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0712 『ヒロシマ・ノート』を再読する 見習い期間 2017/08/13 22:08:51
中学時代に国語教員から大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』を一読するよう勧められ、高校1年生の夏休み、まさに広島へ向かう道中に読んでいたことを思い出した。まもなく72回目の終戦記念日を迎える今日、16年ぶりに『ヒロシマ・ノート』を読みなおした感想をここに記しておきたい。
10代半ばのころに読んだときには、被爆された方々の声、そして、1960年代の時点で被爆都市の市民たちの記憶を風化させないよう懸命に行動する人々の様子が印象に残った。ともかく「戦争はたくさんの人の心身を傷つけるから繰り返してはいけない」ということを克明な記録から学んだことははっきりと覚えている。
しかし、今になって改めて読んでみると、第三者の立場で何かを学ぶなどという姿勢ではとてもいられなくなったのだ。1960年代半ばに問題となっていたことは今も解決していないではないか。むしろ、あの頃にできていたあらゆる溝はいっそう深まっているようにも見える。
世界から核戦争をなくしたいという同じ願いのもとに集まり、核廃絶への想いを受け継ぐために呼びかけをしていた人々が、本筋からは少し離れたところでの考え方の違いが原因で分裂してしまう様子は、現在でもあらゆる運動の内部で起きていることに他ならない。また、広島・長崎などでの原水爆禁止世界大会が開催されることと同時に世界各地で新たな戦争が勃発していることも報じられている新聞の描写も、今は読み飛ばすことができなかった。
なにより、同じ被爆を経験した人の中でも、被爆者という一面だけで自分とその家族の人生をとらえてほしくはない、さらには平和運動のための政治的道具として自らの生死を利用されたくないという意見を持つ人物がいるということ、広島の市民たちも一部を除いては平和行進には冷淡であり、むしろ好奇心を持って見つめていたという事実も記録されていることにも気が付いた。
自らの立場に対する批判や現場の声からは離れていく一方の反核運動組織の様子も踏まえた上で、大江は「広島の思想」を体現する人物たちに寄り添い、連帯することを最後に改めて訴えている。被爆者への医療に従事する者、被爆都市の新聞記者として真実を描くことを望んでいる者をはじめとした「広島的なる人々」。彼らの同志であることこそが「正気の人間としての生き様」であるという。
原爆などの戦争兵器の威力としてではなく、人間的悲惨として被爆の経験が語り継がれるためにも、こうした作品を紹介し読み継いでいくこと自体が今日では意味を持つように思える。