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0797 モダンライフと戦争 パンドラ 2019/02/04 04:14:49
戦前の日本について教科書でしか知らない私にとって大平洋戦争に突き進んで行った日本の1930年代は暗く人権もない、ものも言えない窮屈な時代だったというイメージがあった。
いや、そんな事はない。庶民の暮らしは大変だったが平成の今より明るい元気な時代だった。という人々もいる。
私の疑問にヒントを与えてくれたのが「モダンライフと戦争」
という、宜野座菜央見(ぎのざなおみ)氏が書いた本だった
この本の中では栗島すみ子、田中絹代、原節子等がモダンガールとして登場した映画が戦争と以外な共犯性を持っていたと書かれている。
当時の1929年日本はアメリカのバブルが弾けた事により未曾有の不況と人々は失業にさらされていた。
「何が彼女をそうさせたか」という当時はー「傾向映画」と呼ばれた庶民の苦しみ、資本家や社会の矛盾を批判した映画に絶望や不満のはけ口を見いだし共感を得た映画もあったがそれは
映画界全体の2〜3%だった。
1931年年の満州事変は歴史の転換点となったdzけえなく映画界も変える事になっていった。
満州事変の後日本は戦争景気に沸き立ち数々の視覚的快楽を提供してきた。
1931年年日本発の完全トーキー「マダムと女房」が公開され好評を得た。
当時の一般大衆は満州事変を、短期的局地的戦闘行為とみなし
戦争で亡くなった遺族を除いては戦争景気が日本の景気を好転させ景況感も好評だった。
日本映画界は当時の国民が求めていた平和で明るいモダンライフをスクリーンという当時の大衆娯楽で描いて見せたのである。同時にこの時代は映画、ラジオ、レコードといった視覚メディアが普及し雑誌も女性誌、児童誌など多様な雑誌が刊行されていった。
支配者が大衆の心を掴むためには「パンとサーカス」が必要と言われる。この「サーカス」の役割を果たしたのが映画界だった。幾ら権力者が愚民化政策をしてもそれが大衆のニーズに応えたものでなければ人々は見向きもしない。
正に当時の映画は大衆の心を掴み大きな興業収入をあげた。
華やかで平和な日本それは当時の戦争景気と合間って国民の共感を呼んだ。満州で起きていた悲惨で残虐な行為は報道されるはずもなく、片寄った酷く歪な情報と教育の中にいる事に気づかなかった。
当時の国民を責める事は出来ない。人々の心を操り共感の嵐を呼んだ情報と教育は現在の日本で復活しつつあるのだから。

サーカスを甘く見てはいけない。

モダンライフは魅力的である。
護憲派もリベラルな人達も愚民化政策と切り捨てる事なく
巧妙で魅力的なサーカスに対抗出来る手段を考えなければ
それが出来たら苦労しないよ。
という声が何処からかきこえて来るような気がするが。

※ もうひとつの課題「パン」については何れ機会を見て考えたいと思う。