呼出完了
0804 沖縄米軍基地問題の歴史的背景 名無しの探偵 2019/04/05 23:26:19
今回のコラムのテーマは現在も大きな争点となっている沖縄の米軍基地の辺野古への移設問題であるが、県民投票でも明らかのように現地の沖縄県民は辺野古への基地移設に反対している。しかし、現在の争点に触れることはコラム執筆の目的ではない。
沖縄の住民が反対する中でアメリカと日本政府はそれを無視して辺野古基地の建設を強行しているという争点は大きな問題であるが、コラムの目的はそこにはない。
私の問題意識としてなぜ、アメリカ政府は沖縄の基地移転を強行するのかその理由の方にある。
その問題意識(端的には「問い」)が出てきたのは冷戦構造が終結しても米軍基地の撤退とか縮小はなかった。そして、辺野古基地の移設という基地の拡大である。
アメリカの沖縄基地拡大の理由が根拠としてなくなったのではないか。
冷戦の始まりとともに沖縄の米軍基地が再び脚光をあびて冷戦体制期に沖縄の米軍基地は十分に活用されてきたが、冷戦がなくなった現在でも基地の拡大が強硬される理由はその根拠にあるのではなく、アメリカの戦略の問題の中に答えが隠されている。
それを説明する資料は多いが、今回のコラムの指針となる著書として、ジョン・ダワー氏の『アメリカ暴力の世紀』を挙げる。
本書は主に冷戦期におけるアメリカの戦争を扱た本であるが、情報量が多すぎて米軍基地問題に限定した資料としては長すぎるため、エッセンス部分に絞る。
ダワー氏は冷戦という言葉はこの時期に戦争が熱い戦争、つまり第二次世界大戦と比較して控えめなものであるというならそれは間違いであるという。
実際に令戦期に戦闘で亡くなった死亡者は冷戦の終盤の時期に集中しているとその数を明らかにしている。第二次世界大戦と比較しても決して少ないとは思えない数であると言う。(この数値は次回に記述する。)
2、そして、以上の死亡者の数の問題に関連して、ダワー氏は控えめな戦争だという見解を「暴力減少説」と呼んでいる。
コラムのテーマである沖縄の基地移転問題と関連さえるならば、アメリカは冷戦の終結後も沖縄の戦略的な重要性を否定せず、拡張しようとしているが、それは冷戦期の戦争と冷戦終結後の「テロとの戦い」の時期での「戦略」に答えが隠されている。
一番重要だと私が思ったのは、ベトナム戦争に対するアメリカ支配層(軍産複合体でもある)の思考態度である。
アメリカは建国以来初めて負けた戦争であった。ベトナム戦争での敗北を教訓にするなら普通の国の支配層はもう敗戦はこりごりだとりなるはずである。
しかし、かの国は違う。ベトナム戦争の敗北を「ベトナム症候群」として「敗戦はこりごりだ」という感覚を症候群:病的だと言うのである。これはレーガン大統領などの表現であり、実際にレーガン大統領の時代に小さい国:グレナダに出向き勝利して、これで強いアメリカに戻ったというのである。
こうした敗北に終わった戦争であり、フランスの肩代わりで侵略したベトナムでの敗戦を教訓ともしない「戦略」(ダワー氏の表現では「妄想」に近いという)なのである。
3、また、アメリカは戦争という手段ではなく、例えば南米の民主化した国(代表的な例としてチリ)の反政府組織に武器や資金を譲渡してその民主化した国にクーデターを引き起こすことも平気でやってのける。実際にはCIAやペンタゴン(国防総省)が武器などを提供する。チリではアジェンデ政権転覆後に経済政策と称して経済学者をチームとして送り込んでチリの経済を急速に弱体化させるのである。
この経済政策(実は経済破綻政策)は別の学者は「ショック・ドクトリン」と名付けて、非難している。「参事便乗の経済政策」とも言うべき手口である。
ダワー氏のアメリカの暴力の分析で見逃せない事実は特にCIAによる敵への「拷問」や「急襲」などである。「拷問」の方法としてナチスの拷問方法を教材にしているものまであり、これは実際にCIAの教科書になっていて、それを暴露した資料をウェッブ上で閲覧できるという。
「急襲」の典型例として、オサマ・ビン・ラディンの暗殺などが有名である。彼は抵抗もしていないのに殺害されたはずである。(これは殺人であろう)

こうした「アメリカの戦略」(妄想に近い)から、
冷戦終結以後も沖縄の基地の拡大は立案されているのであり、正当な根拠などは探すことは不可能なのである。

今回はアメリカの戦略に中に回答がある、沖縄米軍基地の移設問題を検討したが、私がこの問題関心を持ったのは最近であり、いわば初心者なのである。

そういう意味で次回はもっと広い範囲でリサーチして、アメリカの「暴力の世紀」にアプローチしてみよう。
(このテーマは次回に続く。)