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0800 生産的でない人間は見放すという発想 見習い期間 2019/02/24 21:05:47
「東京オリンピック金メダル候補」「スーパー女子高生」と過剰なまでに期待をかけられている競泳選手が、自らが長期の療養を要される病気に侵されていることを公表した。詳細な検査結果もまだ出ていない状況における大変勇気ある行動であり、選手本人の文章からは応援してくれる人々への感謝と生きることそれ自体への真摯さが感じられる。
しかし、突然病に襲われながらも強く生きようとする若者を、一年後に国内で開催されるオリンピックにおける目玉選手としか認識していない人もいるのだろう。五輪担当大臣の「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手なので、がっかりしている」「1人リードする選手がいると、みんなつられて全体が盛り上がるので、その盛り上がりが若干、下火にならないか心配している」などの発言は、こうした見方が無意識のうちににじみ出ているものではないか。
五輪相による発言―特に「がっかり」「下火にならないか心配」という箇所―への批判は、Web上をはじめ紙の媒体での報道やテレビのニュースなどでも多く取り上げられていた。しかし、一人の人間を国にとって有益なのかという観点でしか見ないような発言が真っ先に出てくる雰囲気は、すでに用意されていたように思えるのだ。
子どもが産めない人、税金を納めてくれない人…というように組織にとって有益なことをしない、いわば役立たずで「無能」とみなした人間を捨て駒のごとく簡単に切り捨てる行動には既視感がある。LGBTをはじめとした性的少数者には「生産性がない」にもかかわらず、過剰に支援しすぎているという内容の国会議員による雑誌記事などは記憶に新しい。
さらに、先の発言で根本的に問題となる点は、一人の選手に期待をかけるのはあくまでも「日本」という国なのかということである。応援する者の目をまず惹きつけるのは、高みを目指して競技に取り組む選手の姿であって、各選手がどの国ならびに地域の代表であるかではないだろう。そして、懸命に挑み続けるアスリートたちの姿は国境も言葉も超えて観客の心に残るものである。
国にとって役に立つのかという発想だけで人間を評価するという思考を改めない限り、一年後に世界の様々な国と地域から集まってきた人たちにも閉塞感と冷たさしか感じられないはずだ。表面的な「おもてなし」をしていても、人よりも制度を優先する発想は早晩露呈するものである。