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0808 三つの時代を生き抜けるように 見習い期間 2019/04/29 08:50:35
今日は「昭和」の日で祝日であり、この文章は「平成」最後のコラムになるようだ。

平成という時代を振り返ると、犯罪や各地で相次ぐ災害などの暗く悲しい出来事にどうしても目が向いてしまう。また、市民の生活はこの三十年余りで豊かになったとは決して言い難く、停滞感、あるいは閉塞感という言葉を真っ先に連想する人も少なくないはずだ。

それでも、平成の時代に、私たちがかろうじて守りきることができた大切なものもあるのではないかと考えている。

ひとつの時代を通じて、対外的な戦争を主体となって一度も起こさなかったという事実は、世界中を見渡しても貴重であり、また、尊いことではないだろうか。あくまでも体裁だけなのかもしれないが、一人では小さい声の市民たちが過ちを繰り返さないために日々声を上げてきた成果であることは忘れてはならない。
そして、次の時代になっても継続しなければいけないことである。

そして、平成の間にはインターネットが普及し、いわゆる一般人でも自分の声を発信し、多くの人に伝えるための環境が物理的にも整った。結果として、自分が日常生活している世間には、自分とは異なるバックグラウンドや困りごとなどを抱えている人がいることが、目に見える形で理解できるようになったことも、注目すべき現象である。

これからの時代は、平成の間に生まれた喜ばしいムーブメントをもとに、属性や立場、価値観の異なる人間たちが共存できるよう、私たちは行動することが求められる。

人間がバラエティーに富むだけではなく、気候も日々変動し、人間以外の生物も地球自体もあらゆる活動を続けていくだろう。こうした状況下では、人間が作る制度も柔軟で可変的なものにしていく必要がある。

フレキシブルに運用できる制度や法令などが存在する反面、根幹の部分を変えることなく保つべきものが、昭和・平成と二つの時代を生きてきた日本国憲法である。私たちの自由と平和を支えているこの大切な宝を、次の時代になって早々に、根底から覆す形で改変することは、絶対にあってはならないことだ。

「令和」の時代は、令「に」和するのではなく、令「を」人間の側に和することを目指す時代にしたい。間違っても、自国だけの成長を目標とし、成長戦略を進めるにあたり取るに足らないとみなした人間を切り捨てるような真似は繰り返したくない。