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0826 「ラスト・トーキョー〜“はぐれ者”たちの新宿・歌舞伎町〜」※無縁者の生きる場所 流水 2019/08/05 22:37:26
何とも魅力的な題名に魅かれてNHKBS1を見た。私的モノローグともドキュメンタリーとも取れる不思議な作品だが、新宿騒乱時代を生きた母親と平成の世を平和に生きた娘との関係が何とも心地よかった。※http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=19538

何となくレールの敷かれた人生を大過なく生きてきた娘NHK柚木映絵ディレクターと、その母親柚木佳恵、父親柚木次郎の語らい。麻雀店を三軒経営し、新宿とともに生きてきた母親の人生を追体験していくうちに、不思議な町新宿歌舞伎町の住人達との触れ合いを描いている。

「歌舞伎町に絶対入るな!」小さいときから、娘は母親にそう言われて育ってきた。

歌舞伎町は、ヤクザや風俗嬢、ホームレスなど“はぐれ者”たちが生きるアジア最大級の歓楽街。何とも怖ろし気で、それでいて魅力に溢れている。「怖いもの見たさ」の典型のような街である。

わたしも一度だけ歌舞伎町に行った事がある。東京に住む甥坊と新宿駅で待ち合わせ、歌舞伎町で飲んだ。

上野から山手線に乗って新宿まで出かけたのだが、その電車の中でびっくりするような刺青の男性が前に立っていた。普通の刺青なら驚きもしないのだが、その彼は額、眉など顔にも入れていた。もちろん、両腕にも入れていた。新宿駅に着くとその彼も降り、歌舞伎町方面に消えていった。どうやら、歌舞伎町で働いている様子だった。

甥坊にその話をすると、歌舞伎町にはそんな連中はごろごろしている、と言う話だった。「はぐれ者たちの町」とはよく言ったもので、彼のような人間は田舎では決して生きられない。でも、新宿歌舞伎町では生きられる。なんでも受け入れられるこの街の秘密とは何だろうか。

柚木ディレクターが新宿歌舞伎町を取材しようと考えたのは、母親柚木佳恵が、三軒経営している麻雀店を辞めようと考え始めたのを知ってからである。母親は、大好きだった新宿歌舞伎町の面影が消え失せて行くのが耐えられないのだろう。それは何なのか。

東京五輪を機に、特区制度を利用して、新宿歌舞伎町も大きく変貌しようとしていた。いわゆる再開発である。

オリンピックのような国際大会が開かれる時、どこの国でも、往々にして見られる現象だが、比較的貧困層が暮らす地域が、再開発によって高級化し、しばしばもともといた人々を追いやってしまう。ジェントリフィケーション(Gentrification)というそうだが、歌舞伎町で起きていることはまさにこのGentrificationである。

為政者たちの考える事は万国共通。貧民窟やスラム、汚い街、治安の悪い街等々、その国の体面を汚すような場所は、訪れる外国の人々の目に触れないようにできるだけ撤去したい。リオ五輪の時のスラム街の撤去、北京五輪の時、北京市内の古い家などを隠すなどなど枚挙に暇がない。

今回の東京オリンピックでは新宿歌舞伎町なのだろう。柚木映恵ディレクターは、母親が愛してやまない、高級化の陰で消え失せてゆく、「はぐれ者」たちの街を記録しようと考えたのである。

【毒の持つ美しさ】
母親が歌舞伎町について語る時の口癖。けばけばしいネオン。何とも奇妙奇天烈な格好をした連中が闊歩し、けばけばしく、派手な格好のホステスが嬌声を上げ、そこら中で客引きがおり、年がら年中喧嘩沙汰が絶えない。文字通り、非日常の世界の中で誰もが何となく足が地につかない気分になる。歌舞伎町は、どこからどう見えても、【毒の花】が咲き乱れている。

地方にも、このような【いかがわしい】場所は各地にある。しかし、地方の「いかがわしさ」は、隠花植物のような「いかがわしさ」だが、歌舞伎町の「いかがわしさ」は、比喩が適切かどうか分からないが、吹っ切れた「いかがわしさ」がある。

私流に言わせてもらえれば、地方と歌舞伎町の「いかがわしさ」の空気の違いが地方と東京の「自由度」の違いであり、生きる空間の「寛容度」の違いだと思う。

同時にそれが文化的成熟度の差として顕在化する。何故なら、京都が象徴的だが、文化的成熟は、常にアヴァンギャルドの挑戦にさらされる事により、新たな成長を遂げるものだから。

