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0713 無差別攻撃(爆撃)と戦争 蔵龍隠士 2017/08/23 06:26:50
 現下の、北朝鮮、朝鮮半島、対米緊張が、極めて亢進し、米政府は、空母・イージス艦隊を派遣、強烈に威嚇し、北朝鮮は、核ミサイル開発に於いて目覚ましい発展を遂げ、グアムへの4発によるミサイル攻撃で、威嚇するまでになった…
 安倍氏が、安倍友を特別に寵愛し、拉致問題を口実に、外交努力を放棄し、侮り、制裁一辺倒、対米従属路線を直走る間に。
 利害を持つ、関心を持つ、諸政府は、今、それぞれに、展望を、利益を図ろうとしている筈であろう。権力者としてのそれ⁉
 しかし、私の関心、視点は、これらとは、明らかに異なる。
 日本の自然も、日本国憲法も愛しているし、人権も愛している。財産等利益を譲り受けていないので、権利主張、権利充実には、猶更、主張の根拠に、これが要る。 亦、最近の、核兵器禁止条約も、国家による、核戦争を禁止し、個人の生存を保障するものとして、極めて好ましいものと受け留めている。
 つまりは、個人(無辜の民)の立場からの主張であり、価値判断である。権力者のそれではない。同化することもない。
 個人の中に、醸成してくるのは、核兵器、戦争の禁止であり、引いては、一切の戦争禁止の思いまで、湧く。核ミサイル戦の現代に於いて、従来の、通常兵器のみに限定した戦争など、今更、出来まい。双方が、核ミサイルを持ち合っては、核ミサイル戦が出来ないと、現在のチキンレースが証明することになり、或いは、合点すれば、理性が働く限り、戦争は、有り得ないことへ、と期待は、膨らむ…。
 ところが、政府レベルでは、自衛のための戦争は良いとか、第一次世界大戦後は、無差別攻撃、絨毯爆撃を肯定する、核抑止力を肯定する、思潮が背景にある…。 つまり、敵国であれ、市民、無辜の民の殺人、大量殺戮、大量破壊、無差別攻撃を、否定していないのだ。
 だが、その無辜の民の恨み、辛みは、置き去りだ… ただ、アフガン戦争、イラク戦争を境に、民の側からの、政府への攻撃が顕現してきた。非対称の戦争、政府いう所の、『テロとの戦い』だ。
 しかし、此処では、無差別攻撃、圧倒的殺傷で、敵政府が、降伏を急がされる、という事情はない。民の側に、中央政府はないのだから。
 それでも、超大国が、無慈悲な大規模爆撃など、或いは、大量破壊兵器を放棄しようとしないのであれば、論理破綻を、再構築したのだろうか??? 民が立ち上がれなくなるほど、殲滅するとでも??? 是が肯定できるとでも???超大国、諸政府に。 一端、手にした、暴力を手放せないだけではないのか。
 個人は、兵器ではなく、ソフトな手段・方法で、主権者の意思の一致を探る、主権者の意思で、現在の権力者を牽制する、そういう途を開拓できる、かもしれないと思う。市民間のコミュニケーションは、必ずしも、政府を仲介しなければ、出来ないものではないからだ。勿論、主権者が、その政府を統制することが出来れば、それに越したことはない…。 かつてのように、経済が先行するか、今後は、政治が先行するか、知れないが。
 今では、平和を愛する諸国民を信じてみたい。心から。アメリカ市民も、韓国市民も、中国市民も、ロシア市民も、そして、未知の北朝鮮市民をも。


 ☆添付資料
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%A8%E6%AF%AF%E7%88%86%E6%92%83
 絨毯爆撃 - Wikipedia
 >絨毯爆撃(じゅうたんばくげき、英語: Carpet bombing)は、地域一帯に対して無差別に行う爆撃。無差別爆撃、都市爆撃、地域爆撃、恐怖爆撃とも呼ばれ、住宅地や商業地を破壊して敵国民の士気の喪失を目的とした戦略爆撃である。これに対して、工場や港・油田などの施設の破壊を目的にした爆撃は「精密爆撃」に分けられる[1]。絨毯爆撃という表現は、床に敷かれた絨毯のように、爆弾が一面を覆う印象から想起されたものである。
 >歴史[編集]
 1921年、イタリア軍の将軍ジュリオ・ドゥーエは「制空」において、これからの戦争は兵士・民間人の区別がない総力戦であること、空爆により民衆はパニックを起こし、自己保存の本能に突き動かされ戦争を終わらせろと要求するようになるであろうことから、空爆のテロ効果を強調して無差別爆撃論を提唱し、最小限の基盤である民間人に決定的な攻撃を向けられれば戦争は長続きせず、長期的に見れば流血が少なくなるのでこのような未来戦は遥かに人道的であると主張し、さらに人口密集地の住民への攻撃手段として高性能爆弾・焼夷弾・毒ガス弾を挙げた[2]。
 1937年4月26日、スペイン内戦下でスペイン北部・バスク州の小都市ゲルニカがフランコ将軍を支援するナチスのコンドル軍団によって空爆された。このゲルニカ爆撃が、焼夷弾を本格的に使用した最初の空襲となり、世界初の無差別爆撃でもある。ピカソの『ゲルニカ』は、同名の都市への無差別絨毯爆撃に際し、描かれたものとして著名である。1938年-1943年まで日本によって継続的に行われた重慶爆撃も、後期には絨毯爆撃となった。
 第二次世界大戦では、1944年の北フランスで行われた連合国軍の「コブラ作戦」支援の爆撃でも絨毯爆撃が使用されている。 末期の1945年には、アメリカはドレスデン爆撃で無差別爆撃を行い、日本本土空襲では精密爆撃から無差別爆撃まで、焼夷弾の使用も含む爆撃を継続的に実施した[3]。
 1950年6月に始まった朝鮮戦争において、アメリカ空軍はB-29 スーパーフォートレスによる絨毯爆撃を実施した。また、2001年から実施されたアメリカのアフガニスタン侵攻でも、B-52 ストラトフォートレスによる地上軍支援で無差別爆撃が行われている。作戦地域が小さければB-52に代表される戦略爆撃機単独でも被害を与えられるようになっている。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA
 アメリカ合衆国の戦争犯罪 - Wikipedia
 概要 ・??第二次世界大戦以前 ・??第二次世界大戦 ・??第二次世界大戦後
 3 第二次世界大戦 3.1 無差別戦略爆撃 ・・・

 http://www.recordchina.co.jp/b115866-s136-c60.html
 <俳優・宝田明氏が明かす戦争の真実(上)>悲惨な目にあうのは無辜の民、脳裏から離れない衝撃的体験とは?―「平和憲法」死守は我々の世代の責務! 2015年8月9日(日)

 http://blog.goo.ne.jp/hisao-mizutani/e/d364e95215c1857755330600e599866e
 gooブログはじめました!: 音の記憶Z 三波春夫2  無辜の民が戦争で殺されたことの責任  2017-05-28