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0782 明治150年に思うこと 見習い期間 2018/11/04 21:00:06
2018年は明治元年(1868年)から満150年の年に当たるということで、日本全国にある美術館や資料館などの文教施設では多くのイベントが開催されている。

今日まで連綿と続く近代的社会制度の基礎が築かれた時代であり、文化や芸術などの面でも、現代まで読み継がれる文学作品などが多く生み出された時代であることは間違いないだろう。

明治時代と比較すると現代は恵まれた時代であり、日本の社会も文化も進歩していることはあらゆる側面で明白な事実だ。
明治期に書かれた小説や詩、戯曲などの文学作品テクストからは、日清・日露という二度の大戦の影響が垣間見える。表面的にではあるものの、日本は今日に至るまで70年以上戦争を起こさず加担もしていない。
夏目漱石の『吾輩は猫である』では、62歳の登場人物を「六十二で生きている位だから丈夫と言わねばなるまい」と評し、「肺病」や「ペスト」が人間にとって致命傷となる時代であったことも記されている。現代では、62歳でも自分で自分の体を思うように動かせる人が多く、平均寿命は80歳を超えている。

その反面、あの当時から何も変わっていないのではないかと思われることも多い。現在では、確かに参政権も性別や収入に関係なく認められ、進学や就職といったライフコースも男女ともに選択できるようになった。しかし、現在でも女性であることを理由に入学試験で不利な取り扱いをする大学があることが明らかになった。国会議員や大学教員などの職業においても男女比に偏りがあることも事実である。

また、少子高齢化が進み、生産人口が減少しているため、労働現場における人手不足が問題となっているが、実際には低賃金のポストや労働条件の厳しい仕事に人が集まらないだけであり、庶民の労働環境はそれほど改善していないことも、今日まで続いている課題である。

日本が近代国家として歩んできた道は、必ずしも進歩だけで語れるものではない。今日まで残る課題にも目を向ける必要があるのではないかと、痛切に感じられる。