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0761 沖縄の魂 流水 2018/07/02 09:47:56
先日、わたしは、相良倫子さんの「生きる」という詩を紹介した。沖縄の苦難が、あのような【豊饒の言葉】を生み出したのだろうと想像した。

戦争というものは、残酷なもので、もし戦争がなかったら一生出合う事すらなかった人間が、憎しみ合い、殺し合う。

人類は、数千年、このような残酷な営みをやり続けてきた。

これは人類の宿命とも言うべきもので、人が集団や組織の中で生きなければ、生き抜くことが大変難しい動物であるという本質に起因している。集団と集団、組織と組織の利害対立や抗争が、人類を太古の昔から闘争や戦争へと駆り立ててきたのである。

国民国家成立以降は、この争いが、国家間の争い=戦争へと発展し、規模が拡大すると同時に、その被害も甚大なものになっていった。

ところが、この集団と集団との争い、組織と組織との争い、国家と国家の争いには、その争いを担う個人の存在がある。戦争を遂行するのも個人、その惨禍の犠牲になるのも個人である。

人という生き物が、本質的に他者を支配したいという「権力欲」という厄介な欲望にとらわれている点にも戦争の多くの原因がある。

時代が進歩し、人類が強力な武器を手に入れるようになるにつれ、その犠牲は大きくなった。

日本の歴史で言えば、平安末期の「保元の乱」の参加人数は、両軍合わせて千人に満たなかった。時代が下がって「大阪の陣」当時は、両軍合わせて数十万規模に拡大している。それだけ、戦死者も増え、庶民の犠牲も増えてきた。

戦争が軍人だけでなく、国民を巻き込み、多大な犠牲者を生み出し始めたのは、第一次世界大戦以降である。

特に、航空技術が発達し、国家挙げての総力戦になった第二次世界大戦の犠牲者は、5000万人以上と言われている。

・・・第二次世界大戦における連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる[1]。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。また、これらには飢饉や病気の被害者数も含まれる。
•民間人の被害者数:3800万〜5500万(飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。
•軍人の被害者数:2200万〜2500万。捕虜としての死者数も含む。
・・・ウィキペディア 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E7%8A%A0%E7%89%B2%E8%80%85

日本では、厚生労働省による戦没者の数は、約240万人以上とされている。

しかし、多くの人は、一体全体どのような惨状があったのかはあまり理解できない。

例えば、長崎・広島の平和記念資料館を訪れた人はその惨状を目のあたりにされたと思う。そして、これは、どう見ても人間のする事ではないと思う。アメリカ人で訪れた人のほとんどが異口同音にその事を語っている。しかし、訪れた経験のない人は、なかなか理解できない。

だから、人は、良心の呵責に悩まされずにそんな残酷な事ができるのである。原爆を投下した兵士は、その下でどんな阿鼻叫喚の地獄が展開されていても、空の上から、それを見る事がない。従って、良心の呵責に悩まない。

人間というものは、困った存在で、他の人の苦難を我が苦難と感じ取れるのは、「想像力」以外ない。だから、「想像力」の欠落した人間には、沖縄の人々の「苦難」は理解できない。

沖縄での、安倍首相の演説の凡庸さに比べ、相良倫子さんの言葉の重いこと。これが「想像力」豊かな人間と「想像力」の欠落した人間の差である。

沖縄の有名な歌に「島唄」というのがある。The Boom という沖縄のバンドのヒット作で、多くの人が知っている歌である。

2005年、朝日新聞に「宮沢和史の旅する音楽」というシリーズの中で以下のように創作秘話が「語られている。

・・ 朝日新聞 「宮沢和史の旅する音楽」  引用

『島唄』は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。
91年冬、沖縄音楽にのめりこんでいたぼくは、
沖縄の『ひめゆり平和記念資料館』を初めて訪れた。
そこで『ひめゆり学徒隊』の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための『捨て石』とされた激しい沖縄地上戦で、大勢の住民が犠牲になった事を知った。
捕虜になる事を恐れた肉親同士が互いに殺し合う
極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。
資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟)の中にいるような造りになっている。このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。
だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。
この対比を曲にして、おばあさんに聴いてもらいたいと思った。
歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。
『ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら』という下りだ。
『島唄』はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。
2人は本土の犠牲になったのだから

2005年8月22日 朝日新聞(朝刊)・・・

この歌の裏の意味が書かれた「島唄」は以下で聞ける。
https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E5%B3%B6%E5%94%84&tid=df60cc75a37e1aa1c1c2ae03754c90c2&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1&st=youtube

ここには、沖縄の人々の戦争に対する憎しみや悲しみが描かれているが、同時に沖縄の自然に対する愛情や人間に対する「やさしさ」に溢れている。

沖縄の歴史は、多くの苦難に満ちているが、彼らは常に「非暴力」で生きてきた。沖縄空手の精神は、人を攻撃するものでなく、あくまで護身術にある。

沖縄の人に対する【やさしさ】の伝統は、相良倫子さんの「生きる」の中にも脈々と生きている。

島唄に秘められた人の苦難に対する満腔の同情とそれを伝え、戦後の困難を生き抜いた先人に対する畏敬の念が歌詞一つ一つに込められている。これは相良倫子さんの詩にも共通している。

これが、本土の人間がとっくの昔に忘れ去った、【沖縄の魂】なのだと思う。