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0820 「戦後史」のパラドックス(逆説) 名無しの探偵 2019/07/25 17:36:29
予告でも触れたように玉音放送(日本語としては特殊な言葉で放送されている)のあった8月15日の映像がテレビでいつも放映されているが、有名な作家が宮城前に行ったが誰もいなかったという。その映像にはかなりの数の男女(20歳から60歳までの)が頭(こうべ)を下げている姿が映し出されている。メディア研究の学者佐藤氏はこれは後に撮影された「やらせ」だったという。
このように戦後のスタート時点からして日本の歴史:戦後史(とその映像や写真)は偽りで始まる。
「戦後史」という歴史用語にしても誤解が生まれるような言葉である。実際に「戦後」という時間は8月15日の「一日」だけで形成されたり区分できるものではありえない。
特攻隊の出撃もこの日にあったし、海外派兵で戦地に残っていたおびただしい数の兵隊は日本本土にいないのである。
以上のような細部の出来事はコラムのテーマではないので早速、テーマを絞ることにする。
それは50年以上前の「疑問」から始まる。それは安倍首相の母方の祖父であった岸信介という人物の「戦後」の姿であった。
彼は戦中の東条内閣の商工大臣を務め「満州国」の経営で辣腕を振るい「満州の妖怪」とも言われていた。実際に岸は「東京裁判」でA級戦犯(戦争指導者のこと)の容疑で巣鴨プリズンにいた。
なぜだか分からないが戦犯容疑が解かれ、なんと60年代には日本の総理大臣になっていたし、安保条約(第二次)の締結を決めたのである。
こうした「謎」は20代の学生であった私には不可解であった。
戦犯容疑が濃厚であった東条内閣の閣僚が巣鴨プリズンから解放され、処刑もされず総理大臣にまでなる日本という国は不可解としか言いようがない。
2、それでは(この初発の疑問からさらに探究を深め)「東京裁判」とは何だったのか。

これまでの議論では「東京裁判」に関して二つの見方が提示されてきた。
一つは日本の侵略戦争を裁く正当な国際法廷であるというもの。この見解は占領軍(GHQ)を解放軍として捉える見かたと共通している。
もう一つは戦勝国(連合軍)が敗戦国(ドイツ、イタリー、日本)を裁く「勝者の裁判」であり正当性はなくかつ国際法にない新法で裁くものであり刑事不遡及の原則に反するという見解である。
この二項対立的な二つの「東京裁判」史観からは「東京裁判」の本質は永久に見えてこないだろう。
東京裁判は両極に明確に区別できるような単純な様相を最初から示していないからである。
ニュルンベルク裁判(ドイツの侵略戦争など裁いた法廷)のように連合軍の主導があったのと異なり、東京裁判(極東国際軍事法廷)は終始アメリカ、特にマッカーサーの軍事派閥が軍事法廷を担った。

戦犯容疑者から免責された軍人や官僚、財閥などはかなり多い。
3、今回のコラムではこの「免責」(免責された戦犯たち)にテーマを絞ることにする。
少し議論を前に戻すが、前回のコラム(珠さんの投稿)からも示唆を受けた。珠さんの投稿から私が触発された箇所はアメリカの「戦後」におけるおびただしい戦争の諸相である。(詳しくは「アメリカ暴力の世紀」という著書が有益な視点を提供している)
この問題と「東京裁判」での「免責」は特に関連している。
これまでの議論では免責の対象は主に二つとされてきた。
一つは天皇の免責である。特に太平洋戦争の決定は天皇の決断であった。天皇に戦争責任がないということはありえない。
もう一つは731部隊(細菌戦の工場を満州付近で
大規模に展開していたし、実際に中国に大量の細菌爆弾を投下していた。)の免責である。
前者の免責は今回のテーマではなく、後者の731の免責の意味が大きな問題点であると考えている。
この問題に大きな影響力を与えた研究者は多い。
80年代に出版された、森村誠一著「悪魔の飽食」である。
科学者(化学)の常石敬一氏であり、最近の著書では「謀略のクロスロード」(副題;帝銀事件と731部隊)が参考になった。
そして、ドキュメンタリー作家の青木富貴子氏であり、新潮文庫「731」は実際に731部隊に入隊した医師や軍属であった人たちからの聞き取り調査は大変な仕事だったと思われる。
これらの研究成果から言えることはアメリカが731の免責を与えたことは特別の意味を持っていたことが分かる。
「東京裁判」の侵略戦争の戦犯を裁くという表の顔をはぎ取り、アメリカの裏の顔を表に引き出すというもう一つの「戦後史」の「謎」に迫るという意味る。
これが初発の疑問(岸などの免責)を解く鍵(キーポイント)になるだろう。
アメリカの「免責」は731部隊の細菌兵器の開発と実験結果の入手が秘密の特約(免責条件)であったのであり、実際に免責された石井中将や軍医たちは戦後の医学界の重鎮になっていく。
アメリカは朝鮮戦争で細菌兵器を使用したとも疑われている。ベトナム戦争では細菌兵器の出る幕はなく、代わりに使用されたのが枯葉剤だった。
東京裁判は二項対立で片付けられる「単純なもの」ではありえない。
4、今回のコラムは研究の端緒についたばかりものであり、詳細な展開は今後に譲るとして最後に「戦犯容疑者」から外された主な軍人などに言及する。
中国への侵略戦争の端緒であり、大きな事件となった「満州事変」の首謀者である石原莞爾はなぜ免責されたのだろうか。(盧溝橋事件が直接の端緒であるが)
リットン調査団が満州に派遣されて、国際的な非難を受けたことから日本は「国際連盟」から離脱する。そして、世界を敵に回すことになる太平洋戦争を真珠湾攻撃から開始して無謀な戦争へと突き進むのである。
「大東亜共栄圏」の大きな礎石となった「満州帝国」を作った青写真は石原莞爾の引いたものであり、「満州事変」の立役者は石原莞爾をおいてほかにはいない。
こうした戦争指導者の多くが「免責」される「東京裁判」とは一体なんだったのか。

「戦後史」と一言で済ますことではない。やらせから始まる8.15、免責を受けた戦犯容疑者のおびただしい数。
謎の多い「東京裁判」、そして図式的すぎる歴史家たちの「戦後史」の描写。「東京裁判」を筆頭にパラドックスに満ちた「戦後史」を再考することが重要であるような気がする。
今回は端緒についたばかりの研究経過の一端を書くことしかできていない。
現在の日米関係は安倍政権のアメリカへの一方的な追従と辺野古基地への米軍キャンプ移設と大きな変革に立ち会っているにもかかわらず、「安倍一強」がいまだマスコミからも垂れ流されている始末である。
日米関係は日本の戦後史だけを照射していても歴史は見えてこない。アメリカという戦争の継続をいつの間にか国益としている国家の「歴史」を直視しない限り「日米関係」も世界の情勢も見えてこないだろう。
戦後史は「東京裁判」を軸にすれば「日中戦争」、「太平洋戦争」、「満州帝国」、「原爆投下など」と切り離すことは日本の戦後というパラドックスから解放されないのである。
沖縄の占領継続は「基地問題」ということだけではなく、なぜ占領継続なのかである。「冷戦構造」の終焉にもかかわらず、基地の拡大が「なぜ必要なのだろうか」。
これらの解答は「戦後史」の見直しの中にしかないのではないのか。