| 天皇の退位を実現する皇室典範特例法が成立した。 今上天皇が「高齢で職務を全うする体力に自信がない」という陛下の意向を汲んでこの特例法が成立したが、安倍政権は一代限りの特例に止まると釘を刺している。
学者など「識者」を集めて(ほとんどが天皇の意向を無視する連中ばかりだった)、すったもんだの末に今回の特例法が制定されたのである。 こうした退位の問題は実は「象徴天皇制」という憲法(とそれを受けた「皇室典範」)の規定とその制定経過に大きな原因がある。
現憲法が成立する(「制定の経過」)、当時の歴史事情は相当に複雑な様相を呈していた。日本のポツダム宣言の受諾によって、「天皇の地位」は連合軍の決断にかかっていたからである。(この事情を詳らかにすると、それだけで既述は尽きてしまうので、割愛する)
例として、東京裁判で天皇の政治責任が問題になっていた、また、国内でも昭和天皇は「退位」するべきではないかという議論も起こっていた。
こうした重大な議論をアメリカ主導ですべてクリアーして出てきた案が「象徴としての天皇」というアイデアであった。(戦前にアメリカの日本駐在大使だったグルーの提案と言われている。)
象徴天皇制を提案して成立させたのは連合軍を仕切っていたアメリカだったのである。 そして、「象徴天皇制」が憲法に制定によりスタートした。 その内容の大筋は天皇の職務は政治的行為は一切及ばない、「国事行為」という形式的、儀礼的な行為に限定されるというものである。それもその国事行為には内閣の「助言と承認」が要求される。
(この天皇の職務;公務などを巡っては、学説などに議論があり、見解が分かれる。憲法学説の通説は 天皇は政治的な行為や発言は一切できず、与えられた「国事行為」を形式的に行う義務があるだけだという。)
こうして、制定経過の時代と初期の憲法学説の形成の時代が終わり、長い時の経過があって、天皇陛下も御高齢になり(現在、84歳)、その公務を全うする体力に限界が来て、ご本人自ら「退位」したいと訴えられたのである。
しかし、戦後以来単独に近く政権を掌握してきた自民党は「退位」に難色を示した。ところが、高齢の陛下の訴えを全く無視することもできず、今回の「特例法」の制定となったのである。
だが、象徴天皇制というアメリカが創出した制度は矛盾が多いものであった。 それは天皇の「人間としてのあり方」を大幅に制限するものであり、「国事行為」を粛々と行え、世襲制なので崩御のときに譲位が認められるというそっけないものである。 憲法学説などは「天皇の人権」などは全く配慮していないし、してこなかった。 「天皇の人権」という側面:問題から考えると歴代の政府や憲法学説などは全く天皇の生身の人間性など無視してきたと言ってよい。 (実際、筆者も退位の問題は考えたことはあまりなかった。) 象徴天皇制の根拠条文である、第1条「・・この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」という規定を素直に読めば今回の「特例法」がこの憲法規定を無視していることが理解できる。 国民主権を絶対的な価値としている憲法において、「退位」がどうあるべきかは安倍政権が考えることではありえない。
国民の総意と天皇のご意向が大きな拠り所であり、その方向での「皇室典範」の改正作業は必要不可欠ではなかったか。
以上。
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