加害者であったことは、なかったことにはできない事実だ。個人が被った悲劇性や感情的な部分にばかり注目していては、先人が何をしてしまったのかは冷静に顧みることはできない。
日本を戦争へと導き、その戦いに国民を巻き込む選択を重ねてきた人々が、戦後に一度は追放されたものの再び表舞台に戻ってきていることなどは、どうして問われないのか。また、過去に行った略奪・侵略行為が現在まで影響を与え続けていることには気が付いていないのだろうか。
日本という国として過去に犯した加害を想起させるものに対し、過剰なまでに反応し、隠蔽を試みる人が目立つことも、昨今の戦争を扱う報道とつながりがあるように見えてしまう。

表面的で漠然とした平和を求めて祈りを繰り返したところで、再び同じことを繰り返してしまうのではないかという不安が募るばかりである。