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0752 映画 火垂るの墓 パンドラ 2018/04/30 13:50:59
4月5日に亡くなられた高畑勲監督のアニメ映画
「火垂るの墓」が日本テレビで4月7日に放送された。
この映画は日本で一番見たい映画ベスト10で1位に輝き、又一番見たくない映画でも1位になっているという。

我が家の子どもも小学生の頃「恐いから嫌だ」嫌だと言って
みたがらかったし、何がこの映画を見ることを厭わせていたのだろう。激しい空襲の場面か、救いようのない兄妹の死に様なのか。

物語は神戸三宮駅路上に倒れている少年清太の姿から始まる
それを清掃用具で突いて「こいつは未だ息があるから後で来るか」と言って立ち去る清掃員。周囲には夥しい数の亡くなった人の遺体、未だ生きている人の身体が打ち捨てられていた。もう一人の清掃員が清太の手から取り上げたドロップの缶が空中を舞い落ちて蓋が外れる。中から白い物体が落ちてその時沢山の火垂るが宙を飛び回り落ちた小さな白い物体は、清太の幼くて亡くなった清太の妹の骨だった。

14歳の清太と4歳の妹節子は戦争で孤児になり遠縁で戦争未亡人のおばの家に預けられる。
当時の庶民の生活は困窮しており、配給の食糧だけでは
一家の生活を賄う事さえ難しかった。
清太は両親が残した遺品をおばに言われ差し出して米に変えるがそれさえも「何もしていない清太さん達は雑炊で沢山」
というおばの言葉で殆ど口に入る事もなかった。

この映画のキャッチコピーにあるように清太は「14歳と4歳二人で生きて行こうと思った」と決意して家を出る。この清清太の行動は、この時代にタイムスリップした現代の少年のようにも思われる。
誰も使っていない豪の中で雨風を凌ぎ親の遺品で食糧を調達するがそんな生活が長続きする分けもなく節子は飢えと栄養失調で亡くなり清太も倒れ果てて行く。

高畑監督は清太と節子が豪や海岸で遊ぶ場面を宙を舞う火垂ると共に、楽しげに美しく描いている。それだけに余計清太と節子の最後が悲しい。
高畑監督はこの映画は反戦映画ではない。とインタビューで
語っておられた。
「為政者が戦争を起こそうとする時、国民をこんな悲惨な目に合わせない為に我々は闘うのだと言うだろう、この映画で戦争は止められない」と。
この映画に漂う全体主義に染まった人々が私は恐ろしい。
役に立たない者、立とうとしない者は排除し打ち捨てて行く
誰も疑問を抱く事なく皆が同じ事をいい、同じ行動を取る
清太と節子が亡くなったのは戦場ではなく戦争が終わった日本でなのだ。
自らは戦場に赴く事なく国難を煽り、いざとなったら逃げて誤魔化し、隠蔽する今の政権も同じ事を繰り返そうとするだろう。

※KAZUKOさんのツイッターから引用

戦争中の政府=戦争という国の存亡にかかわる非常事態なのだから、国民たるものは等しく戦争の犠牲を受忍すべきで
ある。一般国民まで負担していたら財政負担が大き過ぎる