わたし自身は母親柚木佳恵の言う【毒の持つ美しさ】は、食虫植物の美しさだと考えている。
※妖艶な美しさ 食虫植物の世界
https://a-t-g.jp/carnivorous-plant-4333

毒だと分かっていても、「妖艶な美しさ」は人々を迷わせる。わたしが束の間経験した歌舞伎町はそんな街だった。もし、若いとき経験していたら自分はどうなっていたのだろうか、と思わせる魅力あふれる街だった。

●「歌舞伎町俳句一家・屍派」
わたしがこのドキュメンタリーの登場人物の中で最も興味を覚えたのが、「歌舞伎町俳句一家・屍派」という夜な夜な歌舞伎町で俳句を詠み歩く集団の何とも破天荒な生態だった。

「屍派」というおどろおどろしいネーミングに驚かされるが、彼らの生き様をそのまま表したようなネーミングである。

集団のリーダーは北大路翼。プロの俳人。彼らは夜な夜な北大路翼が経営する【砂の城】という飲み屋に集い、思い思いに句を詠む。元ホスト、バーテンダー、女装家、鬱病・依存症患者、ニート……。“はみ出し者”ばかりだ。

わたしは、“はみ出し者”=無縁者(現行の秩序や生き方から離れた人たち)だと考えている。無縁者であるがゆえに、逆に、自由で気取りのない人間関係を構築できる。

【砂の城】はそんな彼らたちの解放区だ。「うたかたの夢」かも知れない一瞬の時を共有するために彼らは毎夜毎夜【砂の城】に集まる。文字通り、いつ崩れるか分からないそんな儚さを持った【砂の城】に集まる。俳句はそんな彼らのただ一つの「自己表現」のツールなのだろう。

何はともあれ、彼らの句を読んでほしい。
・・・・・・・・・・

・軽トラで持つていかれたぬひぐるみ
・キャバ嬢と見てゐるライバル店の火事
・この毛布ぢゃないときつと眠れない
・一番えらいのは伊達巻を考へた人
・駐車場雪に土下座の跡残る
・春一番次は裁判所で会はう
・春の風邪キスをしてもうつらない
・ストリップ最前席の深海魚
・ウーロンハイたつた一人が愛せない  
・俺のやうだよ雪になりきれない雨は
・触れたなら傷が散らばる鳳仙花    
・青空に吸いとってもらう自己嫌悪
・蔕取れば苺寂しくなりにけり     
・近寄れば殺す(蜂のことですが)
・ラムネの様爽やかな朝の睡眠薬    
・灯り消えけたけた嗤う毛布かな
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たしかに、巧緻な句はない。ただ、どの句も詠み手の心象風景がくっきりと見える。

わたしの心に残った句を見てみる。

・駐車場雪に土下座の跡残る

喧嘩か何かのいさかいが行われ、一方が土下座をして許しでも乞うたのだろうか。雪に覆われた駐車場に土下座の跡がくっきり残っている。勝者も敗者も、自らの愚かな行為の痕跡に何を思うのだろうか。「土下座の跡残る」 何とも心に突き刺さるフレーズである。

・軽トラで持つていかれたぬひぐるみ

おそらく借金か何かが払えなくて、差し押さえでも食らったのだろう。自分の分身のように可愛がっていた「ぬいぐるみ」さえも軽トラックで持っていかれてしまった、という句だろう。持っていかれる「ぬいぐるみ」に込められた自分自身の人生すら奪われてしまったという悲痛な思いが込められている。軽トラが去っていく姿に、消されてゆく自らの過去を見ている。何ともやるせない句である。

・俺のやうだよ雪になりきれない雨は

雪になりきれない雨は何ともやりきれない。思い切って雪になってくれれば、対処の仕様もある。しかし、雪交じりのみぞれ雨は、足元は濡れる。上着も濡れる。跳ねあがりの泥をかぶる。どうにも厄介な存在。まるで、中途半端な俺のようだ。

たしか小林秀雄だったと思うが、「何にでもなれたはずの自分が今の自分にしかなれなかったのを驚く」と言う言葉を記憶しているが、作者の想いは何にでもなれたはずの自分が、何者にもなれず、中途半端に生きている事への自嘲の句だろう。「よ〜く、分かっているんだよ!」という作者の悲痛な叫びが聞こえてくる。

このように、自らの内面を赤裸々にさらけ出しながら、自らの生の意味を問いただしている、彼らの内なる魂の叫びが胸を打つ。

北大路翼について興味のある方は次の記事をどうぞ。

※40歳、歌舞伎町で俳句を生業にする男の稼ぎ方
子どもの頃から興味のあった道に落ち着いた
作者村田らむ 東洋経済オンライン
https://toyokeizai.net/articles/-/264342

