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0787 株式会社の終焉と日本経済 名無しの探偵 2018/12/06 20:53:12
最近の経済学の動向を見ると期せずして同じ結論を表明している経済学者が多数になっていると思われる。
すなわち、資本主義の屋台骨というべき株式会社の終焉を説くものである。金子勝、水野和夫などが代表的な論客である。
本投稿では主に水野和夫氏の論稿を基に、特に日本経済の問題点を明確にして国民が遭遇する危機的な状況を解読したい。
まず、現在の政府の経済政策の問題では消費税を10パーセントに引き上げるという安倍内閣であるが、この問題についてはほとんどの経済学者は反対の意見であろう。これ以上の格差社会の拡大を招き、また消費を控える国民の行動が予測され、消費を中心とする経済はマイナス効果をもたらす。つまり、経済的な低迷は一段と深刻化するだろう。
こうした明確な問題以上に水野和夫氏の指摘する「資本主義の危機と株式会社の終焉」の問題は切実である。氏は第1章で「株高とマイナス利子率」を見だしにして「株価は過去最高益を更新中の大企業の収益性改善、すなわちROEの上昇を反映して値上がりする一方、利子率は・・過剰資産を反映してマイナスに転じました。」と言う。
ROEとは資本蓄積を表す自己資本利益率のことである。
そして、政府はこのROE8パーセントを要請すると主張しているのである。そして、実際に2015年には大企業の多くのROEは7.4パーセントに迫っているという。
しかし、この企業収益の改善は、主に人件費の削減によってもたらせられたものです。」と指摘している。つまり、「限界労働分配率」という概念を手助けにして言えば、(水野氏はここで図表を用いる)1980年代後半のバブルの前なら1.06パーセントだったのが、2000年代に入るとマイナスになり下げ止まりのままであるという。
そして、氏は「もし労働分配率が1パーセントのままだと仮定したなら」2014年度は58.0兆円となっていて、実際の率を6.6兆円も上回ったことになっているという。
この6.6兆円は雇用者(国民の大半)が手にするべき所得だったという。
ではそのお金はどこに行ったのか。
ピケティの表現を借りれば「株主や経営者が『レジに手を突っ込んで』不当に得た」ということになるそうだ。
現在、学者の本では日本の大企業の「内部留保金」は相当な額であるというが真相は水野氏の指摘の通りなのである。
氏はこの第1章では次に、「なぜ、日本企業の売上高営業利益率は欧米と比べて低いのか」(つまりROEの低さの原因です。)と日銀の「マイナス金利政策」が国民の家計を狙い撃ちしていると指摘します。実際、銀行に預けたお金に利息はほとんどつきません。
この日銀の「金融緩和政策」の繰り返しによっても「消費者物価」は値上がりせず、相わからずのデフレ不況です。日銀はその理由を説明していないが、氏によればその原因はグローバリズムにあると言います。つまり、グローバリゼーションは世界を、実物経済優位の時代から金融経済優位の時代に変えたからであると。
金融経済ではマネー(お金)が自由に国境を越えてしまうので、消費者物価に反映しない。そうなると、過剰なマネーはモノに向かわず、土地や株式などに向かう。そして、資産価格が値上がりすることになるという。
水野氏はここで「なぜ、グロバリゼーションが生まれたのか」と問い、1978年に第1次石油危機が起こるまでは資源価格が安定していたので、「地理的・物理的空間が」拡大さえしていれば販売数量が増えて売上高に占める付加価値の比率が一定になり、「雇用者報酬と利潤の両者が増えることになる。
それが(地理的・物的空間)なくなり、他のフロンティアを開拓した結果「電子・金融空間」などが新たなフロンティアとなり、実体経済とかけ離れた
バーチャル・マーケットなどが開拓されたという。

 このように、マネタリーベースを増やしても物価が上がらないのは、「地理的・物的空間」が膨張できなくなったからであり、そこで日銀は作戦を変えて、マイナス金利政策に踏み切った。
氏はこの日銀の金利政策を具体的に説明するが、その部分は割愛して、次の見出しでは「将来の不良債権を生み出すマイナス金利政策」としています。つまり、「資本過剰の状態でさらに資本係数の増加率がプラスであることは、将来の不良債権を積み上げていることになる」として、その典型は住宅着工件数であるという。つまり、住宅件数が増えると価値が下がるからだ。

 氏はこの第1章で後の章のあらすじを書いています。
見出しとしては「豊かな社会」と世界的な供給過剰として、マルクスの資本論に言及し、次のように述べる。
「世界的に資本が過剰なまでに積みあがるというのは、資本主義の宿命であり、なるべくしてなった。」
マルクスは資本を次のように定義する。
「資本はモノではなく、貨幣がより多くの貨幣を求めて永続的に循環する一個の過程である。」
ですから、資本は必ず過剰になる、という。
次に、水野氏は「なぜ、日銀は、マイナス金利政策という強硬手段を取ったのか」と問い、日銀はマネタリーベースを年間60兆円〜70兆円増やした。また、同時に長期国債も年50兆円の規模で購入することにした。ですが、このままでは(終わりに近づいている)金融政策の手の内を読まれてしまう。そこで操作の手法を変えてマイナス金利政策を取ったのだ。
しかし、マイナス金利政策は、政府が「資本帝国」の側についたことを意味し、株や土地などの資産価格が上がり、資本の自己増殖は続くことになる。
「マイナス金利」は見えない税金だ、と氏は指摘する。また、マイナス金利政策以上に重要なのは、10年の国債利回りがマイナスになったことでもあるという。
つまり、銀行は日銀が買ってくれるので損をしないが、家計側(国民)は貯蓄の手段である預金という手段を奪われたことになるという。

(最後に)「21世紀のコペルニクス革命」

水野氏は第1章の最後に重要な指摘をしています。
20世紀までは金利と株価は同じ「国民国家」の「景気」を反映していた。ところが、21世紀は「株価が見ているのは「電子・金融空間」を基地にする資本帝国に君臨する「資本」。「利子率」が見ているのは近代の「地理的・物的空間」に立脚する国民国家の「経済」である。

そして、安倍政権が重視しているのは株価である。その場合にはトリクルダウン理論(つまり、富める者が富めば、貧しい者にも富みがしたたり落ちる。)が成立していることが前提になる。
 しかし、20年にわたって、賃金は減少している。
すなわち、トリクルダウンは生じていない。
したがって、アベノミクスは「資本帝国」の政策なのである。
帝国には必ず、「中心」がある。現在のそれはウォール街である。だから、NYダウはリーマンショック前の高値を超えて、史上最高値を更新中なのだ。

 利子率が近代国家の「地理的・物的空間」に位置する国民国家の「経済」をみるものであるなら、マイナス金利は近代の終わりの象徴となる。
 そして、その語のポスト近代が株価を指標にするのならば21世紀は「資本帝国」の幕開けということになる。
 一方、近代が終わり、かつ資本帝国の時代を拒否する選択をすれば、株式会社は終焉する。私たちはコペルニクス革命がそうであったように、歴史的な分水嶺に立っている。

 残念ながら今のところ「資本帝国」の連戦連勝と言える。リマンショックでさえも利用して、「資本」を増やすのが、「資本帝国」なのであるから・・。
                  以上。
(以上のコラムは水野和夫著「株式会社の終焉」2016年、第1章に依拠した。)