| 井上荒野という作家は、小狡くて、いい加減で我儘で 暴力的でイヤな、けれどどこか憎めない、若い男を描くのが上手い作家だ。 70代になろうとする大楠夫妻は夫の昌平が自転車事故にあったのをきっかけに26歳の若者一樹と知り合う。 病院の送迎、家事での困り事を任せ主夫として雇う。 当初は一樹を好ましく思っていた夫妻だったが次第に 家の中の高価な物が無くなり、一樹と夫妻の仲も不穏なものに変わっていく。この一樹という男、悪い友人辰夫に煽られ 夫妻を窮地に陥れようとしたり、大好きな彼女を 傷つけたり、イヤなろくでもない奴。しかし、捨て台詞を 残して老夫婦の元を去った後で夫妻が辰夫に付きまとわれたり金を騙し取られたりしないように配慮したりもする。 だから、妻のゆり子は「悪い事をしたと思ってる?」 「もうしない?」とか電話に声を掛けてしまうのだ。 どこまで人が良いのだろう。辰夫は夫妻を 「ジジイ、ババア」と呼び 「そのくらいの年寄って生きている価値あるのかな。金使って人を雇ってどれだけ無駄しているんだ。死んだらその金俺達に配るって法律出来ないかな」と嘯く。今の時代に 「自分は社会で割を喰っている」「好景気と言われている世の中から取り残され、損ばかりさせられている」と思っている若者がいて、ほんの一握りだとしても正直な気持ち、本音ではないだろうか。大楠夫妻は老いを意識しながらも未だ知性も意志もしっかりしている。 妻のゆり子は、暴力的なものを防ぐだけの知恵と勇気もある。誰でも人は歳を取る「その話は今日はやめておきましょう」と言いながら人は自らの老いと向き合って行くのではないか。息子家族もアメリカに住んでいる娘もいざという時には駆けつけ、親身になって助けてくれるだろう。 しかし私はその親族より、この一樹というえたいの知れない若者の方が夫妻のより近くにいるように感じた。 老いて行く者達の穏やかな日々に一樹という石を投げ込む事によって生じた波紋と再生。 そして一樹も、社会に場所を無くし、自分をもてあましながらも自分にとって本当に大事な場所に向かって走りだそうとする。それは大楠夫妻と出会った事によるのではないか、彼が本来もっている何かを呼び覚まされたのではないか。と思うのは私の都合の良い解釈だろうか。 「行きたい所はあるのだが、行けるかどうかは未だ分からない、決めろよ」と呟きながら、自分に言ってスピードを上げていく。彼の行きたい場所は何処なのか、間に合うのか未だ誰にも分からないけれど。
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