時代は残酷である。このような豊かな文化を育む新宿歌舞伎町も容赦なく変えてしまうのだろう。

母佳恵は、新宿騒乱事件(1968)の時、思わず投石をしたそうだが、若い彼女の鬱屈した思いがそうさせたのだろう。佳恵の父親は、母親とは別の女性と暮らしながら、彼女と母親の生活の面倒を見た。そのお金は、父親と暮らしている女性から渡された。

おそらく、母親はそんなお金をもらう自分が情けなく本当に厭だったろう。しかし、佳恵は育てなければならない。当時の女性がお金を稼ぐのは、現代では考えられないくらい難しかった時代である。だから、佳恵の母親は、この屈辱を受け入れたのだろう。

しかし、この屈辱は、佳恵の中にずっと生き続けていた。それが思わず発散したのが、新宿騒乱事件だった。青春時代の鬱屈は、時として思いもかけないはじけ方をするものだ。

時代も反権力が一種のトレンドだったし、人々もまだ反権力に寛容だった。

※目撃者が語る 新宿騒乱事件 
https://www.dailyshincho.jp/article/2016/12280557/?all=1
※新宿騒乱事件の映像 YOUTUBE
https://www.youtube.com/watch?v=JcYRS9a7mpc

彼女のその後の人生は、このような【新宿】を愛する事に費やされた。自らの生き方を変え、生き方を見つけた新宿と言う街に対する愛惜の念に違いない。七千万の借金をして、麻雀屋を経営。三軒まで広げた。彼女にとって新宿歌舞伎町は、文字通り、彼女のレーゾンデートルだったに違いない。

父親から捨てられ、意識の中で、いわば「無縁者」として生きてきた彼女が、同じ匂いを持つ新宿と言う街の空気に魅かれたのかもしれない。

丁度、参議院選挙が終わった。

想田和弘氏が「れいわ新選組」について的確な評を書いている。

・・・安冨歩さんが、れいわ現象を内側から分析して放った言葉である。

「れいわ新選組は、左派ポピュリスト政党、などではない。それはそもそも『政党』ではなく、『左派』でもなく、『ポピュリスト』でもない。れいわ新選組は、無縁者の集まりであり、その無縁のエネルギーが、ガチガチに固まって人間を閉塞させている有縁の世界に、風穴を開けつつある。人々の支持を集めているのは、その風穴から、空気が吹き込んでおり、息ができるようになったからだ、と私は考えている」
(内側から見た「れいわ新選組」)https://anmintei.net/a/688?fbclid=IwAR0iRz_H0RKhAU8GP9NSbJf7PpBQfLq1XMae0VN0gvn9a1jm5PCRdUiSgqk

「無縁者」とは、日本中世史家の網野善彦が使った概念で、主従関係や親族関係といった世俗的支配(有縁)から自由な人間を意味する。実際、日本の中世では道、市場、浜辺、野原などが「無縁所」として機能し、そこには漂泊の職人や芸能民、博打打ち、巫女などの無縁者が集ったという。彼らは人間関係=縁が「腐れ縁」になったとき、それを断ち切ることで自由になり、中世の社会で重要な役割を果たしたらしい。・・・

※れいわ新選組は野良猫の集団である(想田和弘)
https://maga9.jp/190731-4/
2019年7月31日 想田和弘 マガジン9

新宿歌舞伎町を一言で評するなら、このような「無縁者」の「生きる街」であり、彼らの「終の棲家」でもあった。

柚木佳恵さんが麻雀屋を辞めようと決心したのは、「無縁者」が本当の「無縁者」にされてしまう近代化と言う名前のGentrificationの無残さに耐えられないからであろう。

実は、これは、日本全国で見られる普遍的現象である。日本全国で顕在化している「シャッター商店街」、若者や子供の姿が消え失せた田舎の町々。近代化や効率化の掛け声のもと、人々の【無縁化】が進んでいる。田舎の墓の消失は、他人ごとではない。その意味で、歌舞伎町で進行しているGentrificationは、普遍的課題なのである。

自民党政権(特に小泉政権以降)の下で進められてきた新自由主義的改革の行き着く先は、「無縁社会」の進行である。

その意味で、山本太郎と「れいわ新選組」の政治行動は、「無縁者」一人一人が猫のように自立する事を目指した画期的な政治行動であり、偶然とは言え、これと機を一にしたこのようなドキュメンタリーがNHKから放映された事に大きな意味がある。