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0738 ひとの命を問う、国家に対する裁判ー「ニッポン国VS泉南石綿村」を観て 2018/02/14 01:23:26
 「ニッポン国VS泉南石綿村」というドキュメンタリーを観た。
 石綿はアスベストともいい、繊維状に変形した天然の鉱石で、断熱効果に優れているので、多くの建築物に使用されてきた。

 しかしこの石綿は細かい繊維となって空中を飛び、吸い込むと、肺に突き刺さって、何十年後かに発病する。いまでも建築物の解体時に問題を起こしている。
 そして石綿肺と言われる肺線維症、中皮腫、肺がんを発症し、呼吸困難で苦しむ。

 戦前からアスベストの被害は専門家からは言われていたし、1972年にはILO、WHOの専門家会合で石綿ががんを発症させることを指摘、厚生省も早くからアスベストの問題をつかんで規制も始めていた。しかし、それは徹底されなかった。

 この映画では、大阪府泉南地区にあったアスベスト製造工場で、害を知らないまま粉末を吸い込みながら働いた人たちが、20〜40年以上たって、アスベスト関連の病気を発症して亡くなって行く。

 何の規制もしなかったということで、泉南の工場労働者やその家族、近隣の人々が2006年に訴訟を起こして国の罪を問うが、国は地裁で負ければ高裁、高裁でも負ければ最高裁と、何年もかけて引き延ばしていく。

 泉南の訴訟では、一陣訴訟26名、二陣33名の原告団のうち、2014年の最高裁判決が出るまでに半分近くがその間に亡くなる。またその判決も全員ではなく、家族や近隣の発症した人は切り捨てられている。

 これはエイズや水俣訴訟と同じ公害の構造だ。専門家はそれらの問題を把握し、国も気づく。しかし、徹底させると企業が損害を被る。そこで規制しても、それを徹底しないと言った姑息な手段に出る。
 その間に人々は、知らずに健康被害を受け続ける。

 1960年時点で石綿肺防止のための省令を制定しなかったことや石綿吸引と発症の因果関係について、地裁では違法とされたものが、高裁では違法ではないと否定されている。
 そして最高裁でようやく国の違法性が認められ、賠償が始まる。

 2010年、国を違法とした大阪地裁の判決。
 ―石綿肺の医学的知見が1959年におおむね集積され、被害の防止策を総合的にとる必要性も認識していた筈で、この時点で省令を制定せず、71年に旧特化則(特定化学物質等障害規則)で粉じんが飛散する屋内作業場に排気装置を設置することが義務付けられるまで、対策をとらなかったこと、そして省令を制定・改正し、排気装置の設置を義務づける規定を設けなかったのは、著しく合理性を欠き、違法。

 それに対し、2011年、高裁は違法でないと逆転判決を出す。
 ―当時は排気装置の設置が、技術的に確立していなかったうえ、コストの高さもあって工場が導入に積極的ではなかった。1971年に設置を義務づけるまで国の対策が遅れたとは言えない。化学物質の危険性が懸念されるからといって、ただちに製造、加工を禁止すれば産業社会の発展を著しく阻害しかねない―というのである。

 憲法第25条は、「1.すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」というものである。
 この憲法を見た時に、高裁の判決の、人々の健康よりも産業界の発展を選び取る歪みが明らかではないか。憲法は私たちの生活にこそ、生かされなくてはならない。

 215分という長尺のドキュメンタリーを観終えた時、原一男監督は、ここで話した人の証言を、切って編集する気にならなかったのだろう。それは、1人1人を大切に思う、そこから生まれたドキュメンタリーであることをまさに示していると思った。
 そして日本国憲法は、日本に住む1人1人のための憲法であることを思い返したのだった。
 映画は3月10日に公開されます。http://docudocu.jp/ishiwata/