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0724 座間市での連続殺人へのアプローチ 名無しの探偵 2017/11/09 21:45:10
座間(神奈川)で起きた連続殺人について、もうマスメディアによる詳細な報道があるので、このコラムでは週刊誌的なコメントは省略する。

ただ、一点だけマスコミの報道がいつも間違った方向に向かっているのではないかという問題を指摘する。

犯人(容疑者の段階であるが)の白石が自殺志願の女性たち8人を殺害したことは「自殺幇助」か、「嘱託殺人」であるかのような第1報であったことがまず、批判されるべきだろう。

後に白石自身は「殺害目的」で彼女たちを自宅に誘ったと正直に供述している。

日本のマスコミがおかしいのは、最初から被害女性たちを「自殺志願者」なので、犯人はその自殺の手助けをしているらしい、という先入観が前提になっているということである。

日本のマスコミの劣化は今に始まったことではないが、例えば、松本サリン事件の報道は歴史的なミスであり、その冤罪的な報道は犯罪に近いものがある。

この事件で週刊誌的な興味から遠く離れて事態を謙虚に考えてみると日本社会の暗部が映し出されているように思えた。

それは日本が国際的にも「自殺大国」であるという冷厳なる事実である。世界的な統計によれば、(WHO)日本の自殺率は世界で6位となっている。

この統計からは「なんだ、自殺大国でもないのでは?」という見方もできる。しかし、あるサイトのリサーチによると、日本の自殺統計の方法に問題があり、警察が自殺と断定する基準がかなりハードルが高く設定されていて、明確に「自殺」と断定されない限り、「不審死」というカテゴリーに属してしまうという。それでものサイトでは日本の自殺者は
毎年ほぼ3万人を越えているが、「不審死」つまり、「変死者」を入れるとその6倍の18万人ではないかと言っている。

今回のコラムでは、学術的な研究領域にあまり触れることができないが、次回に「自殺論」で有名なデユルケームの社会学的な分析にも触れることにしたい。

さて、今回大騒ぎになっている「座間の連続殺人」に戻ると、今まで私が気が付いていなかった視点が見えてきた。

それは、9人もの女性が「自殺志願者」(これは本当のところは分からないが)であり、「首吊り師」
というハンドル名で「自殺をお助けします」という
SNSでの誘いに乗って「見知らぬ他人」の家に無防備に入っていくという心理であり、また若い女性が自殺を望んでいる(または、興味がある)という事実であった。

私自身はこうした自殺願望を抱いた経験が皆無なので、「自殺願望」のある人たちの心理を知るには他の科学的な方法があるのではないかと考えたのである。

そして、学生の時に少し勉強したフロイトの精神分析の方法が有効ではないかと思ったのである。
フロイトは晩年になり、人が死に対する願望や志向を持つと考えて、ギリシャ神話の「死の神」である
タナトスから「死に対する志向」をタナトスと名づけのであるが、フロイトこのタナトスを考察しているときに丁度1930年代後半であり、ナチスがユダヤ人の抹殺計画を始めていたときと重なっている。これは偶然だったのだろうか。

それはともかくとして、現在話題になっている座間の連続殺人は去年の相模原での障害者の大量殺人とも関連性が考えられる事件ではないかという問題も浮上するであろう。

両者の共通点は「障害者への攻撃」と「自殺志願者」に対してのその願望につけ込んだ「猟奇的な」殺害であり、ともに「社会的」な弱者への攻撃という所であろうか。

その「社会的な弱者」という括りであるが、日本社会が「優生思想」という悪しき伝統があり、またその思想傾向が復活してきたのかという疑いがあり、
毎年の自殺者が10年以上も3万人を越えているという統計結果(今年は3万人から2万人台になった)の重みと統計から漏れている「変死者」「不審死」がその6倍であることを統計学ではなく、社会学的に考え直さねばならないと思うのである。

次回にもこのテーマはもう一度考察するが、日本の過労自殺も多発しているし、過労からうつ病を発症
している人も増えている。

安倍政権を支える国民の多数はこうした過労自殺や過労によるうつ病の増加に対して目を逸らしているのである。

いずれにせよ、日本社会は暗部を抱えている、また「命」がこれまでになく軽んじられている、という気がしてならない。

       (以上。)