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0734 口説く自由とセクハラ問題 流水 2018/01/14 10:13:40
1/12日の毎日新聞3面「金言」で西川恵氏が、カトリーヌ・ドヌーブらフランスの作家・芸術家女性100人が連名で9日のルモンド紙に発表した公開書簡について書いている。・・女優ドヌーブ氏など仏女性100人、男性が女性を誘うのは「犯罪ではない」・・・
http://www.bbc.com/japanese/42631653

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彼女たちは、セクハラに厳しい認識が持たれるようになった事は、必要な事だったと認めている。しかし、Me Too運動に対して疑問を呈している。「ヒザに触った、キスをしようとした、性的な事を匂わすメッセージを送ったというだけで、名指しされた人々が弁明も許されず社会的に葬られている」と批判。「これは、女性保護や女性解放の名を借りて・・・些事を悪魔のように言い立てるピューリタリズム(清教徒気質)の特質だ」。17世紀に「汚れた欧州と決別して神の国を造る」と米国を建国した清教徒の厳格主義、潔癖主義を重ねた。
また、「性的欲求は攻撃的で粗野なものであることは自明で、不器用な口説きと性暴力を混同すべきではない」「性的関係を持とうという口説きにノンという自由は、不快な口説きをする自由と不可分だ」と指摘。
【性の問題は基本的に個人間の事柄で、社会的な場で性犯罪と悪ふざけを一緒くたにするのはおかしい】というフランス人一般の性に対する考え方を投影している。・・・1/12/ 毎日新聞3面 金言 西川恵

さすが、フランス。日本では、公言する事さえはばかられる性の問題で、女性が、これだけ堂々と、しかも知性溢れる文言で主張できるお国柄に頭が下がる。

西川氏は、この公開書簡から、ただただ社会に流されるだけでなく、様々な主張をぶつけ合う欧米の言論活動や個人の主体性などに注目されている。わたしはそれはそれで注目すべきであるが、多少違う観点から考察してみたい。

まず,第一点。
●安倍首相の腰ぎんちゃくだった山口某の準強姦疑惑が、Me Too運動のおかげで、米・英・仏などで報道された。日本の報道機関ではほとんど報道されていないにも関わらずである。この彼我のメディアの姿勢の差が際立って見えるようになったのもMe Too運動のおかげと言ってよい。

第二点。
●【些事を悪魔のように言い立てるピューリタリズム(清教徒気質)】というドヌーブ女史たちの主張は、きわめて説得力がある。米国政治の特徴は、「自由」原理主義的傾向がある事は周知の通り。ただ、この種の主張も、強者がすると、周りの弱者は困ってしまう。多少、否、たくさんの言い分があろうとも、結局力で押し切られてしまう。弱者に残るのは、不満や恨み、つらみだけ。米国が世界から嫌われる最大の要因でもある。沖縄における米軍ヘリ問題一つとっても、この事はよくわかる。

※実は、この問題は、日本の言論状況に当てはまる。
「貴乃花」理事解任を決定した評議委員会委員長池坊女史が、「貴乃花」親方に八角理事長が何度電話しても出ず、折り返しの電話もしなかったことを「礼を失している」と批判した。池坊女史の常識からすれば、職場の上司で先輩から電話をもらえば、出るのが当たり前。出られない場合は、折り返し電話をするのが礼儀だと考えて、そのように発言したのであろう。

ところが、この彼女の発言について、ネットで滅茶苦茶にたたかれ、TVでもコメンテーターと称する連中のなかには、「同調圧力だ」とか、「若い者」には通用しないなどと発言するものが出る始末。これに辟易した、池坊女史は、もうTVには、出ない、と発言していた。

白鵬の張り手、かちあげ、横綱の品格問題もそう。張り手、かちあげは、ルールで許されている。それを使ったからといって、非難されてはたまらない。品格、品格といっても、横綱がコロコロ負けては、誰もほめてくれない。勝ってこその横綱。

ところが、近年の相撲は、外人力士が増加。200Kg超の力士がごろごろいる。しかも、年六場所。怪我も多いし、体調管理も大変。昔のように、余裕をかましていては、簡単に負けてしまう。全く違う環境で相撲を取っている。それらを完全に無視して白鵬を非難するのは公平ではない。

これが日本の言論状況。自分に都合の悪い人間は、有る事ない事それこそ【些事を悪魔のように言い立てるピューリタリズム(清教徒気質)】で排除する。池坊女史がTVに出ないという気持ちがよくわかる。これが、ファシズム下の言論状況だと考えてさほど間違いない。

第三点。
●政治における、野党勢力や世代間共闘に対する示唆
日本の野党勢力⇒民進党や連合が、もう一度、協力体制を築こうと悪戦苦闘している。わたしは、かっての野党勢力の最大の欠点は、「些事を悪魔のように言い立てるピューリタリズム(清教徒気質)」にあると見ている。些細な相違をあげつらい、分裂を繰り返した愚を繰り返してはならない。

しかし、違いを明確にしない協力は、簡単に崩壊するのも事実である。

西川氏によれば、ルモンドの公開書簡に対して英国のBBC放送が「世代間の対立」というきわめて興味深い視点で報道しているそうである。・・公開書簡に名を連ねた女性の多くが1960年代の「性の解放」を体験した世代で、彼女らにとって、Me Too運動は、「性の解放」にとって脅威に映る。くしくも、今年は1968の学生革命から50年。「Me Too運動」を推進する若年世代は、セクハラに対する闘いを女性の権利を巡る“最後の戦場”と位置付けている・・1/12/ 毎日新聞3面 金言 西川恵

この違いは、微妙なようでもあり、きわめて大きいともいえる。実は、日本の野党間の違いや世代間の違いをこのような俯瞰的視点から議論し、違いを明確にすると言う事は、逆に自らの立脚する思想的座標を明確にするという事でもある。そこからのみ、本当の意味で【共闘】が生まれてくるのだと言う事を、今回の「公開書簡」は示している。